ゴミゼロ報道の真実


はじめに

 本研究は従来から進めていた「ゴミゼロ」と生産性についての研究に加えて、2000年7月13日の朝7時のニュース番組にて某社の工場で「ゴミゼロが達成された」という報道に基づいて調査した結果を整理した結果である。

 環境問題に対する社会的な意識の高まりとともに、第二次産業を中心として生産時の廃棄物を減少しようとする活動が見られるようになった。一定の生産をする時に、原材料の使用を削減すること(製造原単位の向上)、消費されるエネルギーの削減(省エネルギー)、そして生産に携わる人の削減(合理化、リストラなどと呼ばれる)などはいずれも国民が一定の物質的利益を享受することを基準として、そのための天然資源の使用、エネルギーの消費、人的資源の有効活用、そして総合的な意味での廃棄物の削減を行う上で有意な行為と考えられる。

 また、同時に社会は環境に対して意識の高い企業を評価するようになった。この活動は環境団体やマスコミ、専門家の発言などによって加速された。その過程では、「品質に優れ、安価な製品を供給する」、すなわちコスト・パフォーマンスに優れた製品を供給するということ、製造原単位が向上し、省エネルギーが進み、人的資源の投入が少ないということ自体が環境にすぐれた方向であるとの考え方を覆しているとは意識されなかった。この矛盾は様々な面で徐々に顕在化しつつある。

 その一つに「ゴミゼロ」と生産性がある。もともと生産性を向上し、コスト・パフォーマンスを上昇させること自体が環境に優れた製造方法であり、特に「ゴミゼロ」などを取り上げる必要は無いと考えられるが、日本のかなりの大企業が「ゴミゼロ工場」の「宣言」を行い、実行しようとしているのは、その意図が正しければ結構なことである。一定の生産を行ってゴミをゼロにすることは現在の時点では学術的には不可能であるが、これまで不可能と考えられていたことにチャレンジするのは適切であり、それも大企業が取り組むことは日本の環境を改善するにはきわめて望ましいことである。仮にこれができれば環境工学面での画期的な出来事であると考えられるからである。またその過程で得られた知見が公開されれば、波及効果を持つと考えられる。

 本報告は上記の視点にそって、生産活動をしながら「ゴミゼロ」が実現する方法の調査結果、「ゴミゼロ」がテレビで報道された内容が事実であるかについての追加調査結果についてまとめたものである。


1.  「ゴミゼロ」を実現する方法

 テレビで「ゴミゼロ実現」と報道された工場について、その具体的方法を調査し、その結果を日本の環境改善に資するために活用する目的で行ったが、対象となった企業の企業秘密のためにゴミゼロを実現する具体的な方法を知ることができなかった。その過程で、報道されたことが事実であるか否かの確信が得られなくなったので、調査の方向を変更し、事実の確認とその意味づけについて研究した。


2. 「ゴミゼロ」の真実性

 生産活動に対するゴミゼロの検証は、報道された工場を対象にして行った。私企業であっても環境問題に対する社会的責任があると考えられ、かつ環境に影響を与える情報の公開は原則として社会を構成するものが請求しうると考えられるが、それに加えて、対象工場は公共性の高いマスメディアが「ニュース」という形で取り上げたこと、対象となる会社が代価医者で環境問題に対して積極的な企業理念を有していることから、事実の入手が容易であり、従って適切な研究対象と考えたものである。

 調査の結果、次のことが判明した。

1) 対象となる工場では「ゴミゼロ活動」を1999年2月に達成して以来、現在なお継続中であり、工場内にゴミの分別施設、ゴミの担当者などを置き、きわめて精力的にゴミゼロの活動を行っている。

2) その結果、工場から「直接埋め立てされる廃棄物」として工場外にだす物質は2000(時期不祥)でゼロになった。
工場から排出される「使用できない原材料など」の多くは「リサイクル品」などとして、取引先に出している。この場合の「リサイクル」とは英語の「リサイクル(循環)」ではなく、高炉還元剤や路盤材として一部を利用することを意味する業界語として定義されている。すなわち「循環」を目的とせず、「再利用」を「リサイクル」としている。また「再利用」には焼却は含んでいるようであるが、国土を広くするという意味の「埋め立て」は含んでいないようである。

3) 取引先が「使用できない原材料など」をその後、どのようにしているかの数量的な調査は対象会社から資料の提供が得られなかった。

4) したがって、「使用できない原材料など」として工場から外に出た物質が「リサイクル」の真の意味のように本来の原料に戻しているのか、あるいは何らかの製品を製作する原材料として活用されているのか、または、そのまま全量「ゴミ」として引取先から出されているのか(いわゆる「ゴミの帳簿の付け替え」が実施されているのか)、を確認することはできなかった。報道を行った機関も確認は行っていないということであった。

