異性?―おお、錯覚!


 異性のことで悩んでいる学生の中には、彼女と別れた後、
「あんなに彼女に尽くしたのに」
「あんなにプレゼントをあげたのに」
と残念がっている男子学生がいる。

 でもそれは君の作戦は未熟だったからだろう。男と女、オスとメスの間にはもっともっと複雑で微妙な関係があって、作戦も立てずに突進すれば破れる。もちろん、人間のような複雑な生物ではなくても、小さな虫でさえ、涙ぐましい努力をし、作戦を練って女性に近づいているのだから。



ガガンボモドキの交尾



 ガガンボモドキという小さな昆虫。写真を見ると判るが、羽をもつ小さなハチの一種。体は小さいし、運動神経も鈍い。動物の世界は弱肉強食だから、小さいガガンボモドキに取ってみれば餌をとるのは大変なことだ。いつも自分が生きるだけの餌をとるのも大変なのに、春になるとメスにプレゼントをする為に極上のエサを手に入れなければならない。

 ところで、ガガンボモドキのメスは実に図々しく、春(生殖)の季節になると自分ではエサをとらないで、プレゼントしてくれるオスを待ってそのオスと交尾し、エサを手に入れるという方式だ。それもメスはなかなか贅沢で、どこでも手にはいりそうなエサや、一見して不味そうなエサを持ってくるオスにはまったく関心を示さない。

 珍しいエサ、美味しそうなエサ、ブランドもの?のエサをプレゼントしてくれるオスならOKというのだから、実にドライだ。相性とかルックスなども気にしていないようで、一途に、プレゼントの質だけがメスの関心である。

 でも、そこまではガガンボモドキの他にも普通に見られる。オスがメスにプレゼントをあげて、思いを遂げるのは珍しくない。

 驚くのはガガンボモドキのメスの方ではなく、オスの方である。ガガンボモドキのオスは美人?のメスを獲得しようと、生殖の時期になると、苦労して「とびきりのブランド物?のエサ」を手に入れ、それをもって颯爽とメスのところに飛んでいく。これほどのプレゼントならどんな美人?のメスでもなびいてくれることは確実だとオスは信じているだろう。

 果たせるかなメスはあまりに素晴らしいプレゼントに即OK。プレゼントに飛びつき体はオスに任せる。その瞬間がオスのねらい所だ。

 オスはメスにプレゼントを差し出すと、まだメスがエサを食べ始める前にサッと思いを遂げ、次の瞬間にはまたプレゼントを持って飛び立つ。メスは気がついたら目の前の飛びきりのご馳走は消えているし、どうも体の方は・・・ということに気がつくのだが、時すでに遅しという訳である。

 その「甲斐性のあるオス」は悠々とプレゼントを抱えて次のメスのところに飛んでいく。かくして運動神経のよいオスは一つのすばらしいプレゼントを何回も使って複数のメスと交尾し、多くの子どもを残すことになる。

 ガガンボモドキの手練手管を見ると、つい新聞の三面記事を思い出してしまう。そういえば良くいる。人間社会にも・・・

 動物界のオスはメスにプレゼントをしたり、クジャクやカモのように身をキレイに飾って何とかメスの気を引くようにする。子孫を作りたいという目的はオスもメスも一緒なのに、何でオスだけが苦労しなければならないのだろうか?

 理由は簡単で、メスは子供を産めるが、オスは産めないので、何とか自分の子どもを産んでくれるメスを探さなければならない。それともう一つの理由がある。

メスは体の中の卵子の数と自分の体力に限界があるので、産むことができる子供の数が決まっている。それに対して、オスは膨大な数の精子をだすので、一匹いれば何匹のメスに子どもを産ませることができる。だから、オスはそれほど数はいらない。良い子どもを持つためには弱いオスの子どもではダメで強いオスの方が良いから、甲斐性のあるオスだけが子供を残す。それが自然淘汰という物である。

だからメスは決して身を飾る必要はない。クジャクやカモのように身を飾るオス、サルやオットセイのように身を挺してハーレムを支配するオス、一夫一妻をまもって家族のためにエサをとり敵と戦うオス・・・多くのオスがひたすら自分の子孫を残そうと必死になるのである。

 この地上に「ヒト」という動物が出現したのは500-600万年前と言われているが、オスとメスの関係は大きく変化した。

 生物の行動はDNAで決まる。親からもらった遺伝子が働いて体をつくり、行動パターンを決め、本能的な活動をする。子孫を残すための生殖活動もDNAが指令する。「あの女性は魅力的だ」というのもDNAがそう思わせる。

