南カリフォルニア大学
南カリフォルニア大学のアウトライン
1880年に創設された伝統のある大学でアメリカの私立の研究大学として全米の十指に入る大学である.76の学部と122の大学院研究分野をもつ. 約28000人の学生が在籍し、最近では,4200人近くの新入生とトランスファ学生がいる.新入学の応募者数は入学生の約4倍で16000人程度である。 17000人以上の教職員を擁すし、教員は3215人である。この中で、工学部は1906年に発足し12学科で構成される。工学部は非常に良く組織化されていて、140名のフルタイム教員に多数の非専任教員が会社等から来る.学部学生は1600人(4年間)で大学院学生数は2200人であり、毎年,100人程度の博士号を出す。
研究は盛んで、研究費は年間80-100億円で過去6年間南カルフォルニア大学の研究費は全米二位をキープしている。 近くに航空機会社がある地域的なこともあり,南カルフォルニア大学は,航空工学科がレベルが高くそれに力を入れてきたが,7年前,航空機から電子工学、コンピューターサイエンスへ研究の組み替えを行った。最近は生命科学も含めている。
私立大学として出来るだけ良い学生を採ることが大切であるが、南カルフォルニア大学はアメリカの全国統一模擬試験に当たるSATの前に行われる"PSAT"を利用している.高校からいい成績の生徒の情報を教えてもらってその生徒をピックアップし,ダイレクトメールを送る.こういう努力の結果,工学部の入試の成績はどんどん上がっている.応募者は大体2400人で,毎年400人を入学させている.すなわち、SATで1600点満点中、入学生の平均得点は1300点で,比較的成績のいい学生をとっている.今年は1600点満点の学生も11人来たということである。
それでも入学者の多くが4年で卒業できると言うことではなく、70%が5年で卒業し、卒業した学生の50%が大学院へ行く。30%が二年で他の分野へトランスファーする。また、カリフォルニア州の他の大学と同様に南カルフォルニア大学は外国人学生の多いことが一つの特徴であるが,外国人は大学院生に偏っている。学部学生では外国人学生は5%程度であり、奨学金が充実していないことが理由である。外国人学生の多くはアジアから来ており、全外国人学生の60%を占めている。
修士論文は分野やコースで履修方式が異なる。何でも横並びを好み、少し選択を認めると「差別」ということになる日本とはかなり違う。たとえば,9コースワークでもいいし,8コースワーク+修論という組み合わせでもいいというようになっている.修士課程で修士論文を書かせるのは効果があるが,それでなくてもコースの中に必要なことはやっており,やらなくてもかまわない.学生に採って修士論文を書く負担も大きい.博士号の取得年数は論文を書いていいという試験を通ってから論文に着手するので大体2年から3年半.トータルで,3から4.5年かかる。
つまり、博士号の取得は学部出てから6~7年かかり、2年間は修士課程で主として学生のタレントを見極めるという目的であり、後の4年は博士課程で学問のトレーニングをする.昔からすると学部卒業からドクターの取得までの期間は延びてきた感じである。また博士課程をでてそのまま就職しない学生(ポスドク)も居る。
この大学では修士課程、博士課程の意義を次のように考えている。
「マスターなら指示したらやれるし、ドクターならプロとなるということであり、学部卒業の学生はトレーニングして,指示しないとできない。」
大学院でもかなり多くの講義の単位を取得させ、修士で30単位を取る。講義で単位を取るのはそれだけ実力が付くという考えであるが、学生に採っては1コース(3単位)=2000ドル、すなわち、20万円くらいかかるので,学生はそれなりに勉強も身が入る,
この大学は地の利が良く、付近の大きな企業が多い。そのため特に景気が良くなると企業からの大学院に入学する学生が大勢来る。そのため企業からの修士課程、博士課程の学生は一定の制限を設けている。例えば、博士課程の場合はは一年程度は大学の近くに住むことを要求しているし、論文提出のためのテストも課している。それに通って大学院に入学しても,5年以内に論文を提出しなければならないというような制限を置いている。
ティーチングアシスタント(TA)は土木工学場合、学部生200人,フルタイム教員21人,パートタイム教員25人に対して、23人である。これでTAとしての役割を果たすのには十分であるという。
教育の工夫
教育の中心的思想は「学生中心の教育」ということであり、そのためのいろいろ工夫をしている.例えば、来年から,4/1プログラムをスタートする.これは,4年の学部と1年の修士課程をあわせたものである.現在、大学院への進学は10%位の学生が南カルフォルニア大学から進学し.この数値で満足している.成績の最も良いものは,他大学の大学院へ行くし,それを勧めている.それは違う考え方にふれる方が幅が広がるからである.
大学はこれまでの知識中心の教育に対する反省があるし、社会も徐々に知識だけを重視した人はいらなくなってきた.土木でいえば,単に土木のことを知っているというのでなく,SAR(合成開口レーダー)とか,GPSなど利用できる最先端技術はどんどん使って行かないといけない.そういうこともあり,土木以外にEEの講義を進めている.
カリキュラムの改良面では学部には,ビジネス経済学や書き方講座、会話によるコミュミケーションなどの科目を設けている.修士課程のカリキュラムについては産業界の要求を毎年聞いて,それにあわせたコースを作っている.また,マルチメディアへも力をいれ、映画、アニメなども採り入れているし、衛星を使用した講義も行っている。日本の大学のカリキュラムは大学にとって神聖で犯すべからざるところと認識されており、産業界の意見を聞いて修正するなどと言う事はあまりやられていない。アメリカやヨーロッパでは多くの大学が産業界の意見を聞いている。大学の教育、特に工学の教育は産業界がいわば製品のユーザーであるから、その意見を聞かなければカリキュラムが出来ないはずである。しかし日本の大学では工学の教育というより人材育成を目指していることから、あまり教育の内容は問題にならないのかも知れない。
想像力を付けたり、応用力の養成の為に行われる、複数の専攻(主専攻、副専攻)という考え方で広く学ばせることも考えられるが、主専攻の学科としては学生の履修科目が減少するので、その結果収入が減ることになり,マイナスであるとこの大学は考えている.