5) 以上のことから、その工場から排出される「使用できない原材料など」について、その内容、量などは不明であるが、の報道(テレビ画面)から推定すると

「出荷基準に満たない製品や半製品、金属くず、プラスチックゴミ、使用後の紙、燃料として使用した時に発生する二酸化炭素、従業員の衣服などで古くなった物、寿命が来た建物の残骸、社員食堂の調理で出るゴミや残飯、工場内で使用して汚れた水、排水の中に含まれる固体および液体物、工場内を走行する輸送車やフォークリフトのタイヤの損耗や燃料など」

である。

6) 一般通念で言う「ゴミ」とは「使って役に立たなくなった紙くずや食物のくず、その他の廃棄物。(岩波国語辞典)」である。これに対して、その会社では「ゴミ」をより限定的に「ゴミとは従来から行政に埋め立てを最終処分とする「廃棄物」として工場外に出しているもの」という定義を使用している。報道の際に国語辞典ベースの概念で使用し、視聴者もそのように受け取ったと考えられる。

7) 著者らの研究室の調査では、老化したプラスチック、破損した陶器などかなりの部分が「使用不能な物質」であると考えられる。従って、以上のことを合理的に説明するには、今回報道された「ゴミゼロ」は「事実では無い」と結論した。すなわち、報道が「ゴミ」・「ゼロ」という用語を国語辞典に準呂して使用し、生産活動に際して排出される物質を総てリサイクルすることができないという原理的状況を覆すような証拠は得られなかった。

 以上の事実認定にともなって、関係する事象の検討を行った。


3. 「ゴミゼロ」に取り組む日本企業の姿勢とその意図

 現在の日本の大企業の中には「ゴミゼロ」活動を行っているところが多い。今回の調査を通じて、日本企業の「ゴミゼロ」活動は次の意図を有していると考えられる。

1) 一般的用語としての「ゴミ」を数量的な意味で「ゼロ」にしようとしていない。

2) しかし「ゴミ」を「ゼロ」にしようという運動をする事によって、少しでも廃棄物を減少させ、製造原単位を向上させようとしている。

3) 企業外に対して積極的に「ゴミゼロ」を発信しようとしているのは、「環境に配慮している企業」というイメージを意識しているからであるが、そのときに「ゴミゼロ」という表現が誤解を招くことを承知している。

4) メーカーは「製造活動を行って「ゴミゼロ」になるはずは無いのだから、その程度の「虚偽」は倫理に反さない」という判断がある。つまりもともと無理なことを言っていることはみんなが知っているので、少しぐらいの嘘は問題ではないという感覚である。

5) 従って、今回の場合も工場の外に出した「工場では役に立たない物質」が「ゴミ」として捨てられていないか、「ゼロ」は「数量的にゼロ」なのかについては関心がない。運動は環境とは切り離されて行われている。

6) そのため、今回の調査のような世間からの問い合わせについては「「ゴミゼロ」といってもゴミがゼロでないのは明らかなのになぜ調査などするのか?」という疑問が担当者にあるようだ。

7) 総じてまとめると、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の類で「ゴミゼロ」が嘘であっても多くの企業が嘘をついているのだから問題ないという考え方のように思われる。

8) 情報公開の社会的な動きに関連して、「「ゴミゼロ」を社会に対して宣言をしながらその内容を公表しない」という一昔前の企業の考え方を適応しているのも、ゴミゼロという問題が上記の環境にあるからであろう。


4. 報道機関の「ゴミゼロ」に対する報道姿勢

 一方、テレビ局や大新聞(ゴミゼロを同時期に第一面トップで報道)のような公共性の高い報道機関は、①企業の利害関係に関係なく、②用語の使用方法は厳格で、かつ③国民に誤解を与えることを避ける、ことに腐心しているはずである。それなのに比較的積極的に「ゴミゼロ」について報道する意図や報道姿勢はどこにあるのだろうか。次のことが考えられる。

1) 報道機関は現場を取材していない、現場の取材には限界があるなどの理由で、「「ゴミゼロ」工場は本当に「ゴミ」が「ゼロ」である」と錯覚している可能性がある。

2) もしくは、「ゴミゼロ」を目標に掲げている企業は、本心から「ゴミゼロ」を目標として活動していると錯覚しているので、環境に配慮している企業をもり立てようと思っている。まさか、「ゴミゼロ活動」を展開している企業が、本当はそれによってイメージを上げてより多くのものを販売しようとしているのではないと信じている。

