リサイクルと有害物質(その2)

 大量生産・大量消費は環境を汚染するか?

 

 かつて、環境問題と言えば大気の汚染と水質汚濁であったが、この2つは1970年からの技術開発によって大きく改善された。すでに大気中の二酸化硫黄(亜硫酸ガス)、NOX(光化学スモッグの原因)などはかなり低いレベルになり、水質の改善はまだ十分ではないが、COD(化学的酸素要求量)、BOD(生物学的酸素要求量)も低下している。


図 18 大気中の二酸化硫黄の濃度の推移


図 19 日本の河川の環境基準合格率

 環境問題として意識されているかは別にして、関連する重要な問題に「食品添加物」と「農薬」がある。太平洋戦争後、高度成長の時期に食品添加物が増大し、健康への被害が心配された。特にズルチンを中心とした合成甘味料やグルタミン酸ソーダなど、なじみ深い添加物が「有毒」とされた。
 食品添加物について正しい知識を教えるという意味では、
1) 食品添加物を使うことによって腐敗などを防止し、食の事故を減らすことに役立っている
2) 食品添加物として認められている化合物は、安全性が確認されている。
3) 食品添加物はほとんど増えていないので、実績がある。
4) 危険な食品添加物を使用していた時期も含めて事故はほとんど起こっていない。
5) ヒ素ミルク事件、カネミ油症事件など食品添加物とは無関係の事件が混同されている。
 食品の安全を守るためには、「形式的な安全」より「実質的な安全」を高めて行かないと、全体が不合理になり、被害者を出す可能性がある。その典型的な事件がお菓子やフグに含まれていたホルムアルデヒドやアセトアルデヒドの問題で、社会は「許可されていない添加物が含まれている」ということで事件となったが、自然の食品の中に100倍以上含まれているようなものを単に「行政的に指定されていないから」という理由で排除すると規制全体がゆがんでくる。「危険な食」というのはあくまで「被害が出る可能性のある食」としないと、食が単調になりそれによる障害が心配される。

表 1 食品中のホルムアルデヒド、アセトアルデヒド

 農薬も分解性、蓄積性などが慎重に検討され、現在、日本で許可されている農薬は安全である。また海外からの商品の検査態勢も十分であり、日常的に心配しなければならないレベルにはない。むしろ、マスコミをはじめとした一部の人たちが農薬の危険性を強調し、その結果「野菜を洗剤で洗う」「水道水が怖くて飲めない」「母乳が汚染されていると心配して赤ちゃんにミルクを飲ませる」というような過剰な反応も見られる。このようなことの方が遙かに健康被害が大きい。
 毒性物質という点で食品添加物や農薬のような「幻想としての毒物」ではないものに、「食品中の毒物」と「廃棄物中の毒物」がある。食品の中に自然に含まれている毒物はかなり多く、現実的にも危険である。このことは、食の専門家と主婦の感覚の差としても認識されている。

表 2 食の危険のベストスリー(専門家と主婦)

 以上のように、大気、水質、農薬、食品添加物など社会で「環境が汚れている」とされるものはかなりはっきりと改善されていて、環境に対する錯覚がみられる。
 むしろ問題は廃棄物中に含まれる有害物質である。これは現代の工業製品の中には鉛、ヒ素、水銀などが土壌中の規制値の10,000倍以上含まれているということに原因している。このことは二つの危険性を暗示している。
1) 日本の物流で非回収の有害物質がどこに行っているか?
2) リサイクルにおける有害物質の蓄積
 水銀、鉛、ヒ素などは毎年、かなりの量が製造され、国内で販売されている。例えば、鉛は自動車用バッテリーの他、テレビのブラウン管の他に薬品や添加物として使用され、水銀は蛍光灯に、ヒ素などは電子機器に使用される。各自治体はこれらの有害元素の回収につとめているが、
表 3に示したとおり、現在のところ自動車用バッテリーに使用されている鉛以外はあまり良好な回収率が得られないので、ほとんどの有害元素は半分も回収されておらず、回収はあまり進んでいないと言える。

表 3 元素回収率(環境省HP, 鉱物資源マテリアルフローデータブックより作成)

 これらの回収率は「そのまま社会に知られるとまずい」という理由もありあまり熱心には研究も調査もされていないが、いずれ国土に蓄積していくという点では広い意味での国土の保全に関係がある。将来に大きな問題を残す可能性があるので、現実の値をよく調査し、その状態を明らかにすることが必要である。
 また、廃棄物は原則として「汚い」ものであり、毒物の除去プロセスを有さないリサイクルは危険である。特に食品のリサイクルとして堆肥などに使用する時にはかなりの注意を要する。この問題の抜本的な対策は有害物質の量を自然界に近づけることである。


図 20 リサイクル率と毒物の蓄積(水銀当量換算)

 一方、これら「毒」というものをもう一段、深く考えてみると、一般に化合物を「自然」と「人工」、「無毒」と「有毒」に分類すること自体に問題がある。人間が何かを合成するという時には自然の力を利用するので、「自然にない人工物」というものはほとんど無く、また「無毒と有毒は量と生物種によって変わる」と考えなければならない。従って、正しい表現としては、「なにが毒物であるかは、その量と生物の種類を特定しないと決められない」ということで、ある化合物や元素をよく研究しないで「有毒」というレッテルを貼るのは容易である」と言える。
 毒性に関するこれらのことはかなり複雑なことではあるが、環境や健康というもの自体が複雑であり、それを過度に簡単化して理解する時にはきわめて慎重な方法を選択しなければならないだろう。特に次世代を担う子どもたちには人間の体、自然の成り立ちを良く教え、本質的には「有毒、無毒」という分類自体が無意味であることを何らかの形で伝えることが、過敏症などで苦しむ子どもを出さないためにも必要である。

第四回 終わり