― 伝統の学び方 ―
伝統製品と近代的な工業製品との比較はさまざまな視点から行うことができる。たとえば、「機能性」や「性能」に注目すると近代的な工業製品の方が優れていることが多いし、「風合い」「品格」などでは伝統的なものの方が遙かに良いという感触を持つ人が多い。
たとえば建築物で、その典型的な例を見ることができる。下の写真は、とある商店であるが、戦後、少し経ってこの商店は素晴らしくモダンな外観を持つハイカラな商店として生まれ変わった。それが30年を経過するとサビが発生し、亀裂は目立ち、全体として大変みすぼらしくなった。
これに対して次の写真は建築後、約160年を経た民家である。そこに使用されている材料は普通の木材であり、紙であり、漆喰である。一つ一つの材料の「技術」という点では先に示した商店の方が遙かに「優れた性能」を持っている。しかし、その一方で外観、人に与える印象、品格の高さなど素晴らしいものがこの民家にはある。
次は民家ではないから直接的な材料の比較ではないが、建築後約1000年を経ている神社の例を示す。神社建築はその様式も違うので、材料の劣化以外の感性的内容が含まれるが、デザインも入れた「製品の劣化」を考える上では重要である。
少し誇張した表現を使用すると、この神社はその傍に立って見ると「輝くばかりに美しい」という印象を受け、ここに来る観光客はこの古い建築物に尊厳を感じる。この神社と最初に示したみすぼらしい商店と材料の劣化、デザイン、そして保守などで何が決定的に違うのだろうか?
伝統的な製品、工芸品などに関する一般的な印象としては「素晴らしい職人の技」「伝統的な日本人の感性」などが強調されるが、それらは工学として参考にするには余りに感性的である。伝統に学ぶ工学のレベルに変換するには「素晴らしい」という感性的な表現がより具体的且つ科学的にならなければいけないだろう。
このような差を具体的に解析していく一つの研究対象として「油団」を取り上げた。油団は夏の敷物で「ヒヤッとした感触」が好まれている。また油団を敷いた座敷はそれだけできわめて高級感が漂い、品格が上がる。従って、油団の「熱の除去の機構」と「表面の印象」の二つを解析することになる。
油団が敷かれた座敷の写真を示す。この座敷は10畳ほどで3畳ほどの前室がついている。左に床の間があり、正面は中庭である。撮影は気温34℃、13時に撮られているが、風は手前から中庭に向かって吹く。
2年の間に2回ほど夏期に油団を体験したが、2回とも暑さを感じさせないすがすがしさを感じた。手を油団に触れてみると確かに温度が低い感触があった。しかし近代科学では温度の低下する要因がないので、アルミのように熱伝導率が低いためと考えられた。このことについてはすでに整理してあるので、ここでは繰り返さない。
もう一つの特徴は「使うことによって風合いが生まれる」ということである。工業製品は一般に販売直後が最も見かけが良く、その後、次第に劣化する。特にプラスチック材料は汚い色に着色し、亀裂が入り、誠にみっともない状態になる。それでも現在までは「使い捨て材料」と認識されていたために問題にはならなかった。
この油団は和紙を積層してできているので、これもプラスチックや紙と同一の構造を持っている。使用していくに従って多少膨張するためにしわが寄り、また亀裂が入る。さらに油団の上にお茶などをこぼすことがあるので、そのシミが付く。
一方、解明が難しいが油団は製造直後より、写真で示したように20年後から30年後にもっとも風合いが出て座敷と調和する。製造直後は薄い褐色で輝きもなく、単なる紙の敷物という印象であるが、20年ほど経つと、表面が劣化して褐色になり、適当に亀裂やシワが入って表面に油がしみ込み、写真のように庭をある程度、反射するようになる。
油団は梅雨明けに出して、夏の間に使用し、9月の下旬にしまう。この時、豆腐、もしくは雪花菜を使用してそれを油団の上に細かくして撒き、木綿の雑巾で拭き上げる。現実に行われているその操作を観察すると、大豆のタンパク質や油をその年に生じた亀裂やシワに塗り込んでいると見られる。
油団の顕微鏡写真や新品、および最も価値の上がった時の状態、及び完全に古くなった物を入手し一部、分析を進めているが、今後さらに表面形態分析などを通じて「古くなるほど良くなる有機材料」としての研究を進める必要がある。
おわり