工業材料の自己修復
自然界と社会に於ける高分子材料の位置づけ
日本で工業的に使用される材料としては、重量でコンクリート・ガラスなど無機材料が約11億㌧と圧倒的に多く、鉄鋼がその90%を占める金属材料が7,000万㌧、紙、木材、プラスチック、繊維などの有機材料が6,000万㌧であり、これを体積に換算すると、無機材料が5,000万m3、金属材料800万m3、そして高分子材料10,000万m3である。これに対して、自然界では地殻の表層はほぼ土(シリカ分)でできているので、無機材料は実質的に無尽蔵であり、金属元素の内、鉄は縞状鉄鉱床などの形で地表に露出していたり、地下に鉱脈として存在し、その量は膨大である。これに対して高分子材料は空気中の二酸化炭素の生物的合成によってできたもので、現在の知見では全て生物起源である。確かに、生物の体は微生物、植物、動物のいずれもその大半は有機材料でできていて、植物が空気中の二酸化炭素を原料として炭素を固定し、動物はそれに寄生するという構造を持っている。でも、なぜ「金属材料を使用した生物」が存在しないのか?という問いはさまざまな面で意味のある問いである。そしてこのことは「自己修復」という生物活動に深く関わるテーマでは取り扱うべきであろう。
ところで、人類は古くから生物の体を材料として加工し生活に活用してきた。主力材料としては、古くは「石」、そして「銅」「鉄」と時代と共に変化してきた。並行して樹木、皮革、繊維などの有機材料も生活には必須であり、人類の歴史はその時代時代に使われた材料によって彩られている。自然から与えられるものは人間が自由に設計することはできない。人間は専ら自然の状態をいかに利用するかにその知恵を絞ってきた。
一方、ゴムなどもともと高分子であったものを近代的化学の手法を用いて加工することは19世紀に行われていたが、合成高分子は20世紀初頭(1907年)に誕生した。その後、1924年に「高分子」という概念が誕生し、Staudinger, Carothers, Ziegler, Floryなどの巨人によって1957年まで50年間の研究で現在の高分子材料が確立した。Carothersがナイロン(現在のpolyamide)を発見したときには「鉄よりも強く、絹よりも細い」と言われたが、実際には高分子材料は補助材料として使用された。1970年代になって高分子研究は機能性を高める研究へ向い、またしても基幹材料としての道が閉ざされた。このことは現在の高分子材料やリサイクルを考えるときに極めて重要なことである。すなわち、補助材料としての高分子は「使い捨て」が主力となり、不意の破壊、疲労、クリープなど材料としてもっとも大切な性能が軽視された。現在に至っても多くの材料の書物において高分子材料のヤング率の解釈に誤りが見られ、疲労などをほとんど取り扱っていないのがその原因である。高分子材料のリサイクルが不適切であるのも材料の長期的な変化や構造と強度の関係などの研究が不足しているからである。
このような背景を考慮して、まず高分子材料の長期使用による損傷を整理し、次に自己修復に関する解説を行う。
1. 高分子材料の損傷
「材料」という定義は明確ではないが、鉄鋼、コンクリート、ガラス、プラスチック、木材などを想定すれば、電子が介在する結合によってある寸法を持った原子集団とすることができる。集団を為している結合はさまざまであるが、外部からの熱や力によってある確率で結合が切断され、またエントロピーの低い状態で固定されているものは破壊によってエントロピーの高い状態に不可逆的に移動する。即ち、材料は使用によって損傷し、高分子材料のみではなく、金属材料は酸化、細粒形の粗大化、クリープ、疲労などが起こり、セラミックス材料も風化することを意味する。しかし、損傷とその後の状態ということではこの3つの代表的材料は全く異なる様相を呈する。金属材料は劣化して材料としての機能を失った場合、もう一度還元・溶解すればほぼ元の状態に服することができる。セラミックス材料は金属と同様に再溶解によって元の状態に戻るものもあるが、粗原料が「土」や「砂利」であり地表にほぼ無限にあるものであるため、多大のエネルギーを使用してまで損傷を回復するのは不適切な場合も多い。
