― 自然の学び方 ―

 

 一言で「自然に学ぶ・伝統に学ぶ」と言っても、現実にどのような方法を選択するのかも重要である。自然は地学や天文学として発達しているし、自然の中の生物は植物学、ウィルス学などとして分類、記述されている。

 それらの書籍はもちろん、その学問のために書かれていることもあり、鉄鋼、セラミックス、そしてプラスチックなどの人工的材料とはかけ離れている。たとえば、最も参考になった「紫外線吸収剤」一つをとっても大腸菌が使用している能動防御剤は、現在人工的に使用されている紫外線防御剤とはメカニズムも化合物も異なる。

 しかし、大腸菌がどのようにして能動的に皮膚ガンにならないように防御しているのかということを知ることは大変参考になった。

 第一に、「大腸菌はDNAの情報によって、防御システムを構築し、日常的にはその防御システムが自動的に且つ自己的にシステムを稼働している」、ということである。このことを人間の工業社会に敷衍(ふえん)すると、「人工的材料は頭脳の情報によって、システムを構築し、製造した後はそのシステムが自動的にその機能を発揮する」という事になる。

 それはちょうど、下の図に示した関係であり、「能動的」「生物的」「自己修復」という一見して生命が伴わなければ行われないような作用は、生命とは直接的に無関係であることがわかる。

 大腸菌から第二に学んだことは損傷箇所を検出しないで修復することである。哺乳動物が紫外線でDNAに打撃を受けた場合には、あらかじめDNAの上を監視している酵素がその損傷部位を切断し、そこで修復する例も見られる。

 それに対して大腸菌などは単細胞であり、且つ細胞質の中で動き回りやすい事から、修復物質が細胞内を拡散し、偶然に損傷箇所を見出したらそこを修復するような単純なシステムを採用していると考えられる。

 もし自己的に修復する場合、損傷箇所を検出しなければならないとなると、原理的に人工材料の自己的な修復が可能であっても、実現までにはかなりの研究が必要となるだろう。もともと高分子の一部に損傷があっても、その分子全体に比較すると数%以下になるので、なかなか検出するのは困難である。

 机の大きさほどの最新鋭の分析機器でも検出は困難であり、それを小さな材料の中で作り出すのは容易ではない。しかし、自由に拡散している修復材料がたまたま損傷箇所に衝突したらそこで反応するという事なら、反応の選択性だけを付与すれば良い。

 その場合、どの程度の速度的余裕があるのかという事になる。球状に近似できるある反応空間における物質の自由な拡散はすでに物理化学で解明されている。

 異種の粒子の混合系(溶体)の濃度分布が非平衡状態になっている場合には、その系は熱平衡状態に近づくような濃度分布の変化が起こる。溶体中で単位時間当たり溶質が単位面積(溶質の移動方向に垂直な面)を通過する量をJとすると、拡散粒子の平均自由行程が十分短い場合にはJを流れ、Dを拡散係数、Cを溶質内のモル濃度として式(1)で示される。

 すなわち、ある時間、ある場所における物質の濃度は半径rの球状物体内の場合、次の拡散方程式で示される。

 これを自己拡散定数を用い、球状体積物内に溶媒が樹脂内に浸入する浸入率として境界条件を求めると時間tにおける溶媒の浸入率Ytは式で示される。

 式の展開は割愛するが、浸入率は次式の様な多項式で示されるが、解析解が得られないので近似解が求められている。

 ここで、Ctにおける球状樹脂内の濃度、C’t=0における球状樹脂内の濃度、r0は粒子半径を示し、近似解は、次式である。

 球状の反応場において反応する修復材料がおおよそ他の化合物を衝突する時間は、系内を拡散する物質が半分程度浸入する時間に近いことを考慮すると、さらに実用的に使用しうる次の式を用いることができる。

 細胞のような比較的、粘度の高い高分子電解質の場合、拡散係数は1×10^-7 cm2/sec程度であり、細胞を100×10^-4 cmとすると、0.001sec、つまりミリ秒のオーダーであり、もし運動範囲が10ミクロンなら0.1sec程度となる。

 つまり大腸菌の様に体が小さく、細胞質のように比較的拡散がしやすい場が与えられている時には修復する場所を検出することなく、「行き当たりばったり」でも十分に短い時間で衝突が繰り返される事がわかる。また一般的な拡散と反応については、上記のような拡散だけではなく反応の時間などを加味したさらに複雑な解析も知られているが、ここでは割愛する。

 一方、人工的材料についてはどの程度の時間になるのだろうか?人工的なプラスチックの拡散係数は10^-10 cm2/sec, 金属材料は10^-14 cm2/sec程度とされている。従って、拡散時間は拡散係数の1乗に反比例するから、高分子の場合には大腸菌の細胞質に比較して1000倍程度時間がかかる。

 高分子の反応場の大きさについてはまだ明瞭ではないが、私たちの研究ではよく溶解した分子の反応場は10nm程度と考えられる。従って式(6)から計算すると、拡散に要する時間は、0.01secと求められる。

 つまり、これまでの人工的材料が自己的に分子量が増大する理由の一つに拡散係数は小さいが、反応場もまた小さいので結果的に反応時間が短くなり、損傷箇所を検出しなくても十分に修復反応時間が取れることがわかる。

 哺乳動物の紫外線による皮膚の損傷は、毎分、監視しながら修復していると言われている。従って、材料の損傷を防止し修復を繰り返す時間的余裕は60sec程度とすると、仮に拡散時間が0.01secの場合には反応確率は6000倍取れることになる。

 人工的材料においては劣化についてもう少し長い時間が許される。たとえば多くの工業製品の場合、修復は1ヶ月程度でその要求に応えることができる。ただ、外部から激しい負荷が加えられるような部品に将来、自己修復系のものが用いられるとすると、その時間はこれよりも短くなるだろう。

 自然に学ぶ方法のほんの一部を紹介したが、自然や生物の営みと平行して人工的材料を改良することを考えると実に研究も面白いものである。義務で研究をしたり、業績のために研究する人にはこの面白さは理解できないかも知れないが・・・

 

式(6)が記載されている書籍
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F. Helfferich, “Ion Exchange”, McGraw-Hill Book Company, Inc., New York (1962) pp.259-261.

おわり