イボタとイボタ蛾の攻防


イボタ(Ligustrum obtusifolium)。イボタノキともいう。モクセイ科。九州以北に分布する落葉低木。枝に卵形の小さな葉を密につけることが特徴的です。地面が湿潤な落葉樹林の林床や湿地の縁のようなところにごく普通に生える植物で、葉をかじると非常に渋い味がします。

その苦い味が今回のテーマです。



図 1 ミヤマイボタ



 人間でもイボタをまちがって食べると強烈な渋みを感じ、しかもそれが12時間以上も続くのです。その渋みとはもちろん「毒」です。この毒は昆虫にとっても同じで、蚕(かいこ)の幼虫にイボタの葉を抽出した液で処理したタンパクを食べさせる実験をした結果をみてみると、図 2に示したように、タンパク質だけを与えた場合(●)、体重は順調に増えましたが、イボタの葉の水抽出液で処理したタンパク質を与えた蚕(■)は体重がほとんど増加しませんでした [1]。


図 2 イボタの葉を食べた蚕の体重変化(●:未処理タンパク質、■:イボタ葉水抽出液処理、▲:1%グリシン存在下でイボタ葉水抽出液処理、+:イボタ葉水抽出液処理後、リジンを添加)



 図 2の他の実験データもまた後で解説しますが、ここではとりあえず●と■だけを比較してください。イボタの葉には蚕の幼虫の成長を妨げるものが含まれていることが判ります。イボタの毒についてさまざまな研究が行われた結果、イボタの葉の細胞の細胞質や液胞に溶けているオレウロペインという化合物が毒の原料であることが判ってきました。


図 3 オレウロペイン構造



 このオレウロペインはそれだけなら毒にはならないのですが、昆虫がイボタの葉を齧ると細胞小器官のなかに入っているβグルコシターゼやポリフェノールオキシダーゼという酵素が細胞質に出てきてオレウロペインと反応し、グルタルアルデヒドの構造をもつ反応性の高い物質に変化します。


図 4 オレウロペインの変性体



 この構造に変ると、キノンの部分とグルタルアルデヒド構造の部分がタンパク質、特に必須タンパク質の一つであるリジンのアミノ基と反応して、そのタンパク質をトラップ(捉えて離さないこと)してしまいます。



図 5 オレウロペイン変性体がタンパク質と反応した図



 つまり昆虫の成長に必要なタンパク質をダメにしてしまうのですから、成長が止まるのも当然です。多少専門的になりますが、リジンというアミノ酸は図 6のような構造をしていて、アミノ基を2つもっています。右のアミノ基はタンパク質になるときに使われますが、左のアミノ基はそのまま残っています。これを攻撃するのです。


図 6 リジンの構造


 これまでのことをまとめますと、イボタを攻撃してきた虫がイボタの葉を齧ると、葉の中に別々にあったオレウロペインと酵素が反応して、リジンのアミノ基と反応する化合物を分泌するという仕組みです。



図 7 イボタの葉の細胞の図



 ところがそれだけでは終わらないのが、自然界です。攻めて(昆虫)、守って(イボタ)、そしてまた昆虫の方も対策をとってくるのです。

   

図 8 イボタ蛾の幼虫(左)と成虫(右)



 イボタ蛾科のイボタがそれです。この虫はイボタの葉を齧るとオレウロペインの誘導体が出てきてリジンのアミノ基と反応することを知って(進化論的に表現すれば、そのようなことを知ったように行動する生物が生き残るので、本当に知っているかどうかは不明)、唾液や消化液の中に、犠牲打としての化合物、グリシンを大量に持っているのです。



図 9 グリシン


 グリシンはアミノ酸の一種でアミノ基とカルボン酸を持っていますが、タンパク質となるとこのアミノ基は反応性を失ってしまいます。でもグリシンの段階ではまだこのアミノ基は反応性があるので、イボタの葉を齧る時にこのグリシンを出します。

 そうするとオレウロペイン誘導体はこのグリシンと反応してしまい、いわば全員討ち死にします。そうしておいておもむろにイボタの葉を食べるのです。

 いや、実に見事なものです。この話を最初に聞くと、これは「命」を持った物同士の戦いのような気がしますが、よくよく中身を見ると単なる化学反応であることがわかります。外からの攻撃に対して外のものに打撃を与えるものを用意し、それが用意されると攻撃する方は対抗措置をとってくるという仕組みです。

 このようなことがもし人工的な材料や製品でも可能ならずいぶん、良い物が出来るでしょう。たとえば、工業製品の多くは天ぷら屋さんの天井にあると油で劣化しますが、油が来るとその油に反応して撃退するようなものを作れば簡単に故障を防ぐことが出来るのです。

 そんなことなら最初から油に強い材料を使えばよいじゃないかと思いがちですが、工業製品を使う場所は油っぽいところもあれば水が多いところもあります。その全部をまんべんなく防護することは出来ない場合、油が来たら油、水が来たら水に対して防御できるようにしなければ成りません。

 イボタの葉もいつも昆虫に食べられているわけではないのでオレウロペインは昆虫に食べられたときだけ変性するようになっているのです。攻撃と防御、そして再び攻撃、このような材料を設計したいものです。



参考図書(特に引用をお断りしていません。ここに参考にさせて頂いたことを感謝申し上げます)
[1] 今野浩太郎,「昆虫と自然」、34巻、6号、p.14-18 (1999)