これに対して高分子材料は損傷が不可逆的で特殊な高分子を除いて、損傷したものをもとに戻すことは困難である。どうしても再利用したい場合には、収率がかなり低いことを前提として再び石油のクラッキングと同様の工程で処理するか、あるいは燃料として燃やしてエネルギーを回収することになる。現代の日本はエネルギー多消費社会であり、一年間に輸入する石油、石炭、天然ガスなどの炭素燃焼は4億㌧にも及び、そのうち、プラスチックや繊維材料として使用されるものは5%に満たず、すべて直接燃料として使用している。95%を燃料として燃やしているのに5%に注目して、使用後の材料を回復させる努力がされなかったのは当然かも知れない。つまり、高分子材料をリサイクルするのは工学と材料の物流という意味で論理的整合性がとれていないと考えられる。
高分子材料の損傷は、1 )力学的瞬時破壊及び長期破壊(疲労を含む) 2 )酸化 3 )その他の高分子の損傷 4 )毒物発生 5 )混合による劣化に分類することができる1)。力学的破壊の中で、疲労による破壊はその材料が持つ破断強度の数分の一の力が繰り返し掛かることによって材料が徐々に損傷し、破壊に到る現象を言う。高分子材料の疲労の観測では、金属と同様に図 1に示すように材料表面のストライエーションといわれる特徴的な縞模様が発生し、それが発展して亀裂になりそこに応力が集中して破壊に到る2)。
図 1 Polystyreneの疲労によるストライエーション
疲労破壊においても金属材料と高分子材料は挙動が異なり、金属材料でのストライエーションはすでに亀裂が進展している状態を示すが、高分子材料の場合は必ずしも外部の負荷に対して規則的な模様は観測されず、クラックの進展との関係も明らかではない3)。一方、高分子材料に特徴的なことは図 2に示すように疲労破断面の表面弾性波が他の場所に比較して低く、材料の平均比重も低下していることである。
図 2 Polycarbonate(PC)の疲労と高速引張試験に於ける疲労破断面の表面弾性波
高分子材料の強度を保っているのは長い鎖が相互に絡み合っていることによる。絡み合いは高分子鎖の分子量に依存するので、図 3(左)に示したように高分子材料の衝撃強度や引張強度が平均分子量に強く依存する結果を得る。また、分子量がある量より小さくなると急激に強度が低下し、これは高分子材料が「バリン」と脆く破壊するという日常的経験にも合致している。高分子の破壊は繰り返し加えられる負荷によって高分子鎖が徐々に切断し、絡み合いが解けて部分的にクレーズ(高分子鎖が配向して空間を形成する)が発生し、それが進展してクラック(顕微鏡で観測し得る程度の亀裂)に到る。疲労亀裂の実験で試料の破断点を中心に分子量を測定すると、図 3(右)に示したように低下している。この時同時に比重も減少しており、分子量の低下に続いて材料にナノスケールのボイドが発生する。
図 3 PCの分子量(絡み合い数)と破壊強度(上)と疲労面の分子量変化(下)
これらをまとめると、疲労破断は繰り返し負荷を受けている個別の高分子が徐々に切断され、分子量が小さくなって高分子相互の絡み合いが弱まり材料全体の破断に到ると考えられる。破断した材料を回収して工業的に修復することは現在のところできない。その理由は本章の最後に詳述するように固体高分子材料中の拡散係数が小さく、総括反応速度が低いからと考えられる。工業的に意味のある反応速度を得るためには、拡散速度が10-6cm2・sec-1より大きく、攪拌・流動などが可能な場合に限られる。これに対して使用中の材料では使用時間が長い(通常、数年)ので、拡散速度は小さくても十分な修復時間が得られる。工業的な反応時間が5時間とし、使用中の修復反応が5年間とすると、拡散係数は10,000分の1まで可能であることが判る。これが高分子材料の自己修復を可能にしている環境の一つである。