アメリカでは様々な形で教育方法の改善を図っているが、ある講義では上に電子回路がのっており,センサなどが見える模型自動車を使っている.新しい教育の試みで学生の作った迷路探索のロボットである.1年生20人のクラスで,4~5のグループを作らせて,コンテストも行うのである.この種の試みはアメリカの多くの大学が行っており、日本より遙かに先生型の努力が違う。
アクレディテーションについて
新しい工学教育の試みも行っている。アクレディテーション(ABET)は熱心に対応している.査察を受けるのに大変な労力がかかるが,必要なドキュメントを用意したりして視察に備えている.ドキュメントは,講義のシラバス,担当の先生の履歴書,中間試験,期末試験問題,その回答のもっとも成績のいいもの,悪いもの,レポート課題など多岐にわたっていて、分厚いドキュメントになっている.実際に見せてもらうと分厚いドキュメントが床から机の高さよりも高く積まれていて、一見して大変な作業であることが判る。
これまでのアクレディテーションはどちらかというと教育システムはどの様に教育をしてきたか、ということを問題にしてきたが、ABET2000では教育の結果を評価をする.つまり,大学に置いてはプログラムの生産物である卒業生を教育の結果と見て認定されることになる.結果の評価の方法についてはいろいろ考えられている.例えば、教科書を理解しているかどうかをプレゼンテーションを学生にやらせて調べたり、基礎的な試験を受けさせたりする方法がある。そのための準備コースもあり、こうなると日本の予備校のようなものになってくる。FE試験合格を卒業要件とする方法もある。
成果の評価の手法としては「内部調査方式」、つまり自分の大学の卒業生に評価を依頼する方法や、「外部評価方式」、つまり大学の近くの企業の人に頼む方法などが有る。ジョージア工科大学もいまABET2000を受けている.
アクレディテーションはある面で画一化を産むという危惧があるが、アメリカではまずいと思えばすぐ文句を言うし,議論をして軌道修正していくので,そう簡単には画一化を促進することにならない.
プロフェッショナル・エンジニア(PE)資格はアクレディテーションでの重要である。つまりPEをもつ教授がいるかをABETでは調べるからであり、特にデザイン関係の工学ではPEの資格が大事である。アメリカでも昨年まではMITやカルテックとう有名大学はアクレディテーションを相手にしていないので、全ての大学が応じているわけではないが、この大学では1998年度にアクレディテーションをうけており、丁度アクレディテーションを受けるのが有利な大学のポジションの様である。
教育方法の改善では教育の仕方を大学内で高めるようなことはあまりやっていない。プリンストン大学やコロンビア大学でもやっていないし、個別の大学がやるよりもNSFなどを通してアメリカ全体でやる方が望ましいと考えている。たとえば、インターンシップは学生が夏休みなどに会社へいく集中的プログラムを一部で実施しているだけである。会社との関係ではCO-OPプログラムという方式を行っており、一人専任の人をおいて,会社と対応している.大学と企業の同意のもとに実地のエンジニアリング教育を行う.この方式は就職に関してもお互いに有利であり、5%位の学生がやっている.相手会社は100社くらい.単位は3単位を与える.レポートなどは要求しなし、評価は先方の会社に任せる.学部の方でおこない,大学院ではやっていない.CO-OPをとると学部の学生は4年で卒業できず,5年かかる.また大学間の相互協力についてはいくつかの大学が組んでやっている.たとえば,UCバークレー校、イリノイ大学はコースウェアをたくさん作っている.
この大学は優れた大学であるが、問題点が無いわけではない、その一つが教員の定年がないので,どんどん高齢な教授が増え,頭でっかちになり,経営的にも教育的にも問題が発生している。
アメリカの教育制度を日本に持ち込むことに私は常に批判的である。それは日本の風土とアメリカの風土の差によって起こる決定的な欠陥を予想しなければならないと思うからだ。例えば、南カルフォルニア大学の人が言うように、アクレディテーションが画一的教育に繋がらないためには、常に「文句を言える」という基本原則が必要である。アメリカは言論が許されているのでこれが出来るが、日本は自由な言論が許されていないので、文句を言うことが出来ない。形式的には文句を言えるが、村八分に遭う。村八分に遭うと生きていけないので、結果的に言論の自由はない。言論の自由の無い所にアクレディテーションを導入すると、教育は画一化する。
日本に言論の自由が無いのは国民性とか歴史にその原因を求めることも出来るが、基本的には自分の行っていることに自信が無いからだろう。何か文句を付けられると反論できないので、それを村八分で追いやるのである。村八分の方法はいろいろあり、「あの人はうるさい人だ」程度でも良いし、「変わり者」「理屈っぽい」「判っていないんだよ」程度でもかなりなものである。ある住民集会で「**さんは、天下りだそうだが」という質問に対して「そんな事を言うと訴えられる」という反論があった。後で弁護士に聞いてみると、「言論の自由とは、恐喝とか侮辱などでなければ、本人が釈明できる機会が有れば何でも言って良い」ということだ、と解説をされた。何か異論を唱えると、「あいつは委員会からはずそう」と相談するようなことが有れば、アクレディテーションは日本に導入しない方がよいということになる。