3) あるいは、「ゴミゼロ」が虚偽であることは知っているが、嘘の報道でも環境が改善されればよいと考えて報道している。つまり「ゴミゼロ達成」という報道から国民を「本当に(国語辞典で定義されたような意味での)ゴミがゼロになった会社がある」と錯覚させることによって環境が改善されるのだから、嘘も方便という考え方である。

4) あるいは、公的な機関が「ゴミゼロ」という表現を使っている以上、それが事実でなくても報道は差し支えないと考えている。この考え方は「赤信号みんなでわたれば怖くない」に類似した考え方である。

5) もしくは、「ゴミ」や「ゼロ」という定義を「ゴミはゴミではなく、埋め立てを前提としない廃棄物」として用い、「ゼロ」はゼロでなくても、従前より少なくなれば「ゼロ」という用語を使用しても良い」としている。

6) もしくは「ゴミゼロ」などは国のレベルで推進しているので、無批判で取り上げるべきであると考えている。

などのいずれかであろうと考えられるが、今回の調査の段階ではテレビ局は「それほどの大会社という公の会社が宣言しているのだから、「ゴミゼロ」をそのまま信じた」とコメントしているので、おそらく1)であると考えられる。現在、報道したテレビ局以外の報道機関にも問い合わせを行っているので、報道機関がこの用語の使い方として、どのように考えているかが明らかになると思われる。


5.  将来の問題

 仮に日本で行われている「ゴミゼロ」が取引先の会社にゴミを排出し、それが結局何に使われているか追跡せずに、「ゴミゼロ」という表現を使うことが許されるとすると、「猛毒の物質を排出する会社が、その猛毒の物質を取引先に出し、取引先がその物質を危険な状態で放置しても、最初の企業は責任を問われない」ことになる。

 しかし、毒物のようなケースはすでに社会的に結論が出ていて、猛毒の物質を取引先に出したからという理由ではもとの会社が責任を逃れることはできないのである。「ゴミゼロ」の場合、「ゴミ」は毒物と同様に「社会的に問題があるもの」ということを前提にしており、その意味で「猛毒物質」より明白ではないが「社会に害を与えるものを出しているか、出していないかを問題にしている」とできる。

 また検討の軸が異なるが、著者らの研究によるとプラスチックなどは使用によって内分泌攪乱物質などを、残飯には発ガン物質を含むと考えられる。従って、ゴミを工場外に出すことは毒物を出すことと区別ができず、その中に毒物が無いことを確認する必要を生じる。

 今回の場合、意図的では無いことは明白であるが、結果として毒物や社会の害になる物質を工場外に出し、それによって対象工場は「ゴミゼロ」になった可能性も否定できない。


おわりに

 本件は、テレビ局の「ゴミゼロ」達成の事実報道が著者らの研究と正面から異なったことによって著者らが驚愕したことに端を発する。もとより著者らは日本の多くの会社が「ゴミゼロ」運動を展開していることを承知していたが、それは企業内の目標のようなものであり、外部に向かって宣言したり、公共報道機関がニュース番組で「事実」として報道しうるものでは無いと考えていたからである。

 報道は朝7時のニュース番組というきわめて鮮明な形で行われたので、工場は本当に製造を行いつつゴミをゼロにするという新しい方法を発見したのでは無いかと著者らが錯覚したもの無理からぬことと感じる。著者らの研究室は生産に伴ってゴミがゼロになることに対して否定的であり、かつ使用によって毒物が廃棄物に混入する事実を掴んでいることから、研究室の中には「どうせ虚偽の報道だから、問い合わせること自体が無駄」という意見があったが、それまでの自らの考えに拘泥することなく、「テレビの報道だから、本当にゴミがゼロになったのではないか。調べる方が正しい」という意見に従ってことも自然の成り行きと感じられる。

 しかし、現実にこの報道の内容を調査し始めると、一番簡単なこと、つまり「ゴミゼロである」こと自体を確認することができなかった。

 環境問題は「隠蔽」が必要な事項ではない。日本国民一丸となって将来の日本を築いていく行為である。それだからこそ、「ゴミゼロ」に取り組むことが環境に配慮する企業と連動しているのである。「ゴミゼロ」や「ゼロ・エミッション」のような学問体系に反することを宣言することは、まことに勇気ある行為であり、評価できる。それであるからこそ、当事者は自信を持って事実の公開の応じて欲しかった。本件が真実であったかは、本件以外の調査を深めることによって、今後の研究で明らかにしていきたい。


おわり