高分子の劣化は疲労破断の他に先に挙げた4種類の劣化があり、この節では紙面の都合で疲労破断に焦点を当てて整理をしたが、酸化劣化や着色などの他の劣化も不可逆的な変化を伴うので、高分子鎖の切断と同一の概念で処理できるものが多い。
2. ポリフェニレンエーテル
自己修復し得る材料の代表的なものにポリフェニレンエーテル(PPE。アメリカのGE社が開発したので、その商品名PPO(polyphenylene-oxide)を長く学名として使用していたが、最近、商品名を学名として使用するのを避けるためにPPE(polyphenylene-ether)が正式な名称となっている。これはDuPont社のCarothersが発見したナイロン(商品名)から現在ではpolyamideを学名として使用していることと同じである。PPEの合成はトルエンなどの溶液中で酸化的雰囲気の中で銅などの金属触媒を用いて行われる4)。生成した高分子は高い耐熱性や難燃性を有するが、成型が困難で実用的な材料にはならなかったが、ポリスチレンと完全に相溶することが判り変性PPEとして工業化した5)。この重合反応と類似の反応でPPEの自己修復をすることができる。
PPEの高分子末端は重合後は2つのメチル基で覆われているOH基とベンゼン環の4位の2種類が同じ量だけ存在するが、キノンなどの両末端OH基の化合物で処理をするとベンゼン環4位の末端を持つ高分子が増大する6)。PPEを高温で熱劣化させると370℃付近でメチレンブリッジ転位を起こし劣化前の高分子とは構造が変化する7)。
図 4 PPEの熱劣化による分子量分布の経時変化
通常の使用環境ではPPE単独の成形体のガラス転移温度である211℃より高い温度になることはないので主鎖の開裂はエーテル結合の開裂と考えて良い。エーテル結合で開裂すると酸素とベンゼン環4位のところにラジカルが発生し、直接的な証拠はないが、近傍の側鎖メチル基の水素を引き抜きへと繋がると考えられる8)。このことは開裂と共にゲル化率が上昇することによって推定できる。架橋反応は高分子材料の柔軟性を失わせるが、一方では引張強度を高め、寸法変化を少なくするなども伴うので一概に架橋を「劣化」と言うことは出来ないが、その材料の「もとの状態」を保つという点では劣化、もしくは変化とできる。200℃に於けるPPEの熱分解では図 4の分子量分布の変化が示すように架橋より主鎖の開裂が優先していると推定される。主鎖の切断に伴うこのような変化から、開裂によって発生したラジカルが次の反応を引き起さない内に、主たる目的であるもとの状態に戻す必要がある。PPEの場合、OH末端とベンゼン環4位の末端を結合させるにはCu(II)が有効で、Cu(II)をPPEに混練することによって、PPEのOH基がCu(II)に配位し、OH結合の電子をCu(II)に与えてベンゼン環の4位を攻撃すると考えられる。脱離する水素ラジカルはCu(II)に電子を与えて自らは水素イオンとなる。
一方、電子を受け取ったCu(I)(還元された銅)は作用剤としては「失活」した状態になるが、酸素によってCu(II)に戻る。高分子鎖の結合と酸素による銅の酸化は室温で容易に進むことも自己修復に有利であると言えよう。
図 5 固体中のPPEの自己修復反応
図 5に全体像を示した。PPEの成形体に熱や力学的負荷が繰り返し掛かると確率的に主鎖の開裂が起こる。そこに発生したラジカルは活性で近傍のメチル基の水素を引き抜く。仮にCuとラジカルの反応が遅い場合には水素供与剤を混合して水素でラジカルを封じる。その後、Cu(II)が高分子末端に接近して修復する。Cu(I)は成形体に拡散した酸素で酸化され、酸素自体はマイナス2価になり水素イオンと結合して水になる。酸素と水素の電位差は1.2Vであるが、Cu(II)とCu(I)の存在量から推定される利用電位差は0.1-0.2V程度であると推定される。仮にこのような反応が正しいとすると、高分子の末端の数が増える(分子量が小さい)、分子が動きやすい(可塑剤が多い)、酸素分圧が高いとそれぞれ反応が早くなるはずであり、図 4(左)、図 6(右)、および図 7(左)はそれを支持している。また、修復反応1回あたり排泄物としての水が一分子生成するはずであり、図 5(右)に示すように修復反応と排泄物の発生量は比例関係にある。まだ絶対値との間に少し差があるが、これらの結果から想定した全体の自己修復系は成立するのではないかと考えられる。
