― アイヌに学ぶ方法 ―

 

 「自然に学ぶ方法」、「伝統に学ぶ方法」と整理をしてきた。ここで言う「自然」というのはまだ「生物」だけであり、山や川、地殻運動などにはまだ調査が進んでいない。「伝統」も同じで、名古屋近辺の伝統的文化を学んでいるだけで、九州や東北なども手が回っていない。

 そんな中で数年前、網走の北方民族博物館を見学した。ご案内して頂いた方が素晴らしかったこともあったのかも知れないが、私はそこに展示されていた材料や物品に驚嘆した。あまりにも印象が深いのである。

 女満別空港から空路、名古屋空港に戻りながら私はあの印象はどういう内容を持つものかを考えた。印象は単に印象であり、定性的で感情的である。たとえば「素晴らしい」「神秘的」「私の魂を揺さぶった」という表現も悪くはないが、それで終わりである。なんとかこの印象をより具体的なものにしたい、私はそう思った。

 早速、計画に取りかかり翌年には春と秋に二回、北海道に行ってアイヌ文化や北方民族の調査を行った。ここでも多くの協力者を得て成果を上げることができた。そして私は(仮にではあるが)、「アイヌの文化は和人の文化より段違いに優れている。その優れていることがあの印象の中心だ」ということがわかった。

 アイヌ文化が優れているのは「人間が生きる」という意味を和人よりも、より本質的に理解していることである。そのもっとも決定的な証拠は「2000年間、戦争が無かった」ということであり、このことはさらに3回目の調査の時に、アイヌの研究者に確認して自信を得た。もちろん、和人が攻めてきてやむを得ず戦った例は除いてある。

 第二の証拠は和人が明治時代に北海道に攻め込み、あるいは入植してきた時に彼らが言った言葉の中にある。「ここは私たちの土地です」。この誠に当然の言葉も和人は理解しなかった。ある時に突然、隣の家に上がり込み、勝手に生活をし始めたとする。隣の人はおじいさんとおばあさんで暴力はふるえない。こちらは屈強な若者がついている。

 おばあさん 「ここは私たちの家です」
 私      「私の家は狭いんだ」
 おばあさん 「そうかも知れませんが、ここは私たちの家です」

 そんな会話が続いてから3日目。私もおばあさんが可愛そうになって庭に犬小屋ほどの家を造ってあげてそこにおじいさんとおばあさんを移した。これが明治の和人とアイヌの関係だった。

 アイヌは自分たち相互の関係でも「自分のものは自分のもの、他人のものは他人のもの」としていた。和人のように「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のものにしてよい」とは考えていなかった。

 アイヌのこの文化は学ぶべきものである。ある時、「日本がエネルギーで自活するには」という内容の論文を書いた。そうしたら「どういう意味を持っているのかわからない」という審査結果が来て拒絶された。私たち和人は「日本にエネルギーがないのだから、貧乏な国からエネルギーを取ってくるのは当然である」と考える。

 リサイクルしたペットボトルが中国に流れる。なぜ流れるかというと日本人は賃金が高く、誰も自分が使ったペットボトルをリサイクルしない。それに対して中国人はまだ貧乏だ。だからリサイクルは中国に任せて何が悪い、と言う。これも、もちろん悪い。日本はリオデジャネイロで環境と開発に関するリオ宣言に合意をし、自分たちの廃棄物を他国に移動させないという精神的宣言をしている。

 アイヌならそれはしないだろう。彼らは自分たちの土地の中で住み、自分たちのものは自分たちで始末をする。北海道にはないものが必要な時は十分の礼節を尽くして交易する。相手の力が弱いから攻め入るなどという考えはもともと持っていない。

 このようなアイヌ文化を学ぶことは材料や工学の研究には役に立つ。研究テーマも変わればものを見る目も違う。またアイヌが使っていた材料や家屋、道具もその多くが参考になる。たとえばアイヌの標準的な家屋であるチセはなかなか良いものである。

 チセの特徴の内、2つを挙げたい。一つは「断熱性」、二つめは「戸締まり」である。
 
 チセにはいろいろな構造があるが、基本的には木材を組み合わせて骨組みを作り、そこに笹の葉を並べて壁を作る。天井には囲炉裏(アペオイ)からの煙を出す換気口(リクンプヤ)がついていて、天井は高い。

 北海道の冬は寒いが夏はそれほどでもない。冬の寒さに耐えるほどの民族だから夏は暑いかも知れない。その夏でもチセの暖炉には火がくべられている。一年中、アペオイの火を絶やさずに焚き続ける。そしてそのアペオイの上にはサケが薫製になってぶら下がっている。

 夏でも火を絶やさない理由は複数あるが、冬に強い火を焚かないようにするためでもある。家、土、周りのものはかなり大きな熱容量を持っている。特に地面は熱を吸収し、地下に地下にと伝熱する。夏の熱で暖まった土は冬に向かう頃から少しずつ反対方向へ流れる。

 アイヌは真冬の雪が溶けるような火は使わない。「かまくら」の中が暖かいように、雪は断熱性があり、雪があることによって0℃以上に上がることも少なくなるが、極端に寒くなる危険性を少なくしてくれる。それに夏の熱がじわじわと地中から沸き出してくるのである。


(笹の葉を垂直に出す)

 笹で覆われたチセは笹の葉が地面に対して水平に出ているので笹の葉の間の空気と相まって実に見事な断熱効果を示す。チセの中は夏でも冬でも「熱くもなく寒くもない」という温度調節ができるのである。私はかつて藁葺きの屋根を持つ家屋の住み心地が良いことを知っていたが、藁葺き屋根は屋根が藁でも壁は木材を使っているものが多い。それに対してチセは壁も笹である。そのせいかも知れないが室内は実に快適である。何故このような家が近代建築ではできないのだろうか?恐らく空気の流通や壁からの輻射熱を建築家が知らないからと考えられる。

 第二番目の特徴は戸締まりである。チセには戸口と東側に神様と関係の深い窓がある。戸口には前室があってそこに農具や生活用具が置いてあり、曲がりになっていて家の方に入る。戸口とちょうど反対側に大きな窓があり、普通は東を向いているようだ。

 戸には扉がない。もちろん扉がないから鍵もない。獣が入ってこないように簡単な防具が置いてあるだけである。東の窓にも頑丈な桟はない。ただ夜はこれも動物との関係で比較的厚手の布をかけてそれにつっかえ棒をさし込んで防御をするようである。

 いずれにしても人間が意図的に襲撃しようとしたら簡単だ。狩猟に使う斧でも持って来れば戸口を破るのはいとも簡単である。また外から笹に火を付ければたちまち全焼するから、それでも良い。でもそういう話はアイヌの歴史にも民話にもまったく出てこない。少なくとも私の読んだものには無かった。

 それは「人のものは人のもの」という例の文化がしっかりしているからである。考えてみると、シカはシカ同士が襲うことを考えていない。雑食性のオオカミもオオカミ同士は襲わない。オオカミがオオカミ同士で争うのは縄張りやメスを争うためであって、餌を争うのに寝込みを襲うことはない。肉食獣も同じである。

 人間だけは、と言うより、ヨーロッパ人や日本人、中国人は「他人の餌を狙って寝込みを襲う」という不埒なことをする。その点、アイヌはしない。アイヌこそがまともな人間であり、だから戸締まりは要らない。

おわり