― プロの仕上げ ―

 

 「論文」や「レポート」は技術者にとって最終的な作品です。それは、ちょうど画家がデッサンにデッサンを重ね、構想を練り、そして真っ白なキャンバスに絵筆をおろすようなものです。

 若い頃の私はプライドも高く、自信満々の技術者でした。ある時、私は研究の結果を論文にまとめ、英語のチェックをしていただくネイティブの人に見てもらいました。その人はアメリカの技術者でしたが厳密な人で、いつもつきっきりで論文のチェックに3日ぐらいかけてくれました。

 そんな彼にいつも注意されたのは、前の文章と後の文章のつながり、一つの文章を一つだけとして読んだ時に意味が明確か、そしてパラグラフの概念などでした。私は傲慢でしたから、彼に指摘されると、その指摘の内容をそのまま受け取るのではなく「なんだ、外人だから日本語が良くわからないんだ。何か答えて誤魔化せば早く済む」と考えて、いい加減に答えていました。

 そのうち、私は自分の文章が無茶苦茶であることに気がついたのです。「一つ前の文章との関係はついていない、その文の意味は良くわからない、用語は注意深く考えて使っていない、そして行などは気が向けば改行している」という酷い状態であることに気がついたのです。

 それからは彼が英語をチェックしてくれるのが楽しみになりました。自分の論文がすっかり論理的に姿を変え、立派になっていくのですから、作者としては嬉しいに相違ありません。それまで何でいい加減なもので満足していたのか!と私は悔しくなりました。

 ある時、そうして出来た自慢の論文を先輩に見せました。その先輩はアメリカで何年か生活をしたことがある優れた研究者でもありました。「どれどれ」と言いながら彼が私の論文を見始めたのは午後の5時頃だったと記憶しています。

 タイトルを考え直し、フォントを決め、bold-faceにし、中央に寄せて完成しました。著者の名前か所属もまた入念に調整しました。確か、どちらかは必ずイタリックにしなさいと言われ、当時の有名な論文を例として、その先輩は見せてくれました。

 そして、章を区分するタイトル、行のはじめの空白を整えます。英語ですから「両端揃え」になるのですが、変なところで改行されて文字数が少なくなり間延びすることがあります。そんな文をもう一度見直し、文字数が普通に並ぶように書き換えます。

 図表の仕上げも丁寧でした。縮小して貼り付け、説明文や縦軸横軸、線の太さなどを入念に見てくれました。「読者のために論文を出すのだから」という当たり前のこともその時に学びました。恐らく私の頭の中には大学時代のレポートの癖がついていて、「出すための論文」という意識が有ったのでしょう。私の論文は実は「自分のために出し、素人の仕上げで満足し、自己流の何が悪い」という物だったのです。

 図表のタイトルはできれば一行で、どうしても一行で収まらない時には、かえって長く説明を加えてくれました。図表のタイトルが途中で折り返され、単語が一つだけ2行目に残るようなことは許されませんでした。確かにみっともないものです。見れば私でもわかるのですが「これでよい。こんな物で良い」と妥協していた自分が情けなくなりました。

 数式の番号は、A4のページで2段組なら右に寄せ、式自体は中央に寄せました。文と文の論理のつながりを再チェックし、用語が正しく使われているかも見ます。そして引用文献では少しフォントの大きさを落とし、スタイルも変えました。そして少しずつ私の論文はまともになっていったのです。

 でも、その時に何を一番習ったかというと、「技術のプロとしての作品に対するプライド」だったのです。学生時代、単に点数をもらうためにレポートを出していたこと自体が問題でした。学生時代に将来技術のプロになるのだから・・・と思って訓練しておけばと思ったものです。

 次第に夜が更け、研究室から一人、また一人と帰り、11時半頃には先輩と私の二人だけになりました。当時の私は独身寮から通っていて電車を乗り継いで1時間ぐらいかかりました。そして終電は12時少し前でしたから時間が迫り、気が気ではありませんでした。

 でもそれを先輩に言い出すことは出来ませんでした。もともと私の論文を見てもらっているのですし、先輩は私よりさらに遠いところに住んでおられるからです。私はジリジリする気持ちを抑えながら、また昔の癖が出て、少しでも早くすませようと適当に答えるようになったのですが、それでも先輩はペースを変えずに修正作業をしてくれました。

 今では先輩が「時間が深夜になるのと、論文が科学的に仕上がるのは別」と言うことを教えてくれたことを知りましたが、当時は、単に早く帰りたいということでした。それが「私の論文」であることも忘れて・・・

 そして深夜の2時に修正が終わると、彼は「武田君、論文のスタイルは高いレベルのアメリカの論文を参考にしたら良いよ。アメリカがよい。そしてレベルも高くなければならない。レベルの低い論文は内容ばかりではなくスタイルも二流だ。」といって当時、工学書では超一流だったMcGraw-Hillの本を見せて説明してくれました。

 「明日、印刷して提出したら良い。印刷はできるだけ綺麗なプリンターでやる。紙も綺麗な方が良いよ。」と言ってくれました。

 先輩がタクシーを二台呼び、私は大枚を支払って帰ったことを覚えています。薄給の私にとっては膨大なタクシー代は目もくらむようでしたが、払いました。後にこの日のことを思い出すと、安い授業料だったと思います。

 それからの私は少し技術者のプロになったような気がします。考えてみれば、技術は私の副業でも趣味でもなく、本業です。その本業の作品をいい加減に作っていたのですから、思い出せば恥ずかしい限りです。当時の私は自分では一流と思っているだけで、本当は自分の論文も自信を持って人に出せないつまらない存在だったのです。

 人間にとって、技術の力が高いというより、自分の仕事を真摯に真面目に、プライドを持ってする方がどんなに大切でしょうか。それこそが私が生きている、私という人間が生きている証であることが先輩の指導でわかったのです。

 先輩は3時までやったこと、タクシー代を私に払わせたことについて一言も言いませんでした。言われなかったから私は自分の頭で考え、そして身についたのでしょう。

 多くの学生は「俺のやり方で何が悪い、何で先生はそんなに凝るのか」と不満に思います。本当はそれは自分のことであり、そこに彼自身の人生の落とし穴があることには気づかずに・・・

おわり