リサイクルは本当に無意味なのか?

(その1) ゴミは減ったのか?



 数年前からリサイクルが本格的に始まり、毎日、家庭からでるゴミの分別や、自治体のゴミ収集所での作業など、ゴミの減量やリサイクルに汗を流しておられる多くの人がおられます。

 そして「リサイクルによってゴミが減った」という報道があると思うと、「リサイクル商品をほとんど見かけないが、いったい、あんなに苦労して分別している物は、どうなっているのだ?」という話などがでています。

 私(著者)はリサイクルは環境を良くすることにはあまり貢献していないという判断をしていますが、分別やリサイクルを一所懸命にやっている方は、あるいは期待を持ち、あるいは迷いながら取り組んでおられます。そこでリサイクルが始まって5年ほど経った現在、いったい、リサイクルとは何だったのかを謙虚にもう一度、振り返ってみたいと思います。

 このシリーズを執筆しようと思ったのは、ある読者の方から心打たれるメールを頂いたからです。その方は一所懸命に分別などのお仕事をされておられます。その人の為にももう一度、リサイクルを見直してみようと思ったのです。



 最初に話題に上ったリサイクルを中心にして、現状を見てみようと思います。また、「政府がやっているのに、文句をつけるとはケシカラン」というご批判もありますが、学者は常に自由な立場で考えることが、かえって政府にも長期的には良いというのが歴史が教えることと信じています。


1. ペットボトル

 リサイクル率はかなり高くなっていますが、回収されたペットボトルを、もう一度、ポリエステルとして使われる量は、数%から10%程度です。また、リサイクルしたものをさらに3度目に使う例はほとんど無いようです。

 また、ポリエステルはプラスチックの中では一番、再利用が可能な構造を持っているので、一度、原料に戻すリサイクルプラントも完成しています。

 このようなことから「徐々にリサイクル技術が出来つつある」と言われますが、わたしはそのようには解釈していません。「ペットボトルをリサイクルできる」というのと「ペットボトルをリサイクルした方が、資源の節約になる」というのとは違うからです。

 相変わらず、ペットボトルを集めるのに負荷がかかっています。これは本質的なもので、学問的にはエントロピーが増大すると言います。この回復にやはりかなりのコストがかかっています。コストがかかるというのは使い終わったペットボトルを回収する時のガソリン、自動車、人手、一時収集の所に持ち込んでからのベール作り、そしてそれを再生工場に持って行く時の負荷などです。この克服手段はまだないようです。

 たとえば「ペットボトルから背広ができる」という事自体は本当ですが、リサイクルの目的はリサイクルをすることではなく、リサイクルによって資源を節約することですから、ペットボトルから背広を作ればよけいに石油を使いますので、やはりダメなようです。そしてかなりの技術開発をしましたが、まだ成功していません。 


2. その他のプラスチック

 トレーなどの一部がモデル的に使用されているが、分別されたプラスチックの多くは焼却されています。溶鉱炉の還元剤として使用されているものは、市民にはわかりにくい用語が使用されていますが、焼却と同じです。実際に、ゴミを分別している市民は「分別すれば資源として使える」と思って、洗ったりしているのですから、焼却するのはやはりルール違反でしょう。

 「焼却してもエネルギー源や還元材(溶鉱炉)などとして使えば、資源の節約になる」という理屈を言う人もいますが、私の個人的見解ですが、それは「人の誠意を裏切るようなもの」と感じます。もし焼却してゴミ発電などに使うのなら、厳密な分別は必要がないからです。私が住んでいるところは20ぐらいに分別しますが、分別した後、それを混ぜて焼却するのなら、最初から分別はしない方が良いと思います。(分別数についてはこの文章の最後に整理しました)


3. アルミ缶

 リサイクルが環境に優しいということを前提にすれば、かなり良くリサイクルされているものです。ただ、リサイクルの場合、ボーキサイドからアルミ缶を作る場合に比べて電力費が3%とか、コストが6分の1等の「本当ではない数字」を出していますので、これは修正した方が良いと思います。

 「環境」はなにもアルミ缶メーカーだけが守るのではなく、みんなで一緒に守る物ですし、現実にもアルミ缶の回収には多くの人の手を経ていますから、正しい数値を出した方が良いのです。アルミやアルミ缶メーカーは「アルミ缶がリサイクルできるから環境に優しい、だからもっと買って欲しい」という気持ちが強いのはわかりますが、環境を改善する為にはアルミ缶の総量は少ない方が良いのは当然です。販売量のことより日本の環境を守って欲しいものです。


4. 鉄

 鉄はリサイクルしている事になっていますが、現実にはリサイクルしていません。新しい鉄鉱石は輸入され、溶鉱炉転炉で精錬され、国内で6500万トン程度使用されます。そのうち3500万トン程度が回収されていますが、スクラップ鉄は溶鉱炉に入らずに電炉で再精錬されて、多くは別の用途に使われるか輸出されています。