 ところが人間は脳が発達してDNAの情報より1000倍も多い情報が脳にある。そして脳は「考える」。DNAの情報は生まれたときからほとんど書き換えがないから、親が「あなたは男」「あの人は敵」とDNAで伝えれば、その通りであるが、脳は書き換えができるので、体は男でも心は女とか、親切にしてもらえばもともと敵だったのが味方になったりする。それが脳という情報の良いところでもあり、悪くもある。



 人間のオスが「性欲」というのを失った時がいつか、いろいろな研究がされている。まだ、はっきりした時期は判らないようだが、いずれにしても人間のオスは脳の発達によって性欲を失い、そしてそれとおそらく同時に発情期も失った。

 オスの性欲は自分の遺伝子を子孫に残そうという本能からきているから、それが頭の指令で抑制されたのである。ビックリしたのは女で、男に性欲がなければ女は子供を産むことができない。そして男の性欲が無くなったのが「頭の幻想」であるなら、女はふたたび男の頭に「あなたは性欲がある」という「幻想」を作り出さなければならない。そうしなければ人類は子孫ができずに絶滅する。

 かくして、女性は体をかくし、お化粧をし、男性に性欲の幻想を持たせることによって、人類は絶滅の危機を脱したとされる。

 この話は若い男性、つまり私が接する学生にはとんと人気がない。学生はみんな自分に性欲があると思いこんでいるので、そんなのは違うと思っている。しかし、心理学などではかなり有力な説で、人間のさまざまな行動パターンや心理の動きで解明されているところもある。

 ここではこれまでの人類学や心理学の成果を素直に理解し、自分自身の性の叫びに判断をゆだねかいで、「人間のオスには性欲がない。だから着飾らないし、発情期もない」ということにしたい。

 わたし達が女性で悩むのは幻想なのである。「可愛い」と思うのは幻想という。それが女性の作戦で、性欲のない男性を振り向かせる重要な手段という。従って「化粧品産業」は膨大な売上高を保っている。もしなにもドライビングフォースがなければ、あれほど化粧品会社が反映するはずもない。

 また男性は「結婚」ということに強い意欲を示す女性にときどきとまどうことがある。人間の男の性欲は幻想として作られたものだから、もし性的活動をするにも一瞬でよく結婚とその生活のような長い間はもたない。第一、本当の欲ではないので、満足感がない。

 おいしい物を食べると食べた後に満足感がある。ぐっすり眠ると起きたとき爽快だ。このように食欲、睡眠欲など人間に本来備わった欲望が果たされると人間は快感を覚える。でも性欲は一瞬で、しかも後味が悪い。もし本来、するべきことなら満足感があるのだが、かえって罪悪感に苛まれる。それだけでも性欲が幻想であることに気づく。

 かつて西洋では騎士道があって愛する淑女のために身を投げることを信条とする生き方が推奨された。幻想の上に幻想を重ねてそこに解決策を見いだしている一つの例である。

 ところで何で人間は性欲を失ったのだろうか?

 この疑問には次の質問が良い。
「なんで、生物は性欲があるのだろうか?」

 食欲は自分の体を保つためにどうしても必要だ。睡眠もそうで血液中に不純物が蓄積するとそれをきれいにしなければならず、そのためにはまとまった休憩が必要である。だから食欲も睡眠の欲求もなくならない。

 でも性欲が無くなっても何も困らない。自分が死んだ後の世界なんか自分には知覚もできないし、利害関係も無い。むしろ性欲が無く子どもがいないほうがどんなにか気楽でお金も少なくて済む。最近の日本では子どもが親をみないと言ってこぼす親がいるが、キタキツネは子どもが大きくなると「子離れの儀式」をして子どもを追い払う。面倒は期待していないのだ。

 ドーキンスはこのことを「利己的な遺伝子」という言葉で表現した。遺伝子にとってみればわたし達の肉体は単に仮の宿にすぎない。つまり体は「遺伝子の乗り物」だと言うのである。遺伝子は自分を残すために、古い体を捨て、新しい体に移る。そのために性欲という幻想の欲望を作ったと言うのである。

 よくわかる話ではある。

 でも、女性のことで悩んでいる学生は多い。一つのパターンは「つきあう女性がいない」ということで、これは強迫観念のようなものである。どうせ動物のオスは20匹に1匹程度しかボスになれないのだから、一人で暮らすのは何でもないはずである。

 もう一つのパターンは「別れた」というケースである。この場合も、もう少し幻想から離れると「良かった。せいせいした。もともと煩わしかった」ということに気づくものだが、なかなかそうはいかない。人間の幻想は底が深く、幻想の中にしか生きていけないから。

 でも君の悩みは「幻想」だ!!