e-learning


 国土が狭隘で化石資源の乏しい日本が発展する道は、規制緩和でも不良債権処理でもない。工学と工業が世界で断然、高いレベルを保ち、それに向かって努力することである。

 日本が英米に宣戦を布告し第二次世界大戦がヨーロッパから全世界に拡大した直後、東洋の小国、日本の航空隊が大英帝国の戦艦プリンスオブウェールズを撃沈した。これはまさに衝撃的事件であだった。極東の島国、「フジヤマ、ゲイシャ」、そして刀を差し丁髷を結っている奇妙な国の雷撃機が、まさか皇太子の名を冠し七つの海を支配した大英帝国イギリスの戦艦を撃沈することなどありえないからだ。もし、日本の技術陣が戦艦と陸軍の突撃にしがみついていたらこんな奇跡は起こらなかっただろう。それは戦後の復興でも高度成長でも同じであった。

 "e-learning"は現在の雷撃機であり、「学校」という名の戦艦を撃沈する武器である。

 冬の寒い日、かじかんだ手を擦りながら図書館が空くのを待ち、僅かな知識を古ぼけた本棚から少しずつ得る苦労は無なくなり、「どこでも、いつでも、何度でもそしてどんな勉強でも」できる。それがe-learningの第一の貢献だ。第二は個性と能力に応じることができることだろう。だれでもウィンブルドンに出場できるわけではないが、テニスを楽しむことはできる。今までは何十人といる教室で個性と能力に関係なく一律の講義を受けるのだから、勉強がイヤになるのも頷ける。

 それでも"e-learning"がは爆発的に伸びないが、その理由は二つある。第一にe-learningを推進する機関が商業的収益を強調すること。教育はあくまで受け手てである学生の為に行われるものであり、それがたとえ社会人であろうとも「e-learningを導入すると教育経費がこれだけ減ります」などのコピーは教育とは相容れない。第二にe-learningを推進する主体である高等教育機関自体がe-learningを取り入れようとしないからだ。哲学や法学を専門とする文科系の人がITをが理解できないのでe-learningを忌避することがあっても、工学はその生みの親である。戦艦にノスタルジアを感じることなく、雷撃機で戦闘を行うことができるのは工学だけである。

 幸い、CPUが速早くなり、ハードディスクの容量が格段に増え、ブロードバンドが実現しようとしている。ITの機器はそれほど高価では高くないし、企業も大学も教育の連帯を望んでいる。技術者のレベル向上と新しい分野への転換、起業家としての力なども求められている。周囲環境は抜群によく、ここまで不透明な日本の中で"e-learning"だけが透明である。その透明性を活かして教育のグランド・デザインを描く。

 そのためにはまず、大学と企業が一体となって技術者の能力向上の教育システムを作ることだ。そこに日本の最高の「知」を集結する。240万人を擁する日本の技術陣は年間数十万円程度の参加費を支払い、生涯にわたり最新の技術を「どこでも、いつでも、何度でも」必要に応じて学ぶことができ、更さらに最新の技術情報をコンピューターから得ることができる。このことが実現できれば、技術者は自らの技術が陳腐化する懸念懼れから開放されるだろう。先生は若い人の知識の低下を嘆くかわりに新しい知識を豊富にもった技術者と快適なディスカッションを楽しむことができ、経済界は世界一のレベルを持つ技術者が次々と富を産んでくれることに満足するはずである。

何でも前向きに行こうではないか!