リサイクルは本当に無意味なのか?

(その2) 給料と環境を考える


 リサイクルに真面目に取り組んでいる人の為に、これまでの5年間のリサイクルの実績を考え、なぜリサイクル材料が使われないのか、なぜほとんど外国に持って行かれるのか、そしてなぜほとんどを焼却しているのに、リサイクルと読んでいるのかについて基本的なことを「その1」で整理しました。

 「その2」では、もう少し本質的に「もともとリサイクルは意味があるのか?」ということを「環境に優しい生活」という例を通じて考えてみたいと思います。


 ある人が1ヶ月30万円で生活をしていたとします。ある日、思い立って環境に優しい生活をしようとして節電し、タクシーを止めて歩き、できるだけエネルギーや物質を使わないようにしました。そのようにすると25万円で生活できるようになり、5万円が余まったとします。
 
 この5万円をどのようにしたら、この人の最初の目的、環境に優しい生活ができるのでしょうか?もし、この5万円ですこし贅沢にエアコンをつけっぱなしにしたら、当然環境に優しくありません。そこでこの5万円を銀行に預けると、銀行は企業に貸して企業がその5万円を使います。

 銀行に預けても、やはり環境に良くないことが分かります。政府の国債を買ったとしても、政府はそのお金を建設会社に渡して高速道路の資金にしますから、これも同じ。甥にお小遣いとしてやるとしても、甥はゲームを買うので、これも同じです。

 つまり、30万円で生活していた人が、電気を節約して環境に優しい生活をしようとしてもそれは実際は不可能なことであることが判ります。

 ある時、この話を講演会でしたところ、会場から「その5万円を環境に使ったら良いじゃないか」という反論がありました。その人は環境運動家ですが、まだ「環境」ということが生活と一体になっていないのでしょう。

 「環境」というのは生活そのもので、環境というものが別にあるものではありません。生活と一体になっていないと、環境を守ること自体の意味が無いからです。

 その人は「余った5万円をリサイクルに使えば良い」と言われました。環境に優しい生活をして余った5万円を社会のためにリサイクルに使うとします。

 リサイクルに使うということは、1)普通の商品を買うより高いけれどリサイクル商品を買う 2)自分が分別するために「倉庫」を建てる 3)リサイクル施設の建設のために寄付する などがあります。

まず、なぜ普通の商品よりリサイクル商品が高いかというと、リサイクル商品の方がより多くの資源を使って作られているか、リサイクル商品でボロもうけしているかどちらかです。

 ある時、学生が「先生、アルミ缶を再生すると、天然資源から作るより6分の1のエネルギーですむと書いてありましたが、アルミ缶会社はボロもうけしているという事ですか?」と聞きに来たことがあります。私は答えに窮しました。アルミメーカーも缶メーカーもボロもうけしているどころか収益はそれほど良くないからです。

 「6分の1のエネルギー」というのは本当ではなく、だからボロもうけできないのですが、むしろ「リサイクル出来ると言って、アルミ缶をさらに売りたい」という不純な動機からでているので、隠したつもりの尻尾が出ただけです。でも私は若い学生に「アルミ会社がウソをついている」と言いにくくて困りました。

 実際には、「リサイクルのほうが6分の1でできる」というのが間違いなので、リサイクル商品では会社はボロもうけしていません。つまりリサイクル商品が普通の商品より値段が高いのは、より多くの資源を使っているのです。だから、「高くてもリサイクル品を買う」というのはそれだけ資源を無駄に使いますから、新品を買って、リサイクル品との値段差を別のものを買っても環境には同じです。

 次に「分別」などをするために倉庫や装置を購入して5万円を消費してもやはり同じように環境に良いはずもありません。

 最後に「リサイクル施設の建設のために寄付する」という選択を考えてみましょう。もともとリサイクル施設はいろいろな点で普通の工場より優遇されています。たとえば普通の工場では原料を自分でお金を払って調達する必要がありますが、リサイクル工場の多くはタダか、時には逆有償、つまりお金がついてリサイクル品が入ってくる場合も多いのです。

