環境に対する私の考え方(改訂)
(読者の方から初版の間違いを指摘して頂きました。その場所を修正すると共に、少し加筆をいたしました 2004.06.03)
レイチェル・カーソンがアメリカの湖沼の鳥などの動物を詳しく観察し、その結果を「沈黙の春(Silent Spring)」という本にまとめて出版したのが現在の「環境問題」の発端でした。カーソンが本を出したときアメリカを中心として世界中が「環境が大切だなんて!気が狂っているんじゃないか!まずは生産だ。」と反応したことは、今では信じられません。たった40年前のことです。
かく言う私も1960年代は基礎的な領域とはいえ、生産効率の改良に関する研究をしていました。日本もちょうど高度成長のさなかにあって、多くの日本人が生産量の拡大が将来の幸福につながると信じて日夜、努力していたのです。
でも、発展は長くは続きませんでした。「どの程度が適切か」を考える間もなく環境問題が起こってきたのです。そして、現在の「環境問題」は、資源の使いすぎ、買い物しすぎ、捨てすぎなどが原因となっている訳ですが、その原因を作ったのは近代ヨーロッパで起こった「宗教革命」と「産業革命」の2つと考えられます。
18世紀を中心として進んだ産業革命によって糸を紡ぐ紡績機の性能(糸を紡ぐ速さ)が約200倍になりました。それまで一人一時間あたり一所懸命紡いでも100㍍しか紡げなかったのですが、100年間の進歩で20,000㍍も紡げるようになったのです。この進歩がもし宗教革命以前なら、糸を紡ぐ人は機械の発明によって仕事をする時間が減り、楽になったはずです。でも結果は反対でした。紡績速度が速くなった分だけ、糸を多く生産してしまったのです。
なぜ宗教革命が関係があるかというと、宗教革命によって少なくともヨーロッパでは「一所懸命働くことは良いことだ」という考え方が定着したからです。
現在の日本に住んでいると「一所懸命働くということは良いことに決まっている」と思われますが、人類がそのような価値観をもったのはそれほど古くはないようです。わずか150年ほど前まで続いていた江戸時代でも、またヨーロッパのゲルマンの時代も、人々は時間を惜しんで仕事をするということはなく、その日その日で満足できる程度に仕事をしてそれで終わっていたようです。
江戸時代には「ガキとカカアの飯を稼いだら、あとは自分が満足するだけ」と言われていましたが、多くの人にとって余分に働くというような考え方は無かったのです。
でも、「機械が進歩する」のも、「一所懸命働く」のも悪いはずは無いのですが、この2つが一緒になると、結果として「モノをどんどん消費し」「忙しくなる」という意外な結果を生むのはある程度、当然かも知れません。
それから以後というもの、機械が改良される毎に、生産量が増え、労働は厳しくなってきました。改善の努力は永遠で、地球は有限ですから、いつかこの関係は破綻するはずで、現代の日本も同じ状態にあります。
そして、「環境を改善するため」に「省エネルギー」が行われますが、エアコンの消費電力が減っても、家庭で電気をこまめに消しても、省エネルギーの努力は結果的には「エネルギーを余計に使う」ことになっています。なぜ、そうなるかの理屈は複雑ですが、産業革命以来の状態が同じように続いていると理解すれば簡単でもあります。
省エネルギーほど環境の改善に役立ちそうなものすら逆の効果を示すのですから、ましてリサイクルやゴミゼロなどの「物質に注目した環境改善」などが矛盾に満ちているのは当然とも言えます。多くの環境改善運動は善意で行われていますが、それがかえって環境を悪くしているので、私は胸が痛みます。
環境問題の解決にはたった一つの道しかありません。
現在の先進国に住む人間は「生物としての人間」、つまり生存する為に必要なものだけを使う状態からみて、10倍以上の物質を使っています。このことは拙著の「リサイクルしてはいけない」やその他の方の本にも細かい数字や理論が書かれています。ただ、ここで「何倍」というのを正確に計算するのはなかなか困難です。単に生理的な必要量は明確ですが、人間という生物をどのように考えるかによって多少違ってくるからです。
そして、生理的に必要とされる物質以外の物質はみんな人間の「心を満足させるため」に使われる物質です。心を満足させる為に使う物質が悪いということではありませんが、人間はそれがあまりにも多いのです。
つまり動物なら四六時中、エサをあさっていますが、人間は計画的に食糧をとるので、一日3時間程度が食事の時間という人も多いのです。そうすると、寝る時間を8時間としてあとの13時間が"暇"になります。そこで「暇なときに心を満足させるために使うもの」が必要となりますが、仮に生存に必要な物質が現在、わたし達が使っている物質の10分の1なら、暇をつぶすための物質が全体の90%を占めることになります。
つまり、環境破壊の原因になっているのは人間の精神活動が原因しているとも言えるのです。もし、人間が生きるために働く時間以外の「暇な時間」を、物質を使うのではなく、精神の活動で満足することができたら、環境問題は一気に解決する可能性があります。
わたし達は「暇な時間」に物質を使わないことは出来ないでしょうか?何にも使わないということは無理にしても簡単なものを使ってみんなで汗を流すとか、ゆっくりとベンチに座って一日、本を読むとか、愛犬と散歩をするとか、豊かでゆっくりとした人生の時間を使えば、ゴミ問題もリサイクルも省エネルギーも必要ではなくなってきます。