図 6 分子量(左)と可塑剤量(右)と修復反応率の関係
図 7 酸素分圧と修復反応率(左)と修復率に対する水の発生量(右)
生物の代謝系を維持するために「酸素などのエネルギー生成物質の輸送と燃焼や発酵によるエネルギーの獲得」が必要である。哺乳動物では鉄錯体によって肺から酸素が細胞に運ばれ、そこでATP(adenosine triphosphate)が作られる。鉄の酸化還元能と錯体、および酸素とのコンプレックスの作りやすさなどを巧みに応用した代謝系である。生物系とPPEの相互を比較すると図 8のようになる。ただし、生物系の方は詳細に研究されているが、PPEの方はまだ詳細は判明していない。
図 8 生体とPPEのエネルギー代謝に於ける類似性
PPEの自己修復系が、1 )修復機能剤(Cu) 2 )エネルギー源(O2) 3 )排泄物(H2O) という要素を持ち、さらに 4 )応急手当(水素供与剤) があるのが望ましいということは研究初期には予想していなかったことであるが、考えてみると当たり前のことでもある。反応が進むのだから熱力学的にΔGは負でなければならず、ΔSは増大する。その補償は必要であり、外部のエントロピーの増大をもたらす。生物が使用している材料の多くが自己修復性を持っており、代謝などの生体活動と深く関係しているのは、自己修復には代謝などの反応システムが必要であることを示している。また、研究初期において、1 )固体の高分子材料では反応速度が遅いのではないか? 2 )損傷箇所を検出するシステムが必要ではないか? 3 )修復反応を行うのにDNAのような情報が必要ではないか?との懸念があった。また、実験では酸素の供給を絶つと修復反応は進んでも脆い材料が出来たため、酸素を経つことはできない・・・つまり、生きているような反応で窒息させてはいけない・・・と考えたが、実際にはその後の研究で無酸素状態の場合、開裂した部位が副反応を起こすため、これを防止するためにも酸素が必要であるということも判った。このようにPPEの自己修復系はまだ単にモデル実験に過ぎず、現実に劣化させてそれを回復させるなど、今後も研究課題が多いが、今までの研究で多くの貴重な知見が得られた。
3. 高分子構造と修復の可能性高分子材料の修復はその構造に因らずに全て可能であるかはまだ不明である。この節では前節までの内容と多少重複することを承知で、高分子構造と修復の可能性について整理をした。
自己修復が成立する基礎的用件は、1 )故障箇所の発見 2 )継続的な修復エネルギーの供与 3 )発生する廃棄物の処理 4 )修復の異質性 5 )修復後の機能回復 がある。故障箇所の発見は自己修復反応の第一段階であり、故障箇所が見出されなければ修復もできない。従って、拡散速度が十分に早く、a)修復場の拡散係数が修復反応の律速にならない か、もしくは高等生物の補修系にみられるように、酵素などで、 b)特定の反応や空間的動きによって修復箇所を具体的に発見する のいずれかが有効であろう。
研究の初期に自己修復反応が進まなかったときには故障箇所の発見がこの材料の必須条件であると考えたが、表 1に示すように高分子では修復剤の分散を適切に行うことができれば、修復反応に故障箇所の発見が律速になることはないようである。また、生物では細胞質のように液体や神経細胞・血管などの組織の共同作業で補修を行うが、全体としては拡散係数の大きな反応場を利用している。このようなことから金属やセラミックスは高分子に対して4桁以上遅い拡散速度を持つものでは、特定の故障箇所発見機構など別の着想を要する可能性がある。
