工業化の歴史と環境
1. 19世紀
蒸気機関というと誰でもジェームス・ワットを思い出すが、人間の生活を大きく変えたこの巨大な発明は4つの段階を経て完成した。まず、1654年、ドイツのマグデブルグ市長のオットー・フォン・ゲーリケがボヘミヤ王の前で「真空の力」を実演したところから始まる。二つの半球をあわせてその中を真空にして、8頭ずつ、合計16頭の馬で引っ張らせたこの有名な実験は、「真空に力がある」ことを初めて五感で感じさせたという点でも画期的なものであった。
![]()
(市長ゲーリケと半球)
![]()
(16頭の馬で引く)
科学の内容をこのぐらい簡単にしかも正確に示すことができればと願うばかりだが、この話は「パッキングはどうしたのだろう?真空ポンプは?」とつい工学的なことに考えが及ぶ。
次に登場するのは、マグデブルグから70年後の1712年、トーマス・ニューコメンがダドリー城の地下水のくみ上げにこの「真空の力」を使った蒸気機関である。当時、お城はおおむね山の上にあり、下僕や水くみ女が毎日、谷底に水をくみに行っていた。ニューコメンが作った蒸気機関はそれを機械の力に買えた。1rpmで46 メートル下から水をくみ上げることができたこの蒸気機関は、毎日、馬50頭で石炭を要した。つまり、現代の風力発電や太陽電池と同じネットエネルギーが問題となる機関だった。
![]()
![]()
(ダドリー城の蒸気機関) (ニューコメンの蒸気機関の構造図)
それから60年後の1788年、ジェームス・ワットがシリンダーに2ヶのバルブと復水器をつけた蒸気機関を発明した。
![]()
![]()
(ワットの蒸気機関の構造図) (トレヴィシクの高圧蒸気機関)
多少、工学の素養がないとニューコメンとワットの蒸気機関のどこが違うか区別がつかないだろう。ボイラー、シリンダー、可動部分など全て同じである。ワットはシリンダーを暖めたり冷やしたりせずに、復水器で蒸気を凝集させて真空を作った。その結果、シリンダーは常に熱い状態で蒸気機関を動かすことができる。そのほか、シリンダーの隙間の処理、遊星歯車の発明(回転運動)、フライホイール、遠心調速機などの発明と組み合わせ15馬力まで出せるようになった。
工学とは原理そのものではないことを教えられる思いがする。
工学は科学的原理をどうしたら人間社会に役立つようにするかにあると考えられ、その意味でマグデブルグの科学的実験をそのまま装置にしたニューコメンより、「復水器」という地味なものをつけたジェームス・ワットが蒸気機関の父としての名誉を得ることになる。(「ニューコメン」というエネルギー単位はないが、ワットはある。)
それでもワットはボイラーを高圧にするのには慎重だったが、1802年、リチャード・トレヴィシクが高圧蒸気機関を発明し、ニューコメンの蒸気機関から90年後に蒸気機関は完成したのである。この蒸気機関を見ると全身が鉄で固められており、陶器と木材で作ったニューコメンの機関とはずいぶん違う。
ところで、蒸気機関の燃料には石炭が使われたが、鉄を作るには石炭中のイオウが邪魔で木材を使わざるを得なかった。その結果、イギリスの樹木はたちまち枯渇し、木材を求めてアメリカ大陸にまで進出した。つまり蒸気機関による生産拡大が環境問題を引きおこし、それが、コークス高炉、ベッセマー転炉、そしてトーマス法という3つの製鉄技術を生み出し、石炭と鉄の時代を作ったのである。
環境問題と生産の問題は20世紀後半にだけ起った問題ではない。太陽エネルギーでできる持続性資源である樹木と、19世紀初頭のイギリス産業はバランスがとれなかった。そこで「石炭」とそれを使うことができる「技術」が登場したと言えよう。
2. 20世紀
ジャンボジェット機が着陸する時、もしゴムが使えなかったらどうなるだろうか?鉄の車輪で着陸することになり、乗客は負傷し滑走路は穴ぼこだらけになるかも知れない。材料とは適材適所である。現代の材料はその特徴を行かしてさまざまな種類とさまざまな用途の組み合わせでできている。
1839年、アメリカのチャールズ・グッドイヤーは偶然に天然ゴムの加硫を発見し、弾性があり強靱なゴムが誕生した。近代ゴム工業の始まりであり、すこし広くとらえれば高分子工業の誕生でもあった。その後、ドイツの石炭や染料産業を駆動力として有機化学が発展し、19世紀末には新しく発展した学問を活用するレベルに到達していた。