 この理由は鉄鉱石から直接作られる鉄は品質が良いので、日本のような「技術立国」の国では、優れた鉄鋼の用途がほとんどです。だから品質の低い3500万トンを日本ではとても使用できないことがリサイクルを阻害しています。このスクラップ鉄の品質を良くしようとかなりの研究が行われていますが、まだ成功していません。

 この問題はもう少し本質的なこと、つまり鉄鉱石がまだ充分にあって、スクラップ鉄が欲しい国がある時に、わざわざ苦労して日本でスクラップ鉄の精錬を研究しなければならないかという問題があります。これはまた別のところで説明をしようと思います。


5. 紙

 紙は50%がリサイクルされています。ただし、昔は商業ベースでちり紙交換などで行っていたのが、現在ではボランティアや市民がかなり手伝っているという状態なので、日本全体としては環境負荷が増えています。

 この原因が、「ちり紙交換は民間がやったが、リサイクルはお役所」ということで能率が悪いのかも知れません。もし能率が同じなら、リサイクル制度が出来てから、紙の作業は業者から市民に移った分だけの収益はどこかに行っていることになります。

 また、鉄のリサイクルと同じように、紙のリサイクルでは、相変わらず森林の有効利用が進まず、森が枯れているのに、紙を石油を使ってリサイクルするという状態も変っていません。


6. (製品別)家電製品

 家電リサイクルが始まり、古い家電製品の回収にかかる費用は、それまでの500円程度から3000円に跳ね上がりました。単に埋め立てていたものが、分解したり、部品に分けたりするのですから費用がかかるのは当然です。500円で埋め立てた方がよいか、それとも3000円かけても分解した方が良いかは難しいところです。

 私は、廃棄される家電製品をそのまま焼却するのが一番、環境負荷が少なく、資源の回収が可能と考えていますが、普通の人はテレビなどをそのまま燃やすイメージがわきにくいようです。

 ところで、家電はリサイクルの問題は、貴金属を除いて、リサイクルで回収された材料を再び使うことが出来ないことと、家電を新しく作るときにはほとんど全部、新品の材料を使うということです。

 家電製品を長く使うと、材料はかなり痛みます。プラスチックはもともと3年ほど使えば、もう一度使うことはできませんし、冷蔵庫や洗濯機の金属も錆びたりして痛みます。もともと、工業製品はそこで使う材料の寿命だけ使うのが適当で、寿命が来た材料はまた使うことはできません。

 また家電製品は性能が大切なので、古いリサイクル材料を使うわけにはいかないのです。
 このようにかなりの技術開発をしましたが、相変わらず家電製品のリサイクルは資源の無駄使いになっています。ただ、家電には鉛、フロンなど有毒物が使われているので、それを回収するという役割は果たしています。でも、それを「リサイクル」といって回収するのではなく、毒物回収としてやった方がよいと考えられます。


7. (製品別)自動車

 自動車のリサイクルのもっとも大きな問題は、「いくらリサイクル率を上げても、リサイクルされた材料は自動車に使えない」ということです。自動車のリサイクル率の目標は95%ですが、これは常識的な意味でのリサイクル率ではなく、単に、廃車を「リサイクルする予定の材料」に分ける所までで計算しているからです。

 私はこのような一見、ゴマカシに見える計算はしない方が良いと思います。環境を守るのは自動車会社だけの責任ではなく、社会全体が取り組まなければならないのですから、使いもしない材料をリサイクル率の計算にいれて、見かけを良くしても市民が知りたい事と異なってきます。自治体や自動車会社が「市民はだませる」と思っている訳ではないと思いますが、結果的にそうなっているのが残念です。


8. (自治体)一般廃棄物のリサイクル

 「リサイクルをやりはじめてゴミが減った」「リサイクルによって埋め立て量が減った」というのは事実です。これは「ゴミの量」や「埋め立て量」が「日本全体」ではなく、法律によって区分された「一般ゴミ」に限定した場合です。

 私は日本のゴミを減らそうということで計算をしていますが、自治体は自分の管轄のゴミを減らそうという計画です。そこに差が生まれます。

 自治体は一般ゴミを取り扱いますから、一般ゴミを分別して産業界にリサイクルとして渡せば、ゴミが減るからです。だから「リサイクルをしたらゴミが減った」というのではなく、「リサイクルして分類の違うゴミにした」ということなのです。

 あまり良い表現ではないのですが、「お役所仕事」「縦割り行政」というのがあって、ともかく自治体としては自分の管轄のゴミを減らせば、それで功績になります。でも国民からみると日本のゴミの総量を減らしたいと考えているのではないでしょうか?