 そして土地や建物に補助金が入ったりするのでさらに有利にリサイクル事業を進めることができる場合が多いのです。もちろん、原料がタダになるのも、補助金というのも税金が使われるのです。もしリサイクル材料が充分に使えるものなら、原料だけでもただで入ってきたらボロもうけできるはずで、そこに寄付する必要はありません。

 つまり、あまった5万円はやはり自分が使わざるを得ないので、「環境を改善する」という意味では節約した意味が無いことがわかります。

 よくテレビなどで「節電して地球環境に貢献しましょう」などと放送されるので、みんながついそう思ってしまうのは当然ですが、「節電すると環境に優しい」ということはなく、難しいことではありますが、「節電してあまったお金をどう使うか?」というアドバイスをするのが報道ではないでしょうか。

 考えれば考えるほど環境に優しい生活というのが難しいことがわかります。

 毎日、わたし(著者)が困っているのはそこにあります。もしリサイクルなどの安直な方法で「環境に優しい研究」ができるなら、それは簡単なのですが、できないのです。

 これからは少し難しくなりますが、せっかくここまで考えてきたので、この際、日本全体、世界全体のことを考えてみます。

 日本人は技術力が高く、働き者で、世界でもトップクラスの収入を得ています。日本人全体が得たお金は日本人が使うことになります。個人ならお金が余れば貯金すれば良いのですが、日本全体では貯金をしようと思ってもできません。

 一時、お金が余ったので「外国の資産」を次々と日本が買いあさって国際的な非難を浴びたことがあります。外国にしてみれば日本人がお金にものを言わせて自分の国の資産を買いあさるのはあまり気分の良い物ではありません。

 この世に「誰も持っていない資産」というのがあれば良いのですが、地球上の全ての資産は誰かが持っているので、誰かに被害を与えることになります。

 ブラジルのアマゾンに住むヤママミ族という人たちは、先進国がお金と技術を使って自分たちの村に侵入してくるので、「何で、自分たちのことは自分たちの国でしないのだ!」と訴えています。ヤママミ族の言うことは実に最もなことです。技術もありお金もあるなら、なにもヤママミ族の住んでいるところに進出してそこを荒らさなくてもよいのです。

 だから・・・日本人が一年に稼いだお金は日本人が使わなければならない・・・これが現在の環境問題が解決しない原因です。

 そして、日本人が稼いだお金が「平等」に分配されていない、つまりこんなに裕福な社会なのに生活が苦しい人がいるという「富の分配」の問題があるのでややこしいことになっています。

 つまり日本全体ではお金は余っているのですが、それがあまりうまく分配されていないのです。

 もう一度、簡単に復習します。

 日本人が1年に稼いだお金は一年で使い切らなければなりません。使い切るにはものを買わなければならないのですが、国民は「環境のために我慢しよう」といって貯金や税金として収めます。

 そうすると日本にお金がダブついて誰も使わないので、しかたなく政府はそれを使います。別に悪いことではなく、国民が使わないので政府が使うだけです。もともと政府は国民ですから、国民が国債を買って政府が赤字を出そうと、「国民が国債を買って、国民が赤字を出す」ということになり、結局、「国民が一人一人で使うのを止めて、全員が一致して何かを買った」ということです。

 だから、節約によって「環境に優しい生活」を達成するのは非常に難しいのです。リサイクルも節電も「環境を良くする」とか「資源を節約する」ということではなく、もしそれをするなら別の目的でしなければなりません。

 ところで、リサイクルは環境によいといって行動している人は多くおられます。その中には科学的な計算や材料の劣化、工業プロセスというものなどをよくご存じの方が多いのですが、その人がなぜ「リサイクルが環境に良い」「環境に良い生活をした後、残ったお金を何に使えば良い」ということを明らかにしてくれないのかと私は常々、疑問に思っています。

 もし、このホームページをみて、リサイクルが環境を改善することになると考えておられる方で、反論をいただければ研究を前進させる意味でわたしにとってはとても重要なことです。是非、お願いします。



名古屋大学 武田邦彦