20世紀がまさに明けようとしていた1898年、不安と希望を抱きながら若き青年、レオ・ヘンドリック・ベークランドがコダック社の副社長に会うためにニューヨークの雑踏を小走りに歩いていた。誕生間もないドイツの有機化学を勉強したベークランドは、「光の感度の高い感光紙」を研究した。コダック社は彼の研究を評価し買い取ろうと申し出たのである。もちろん、ベークランドはどこの研究機関に所属しているということもなく、町の一発明家にすぎなかった。
コダック社がベークランドに申し出た技術対価はこの若き科学者が予想していた額の100倍に近い当時のお金で$750,000も及んだ。ベークランドはコダック社から提供を受けた資金を二つに分け、一つを生涯の生活費に、もう半分でニューヨークに研究所を建て、「余生」を研究の楽しみとともに過ごすためであった。後のマックス・ウェーバーが鋭く指摘した「職業としての学問」がまだ成熟していないころの古き良き時代のことだったのである。
当時、まだ石油化学というものはなく、石炭を原料に使った化学工場が動き始めたときだった。すでに鉄鋼や銅、そして無機の瀬戸物は構造材として、あるいは生活の中で使用されていたが、プラスチックは出現していない。人間が使う「有機材料」は天然からの木材、皮革、動植物からの繊維、ゴムなどだった。
物質生産の拡大は必然的に有機材料の使用量を増やし、それは必然的に「多くの命を奪い、自然を破壊する」という現象をもたらした。鉄鋼の増産がイギリスの森林を丸坊主にしたように、物質生産の活動は動植物の命の生産量とのバランスを欠いてきたのである。
アメリカ人はペンキが好きである。日本では「生木」が尊重されるが、アメリカではペンキを塗る。家でも家具でも華やかな色で飾り、その中で生活するのが好きだったのである。
ペンキの原料としては「ラックカイガラムシの家」が非常に重宝だった。ラックカイガラムシは東南アジアに生息している小さな虫で、母親が自分の体自信で家をつくり、子どもがその家の周りで遊ぶ。危険を感じるとサッと「おかあさんの家」に飛び込む。
![]()
(ラックカイガラムシのお母さんと2匹の子ども)
アメリカはこの虫を年間15億匹輸入してすりつぶし、ペンキの原料をとっていた。ペンキの量が増えるとラックカイガラムシの命が減る。自然が生み出す命の量(インプット)と人間が消滅させる命の量(アウトプット)は20世紀の初頭、明らかにバランスがとれなくなっていた。
そこでベークランドは人間に必要な有機材料を得るのに「今、生きているもの」を使わずに「すでに、死んだもの」を使えないかと考えた。人間はどんなものでも自然から得なければならない。「人工的な化学物質」などと言われるものは無いのだから、選択の問題なのである。
コダックからの資金で生涯、生活の糧を稼ぐ心配がなくなったベークランドは、それが良い方に働いて、今度は「生活の為には必要のない発明」をした。それが後に主力プラスチックの一つになる「ベークライト」だった。
![]()
![]()
(ベークランドが使った反応釜) (「ベークライト・ラッカー」の最初の宣伝)
ベークランド(Baekeland)がベークライト(Baekelite)を発明したのが1907年。その後、1924年にStaudingerが「高分子」という概念を打ち立て、今日のプラスチック、繊維、そしてゴム産業が誕生した。
19世紀初頭と同様に、新しい科学技術は「環境破壊をどのように回避するか」という問題をドライビング・フォースとして発達してきた。生き物を殺すのは「自然に優しい」はずはない。
3. 21世紀
1972年、国連の委託を受けたMITのメドウスの研究は世界に衝撃を与えた。当時、発達し始めたコンピュータを使ったシステム・ダイナミックスが使えるようになり、メドウスは「地球方程式」を立てて、それを解いたところ、驚くべき結果を得たのである。
![]()
計算の結果によると、20世紀は良いが21世紀は資源が無くなるとともに、食料が無くなり、汚染が拡がり、30億人が餓死するという訳である。世界は驚愕しそれによって「石油ショック」「環境問題」が勃発した。
しかし、考えてみるとこれは当然の成り行きである。
19世紀に鉄を掘るようになり、20世紀に石油を掘るようになった。いずれも最初は「自然環境を守る」という目的であった。鉄と石油を掘れば、鉄と石油がなくなるのは当然である。それを単に指摘したに過ぎない。メドウスの10年前の1962年にレイチェル・カーソンが執筆した「沈黙の春」もアメリカ社会に衝撃を与え、DDT、ダイオキシン、農薬、塩ビの追放運動へと発展したが、これも当たり前のことを指摘したに過ぎない。
すなわち「殺虫剤をまいたら虫がいなくなった」ということである。別にDDTや塩ビが人間に害をなすわけではない。あまりに当たり前のことが理解できなくなった時代とも言える。