 ゴミの総量については次の項で説明します。


9. (全体)ゴミの総量

 日本国土に入ってきたものは、すべてゴミになります。それは家庭でも同じで、何かを買ってきて六畳間に入れれば、そのうち、それは必ずゴミになります。そこで、ゴミの量を計算するのではなく、日本に持ち込んだ量を計算すればゴミの量はわかるのですが、日本国民が1年に使っているものは、20億トン程度で、それはリサイクルを始めてからも少しずつ増えています。

 つまり、ゴミは全体としては増えているのです。

 ところで、環境を良くしよう、資源を節約しようと「真面目に」考えている人は、日本全体のゴミを減らしたいのでしょうか?それとも、見かけのゴミだけを減らせば良いのでしょうか?

 私は環境を守ろうとリサイクルしている人は、苦労して分別した物が焼却されたり(名称は「サーマル・リサイクル」だが、事実と違う名称を使っているのは世界でも日本だけ。)、外国に持って行っても、その人の心は晴れないと思います。

 リサイクルをはじめて5年。多くのお金がリサイクル技術の開発に注がれましたが、その効果は少なかったと言えるでしょう。開発を担当していた人が失敗したのではなく、もともと無理な計画だったのです。

 私はもっとリサイクルをオープンにして正しい用語を使い、国民がリサイクルの進み具合、リサイクル材料の活用状態、リサイクルに要したエネルギーや物質などを調査し公表した方が良よいと思われる。環境は今までのように産業界が中心と言うより、国民が参加するものなので、国民も主体者になるのは当然のように思われます。

 リサイクルに関するデータはそれぞれのリサイクル協会などから膨大に提供されていますが、そのいずれも形式的な数字で、本当のところがなかなか判りません。たとえば、「リサイクル率」が明示されているので、リサイクルした率かと思うと、業者が持って行った量を単に集計しただけで、それが何に使われたのか、輸出されたのか、あるいは焼却されたのかはわかりません。

 リサイクルは税金がかなり投入されているので、もう少しオープンの方が良いと思います。


(追記―1)

1. ゴミ袋を有料にするとリサイクルが増えてゴミが減る現象について

 ゴミ袋を有料にしてゴミが減ったと発表する自治体が増えていますが、自治体にとってはお金は入る、見かけのゴミは減るで良いことばかりですが、本当にゴミが減っているかは不明です。ゴミが優良になると市民はできるだけ分別してリサイクルに出します。だからその分だけゴミが減ります。普通の人がそこまでしか考えない(日本全体のことは考えない)ということをついた巧みな方法です。しかし、「リサイクルに出した」というものの90%以上が再びゴミになり、リサイクルをするのにゴミ以上の資源を使うので、結局、ゴミを減らせばゴミが増えているのです。でもそこまでは考えないし、報道もされません。それは今のわたし達は「目の前だけをみて、それが良ければ面倒だ」というふうに考え、わたし達の日本を考えないからです。

2. 分別数について

 私が「分別は20程度」というとかならず「そんなに分別していない」と言われる方が多いのですが、その方のお話を聞いていると「日本として」というのではなく「私は」というもので、やはり「分別してリサイクルする」ということを「環境を良くする」という視点からではなく、「私が非難されないように」という狭い視野で見ておられることがわかります。分別は、まず、1)粗大ゴミ 2)資源ゴミ 3)普通のゴミ 4)有毒なゴミ 5)特定のゴミ の5つに分けます。粗大ゴミは普通1種類です。場所によっては形の長いゴミを分けることがあります。資源ゴミは、1)ペットボトル 2)その他のプラスチック 3)紙 4)衣類 5)アルミ缶 6)スチール缶 などに分けます。自治体によってはアルミ缶とスチール缶を一緒に集めるところもあれば、プラスチックなどをもう少し細かく分けている所もあります。紙は、1)新聞紙 2)段ボール 3)その他 に分けるのが一般的の用です。普通のゴミは、1)可燃ゴミ 2)不燃ゴミ 3)樹木や草など 4)液体のような特別のもの にわけ、有毒なゴミは、1)電池類 2)蛍光灯 3)ガラスなどの危険なもの 4)その他の有毒な物 で、特定のゴミは、1)自動車 2)家電製品 3)携帯電話 4)新製品など などです。以上、おおよそ、5+6+3+4+4+4=26程度になります。自治体によって違うこともありますが、皆さんが「もっと少ない」というのは「自分側から見て」ということで「日本全体から見て」というように考えないと環境は良くなりません。台所のポリ袋のゴミも、ペットボトルも、そしてテレビの外側のプラスチックも、日本としては結局同じゴミになるのですから。


名古屋大学 武田邦彦