幻の環境ホルモン

 現在の日本では「環境に配慮する」というのは江戸時代の「葵の御紋」のような威力があって、とにかく、何が何でも「環境」と言えばことが足りる時代です。でも人類は今から40年前にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で環境問題を指摘するまで、環境にはほとんど何の注意も払ってこなかったことや、「沈黙の春」が出版された直後には、アメリカで“著者バッシング”がものすごかったことを考えると、現在のように「環境」が錦の御旗になったことは、本当に隔世の感があります。

 さらに日本で環境に注目が集まったのはバブルの崩壊以後ですから、1989年以来15年間の出来事です。「環境」という問題が人類社会の基本に関わり、時間的にもかなり長期的なものであることを考えあわせますと、生産中心の時代から環境へと、いかにも日本的な変わり身の早さとも言えます。

 このように、あまりに環境に対する軽薄な動きに対して批判的な立場をとる人もおられますが、私はそうは思いません。確かに気がつくのが遅かったのですが、「環境」は今後の社会で大切なのですから、経緯にあまり拘らずにいろいろ考えていくことは大切かと思います。

 でも、「環境が大切」だからと言って、事実を把握する時に恣意的(自分のしたい方向へ無理矢理、結論を出すことなど)だったり、科学の衣を着せないと人が納得しないので、科学のように見せているが、その実、内容はその人の損得や感情が先にあって科学的ではない(非科学)と、せっかくの環境への取り組みも途中で挫折するか、分裂してしまいます。

 環境のようなどちらかというと感情的になりやすいものこそ、「事実」→「解析」→「意見」→「感情」の順序を守り、しっかり段階を踏んでいく必要があります。つまり、「熱き心」と「冷静な判断」が共存することが期待されます。

 この「科学と非科学」というシリーズでは現在の環境問題を中心として、科学的なことのようで実は非科学、というものを少し取り上げたいと思います。話題が環境以外にも発展するぐらいシリーズが長く続くことを期待しています。

 第一回の話題は「環境ホルモン」です。環境中にあるわずかな物質が人間や生物の生殖系を乱すということがその中心です。たしかに、現代は化学物質の消費量が多いので、人間が作り出す新しい化学物質が自然を破壊したり、動植物を痛めるという可能性があります。そのような「不安」の中で「環境ホルモン」(内分泌攪乱物質と呼ばれることもある)という言葉が誕生しました。

 火付け役はアメリカの薬学者シーア・コルボーン。彼女の著書は”Stolen Future”(失われし未来)です。彼女は50歳ぐらいになった時から環境に興味を持ち、大学院で勉強し、特に動植物に蓄積する化学物質の研究を行いました。彼女のバイタリティーは立派なものです。

でも多少の問題がありました。彼女が最初から化学物質に対する不安を持っていたのか、あるいは研究の途上で事実を発見したのかは明らかになっていませんが、ともかく彼女の研究が世間に登場した時には極めてセンセーショナルな形で登場しました。

 「失われし未来」、つまり人間が作り出す化学物質が動物の体に作用し、ホルモンの分泌を異常にして生殖機能を損ねる・・・そして最終的には動物界は子供ができなくなる・・・という衝撃的学説を唱えたのです。学会における彼女の活動が社会的であったこともあり、内容が刺激的だったし、さらに加えて「測定できないほどの微量の物質の長期的影響」ということで、なかなか反論がありませんでした。

 環境ホルモンのその後の経過はここでは全部省略することにして、日本では当時の環境庁が約70種に及ぶ環境ホルモン疑似物質を発表して注意を呼びかけましたが、昨年、すべて取り消しました。その機会に私は再び”Stolen Future”を読んでみたところ、次のことが判ったのです。

 彼女には最初に「このまま化学物質が増えると、必ず生物に悪い影響がある」という不安があった。そして「そのような眼で自然を見ると確かにそのように見える現象がある。」というものでした。科学をあまり経験していない人にはあるいはわかりにくいかも知れませんが、科学は仮説に基づいて研究を行うことが多いものです。この場合ですと「化学物質が生物に悪い影響を与えるのではないか」というのが仮説ですが、仮説は必ず事実によって検証しなければなりません。

 仮説の検証を行う時には、自分が立てた仮説が間違っていないかという批判的な眼で自らの仮説を検証していく必要があります。彼女の場合、それが反対で「自分の仮説に適合するものはないか」と探しているのです。そうすると自然界は複雑多岐にわたりますので、様々な仮説がそのまま成立してしまいます。

 動物の生殖器に影響を与える微量物質・・・人工的に合成された化学物質の中にそのようなものがある・・・そのような例はないかと探したら海生動物に見つかった・・・性器の異常、精子の減少、そして極端な場合はメスがオスになったり、オスがメスになったりする・・・そう言われると最初から「化学物質は危険だ。何が起こるか判らない」と心配している人はそのまま信じてしまいます。

 ある日、突然、大人のオスがメスに変わるなど一般の人には信じられませんし、また衝撃的です。でも海生動物、例えば魚などの中にはメスがオスに変わる魚はかなり多くありますし、オスとメスが自由に変わるものも珍しくはありません。

 集団で生活している魚の群れではその中の一匹が「オスになった魚」で、その「オスになった魚」が何かのことで死ぬと、それまでメスだった群れの魚の中で一番体の大きいメスがオスに変わります。このようなことが起きるのは、敵と戦う時に体が大きい方が有利だからです。生物の進化からいうと「体の一番大きいメスがオスに変わる体を持った魚が自然淘汰に打ち勝ってきた」と言うこともできます。

 また、性転換が容易に起こる魚としては、マハタ、キュウセン、キンギョハタダイ、オウムブダイ、キダイ、コウライトラギスなどが知られていて、オウムブダイの写真を示しましたが、特別な魚ではありません。またオスとメスが入れ替わることができる魚にハゼやボラがいますが、ダルマハゼ、オキナワベニハゼ、ホンソメワケベラなどもその一群です。

   
(オウムブダイ(左)とダルマハゼ(右))

 オスとメスが入れ替わる時、もちろん性器ばかりではなく体全体の形も変わります。生物界の常識は人間社会の常識とは少し違うところがあるのです。

 目の前のオスの魚がメスに変わるところを撮影して、その時に海の水の中の化学物質を測定すれば、現代の海のことですから微量の化学物質が検出されます。特に東京湾のハゼと東京湾の中の化学物質を測定することは容易ですから、例えば「化学物質でオスがメスになる」という仮説をこのような形で「確認」することができるのです。

 でもこの方法は科学的には間違っています。なぜならば、ハゼは化学物質が原因して性転換を起こしているのではないからです。2つの現象が互いに関係しているかということを「因果関係」と言うことがありますが、化学物質と性転換の因果関係はもっと事実を集め、慎重に考えなければならないのです。

 自分が化学物質が嫌いか好きかは本人の自由ですが、嫌いだからといって「濡れ衣」を着せてはいけないということでもあります。かくして、「環境ホルモン」という衝撃的な事件は多くの人に不安を与え、中には神経的に参った人やストレスがたまって病気になった人もいるかも知れません。「安全サイド」とは神経が太く、恵まれた環境にいる人のことで、社会には心配性の人がいることをよく考えなければならないでしょう。

 現在では当時、「環境ホルモン」として騒がれた物の多くが、内分泌を著しく損なうものではないことが判りました。「化学物質を追放せよ。環境ホルモンが人類を滅ぼす」というのは幻想であり、科学ではなかったのです。

おわり