つまり「自然とのマスバランスが壊れたから、地下に頼れば、地下が無くなる」「マイマイガやハマダラ蚊を退治しようとすれば、虫はいなくなるが、人間の寿命は延びる」ということに過ぎない。これほど当たり前のことに驚いたのだから、判断が間違うのもまた必然的だった。それが「塩ビは毒だ」「循環型社会に進もう」「自然の利用は環境に優しい」という錯覚に結びついたのである。
4. 行為と結果
人間の行為は「当面のこと」を片づけることはできるが、その行為の真なる目的を解決することはできない。多くの場合、それは反対になる。
たとえば、「省エネルギー」がその典型的な一つである。環境に優しいということで、省エネルギーの努力をして、エネルギー原単位を上げる。この行為はそれだけをとればエネルギー使用量を減少させるが、ある機関全体では効率があがり、自由に処分できる資金が増え、結果的には少し資金の使用量が増大する。これを社会全体で見れば、エネルギーの使用量が上がる。
![]()
(紡績機の改良と生産量)
また産業革命の時には、紡績速度を速くする目的は「これまで一人で10時間かかっていたのを、短縮しよう」ということ、つまり省エネルギーであった。その結果、ジェニー紡績機やウォーターフレーム紡績機が発明され、10時間かかっていた作業が1分になった。その結果、1)最初は必要とされる糸の量が同じなので労働者が首になり 2)糸が安くなり 3)需要量が増え 4)また労働者が雇用され 5)また一人で10時間働くようになり 6)さらに競争が激しくなって14時間になる・・・という経過をたどる。
紡績速度を高める目的は、「労働を楽にしよう」ということであったが、結果は「糸の生産量が増える」という結果になった。目的と結果はかくのごとく違う。環境にはこの例のように「行為」が「結果」とは正反対になることが多い。リサイクルなどもその例であり、リサイクルすると目の前のものは有効に利用されるが、日本全体の物質使用量は増える。その逆は大量生産で、大量生産すると環境は改善される。
![]()
(大量生産の方が環境が改善される)
環境問題に関する現代の幻影はかなり社会に深い傷を作りつつある。そのいくつかの例を示す。
A) ダイオキシンは毒物ではない。すでにそれは学問的に明らかになりつつある。それはDDTも同じで、長年の大量生産は犠牲者を出さす、ボランティアによる人体実験においてもでも、安全が確認されている。でも社会はそう思ってはいない。
B) 生物が爆発的に繁栄した6億年前からの平均気温では現代の地球の気温は低い。現在は第二氷河期という大きな時代のなかの間氷期であり、生物分布は著しく赤道直下に偏っている。また、「森林が二酸化炭素を吸収する」「燃料電池自動車は二酸化炭素を出さない」「新幹線は航空機の10分の1の二酸化炭素排出量である」など科学的事実に反することが科学技術時代に長く意義を唱えられていない。
C) 材料は劣化する、エントロピーは増大する、拡散損失は回復できない・・・工学が19席世紀以来、蓄積した学問をリサイクルは無視している。もしリサイクルが物質資料量を増大させ、循環型社会がマボロシなら、工学に取り組んでいる若い技術者に申し訳がない。
21世紀初頭、社会と科学が新しい時代への胎動期にあることは間違いなく、科学が19世紀、20世紀と同じように直面する環境破壊をみずからの打ち立てた体系を信じ、決して後退することなく、その力で解消しうるかが問われている。
最後に著者の個人的見解をすこし述べさせて頂きたい。
工学は科学の原理を利用して人類の福利に貢献するものであり、自動車が多少の欠点を持っていると行って(ノーカーデー)などのように社会から排斥されるべきでなく、廃棄物貯蔵所が満杯になるというような地方自治の処理の問題でリサイクルや分別で生活を圧迫するのは残念である。このようなことが必要なら工学の力でやりたいものである。
参考図書
1. C. Darwin:"On the Origin of Species", John Murray, London, (1859)
2. Brown H, The Wisdom of Science, (1986), Cambridge University Press
3. オルテガ・ガセット、桑名一博(訳)、「大衆の反逆」排水社 (1991)
4. マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳):"職業としての学問",岩波書店, (1982)
5. 武田邦彦、「エコロジー幻想」、青春出版、(2001)
6. 武田邦彦、「二つの環境」、大日本図書、(2002)