表 1 自己修復高分子の基礎的用件(可能性)
(PPE:polyphenylene ether, PC:polycarbonate, PBT:polybuthylene terephatharate,
PEK:polyetherketone, PP:polypropylene, PMMA:polymethyl methacrylate)
継続的な修復を行って材料中のエントロピー増大を防ぐためには、エネルギーの供給を要するが、通常の使用の場合、空気中の酸素、温度変動、機能体(材料が使用される製品)からの継続的な電位付与などによる。PPEは空気中の酸素からエネルギーの供給を受けることができるが、拡散によるので成形体の厚みに限界がある。そのため、大きな成形体では材料を多孔体にするなどの工夫が必要とされる。金属表面では光による酸化還元の逆反応が可能で、この場合は光が当たっている間はエネルギーが供給される。修復反応によって発生する廃棄物の処理は個別のケースによって異なるが、水やアルコールなどの無毒で揮発性物質が発生する場合は空気中に飛散する。これは人間社会においても二酸化炭素となる化石燃料は、最後まで固体の状態で廃棄物となるものに比較して、廃棄物が見かけ上少ないということと同一である。すなわち、沸点の高い廃棄物が出る場合には、材料中に廃棄物が蓄積するので反応のバランスが生成側に傾き、反応速度が低下する場合がある。この場合は材料中に廃棄物貯蔵庫などの「反応生成物のトラップ機構」を置く必要が生じる。たとえば、無機多孔体などを予め材料中に埋め込み、そこに廃棄物を吸蔵するなどの手段がある。
前節に「永久回復」について若干触れたが、より一般的には、「修復異質性」と「機能回復」という問題として捉えることができる。「修復異質性」とは修復反応によって完全に元の構造に戻るか、あるいは別の構造になるかということである。例えばpolystyreneのような付加重合の高分子は開裂末端を接続することが難しく、予め反応性基を導入し、材料内においてそれを拠点にして修復することが考えられる。この場合は分子量は回復するので強度の低下は観られないが、修復後の材料は初期、つまり合成した時の構造ではなく、異なる高分子になる。前節の「修復過剰」はこの修復異質性の量的問題点と言える。
最後の「機能回復」は修復異質性とは別の尺度であり、例え修復異質性が高くても(つまり修復によって構造や性質が変化しても)、材料の機能としては十分に回復している場合もある。この場合には修復反応自体は「正しく」行われなくても、機能が回復するのでそれで「十分」であるという場合もある。
このような自己修復材料の設計においては、高分子がどのように劣化するかという過程を知ることが重要である 27), 28)。しかし、高分子は巨大な分子でその微細構造の変化が判り難いという欠点があり、その意味で生物学、高分子の学問の進展と共に更に発展することが期待される。
4. クレーズ及びクラックの修復
一般的に「壊れた材料を元に戻す」という表現をすると、材料に目に見える亀裂が入っていてそれが自然に無くなる印象を与える。しかし材料工学では「目に見える亀裂」は破壊の最終段階であり、それを補修することは困難である。
図 12 無定形高分子の粘弾性と温度の関係11)
高分子材料の場合、図 12に示すように高分子鎖の運動は動的粘弾性でのtanδ(損失正接)測定で、α、β、そしてγと呼ばれる3つのピークが観測される。αピークは主鎖の回転運動などの局部的な運動であり、分子的な修復反応には寄与するが亀裂を跨るような運動領域ではない。βピークはセグメント運動に起因するので、かなり大きいがそれでも10nmを超えることはない。従って、10nmを超える損傷では高分子鎖同士が接近する可能性が低く、従って補修されない。しかしαピーク、即ちガラス転移温度(Tg)以上では高分子鎖の運動が自由になり、見かけ上は高分子鎖が流動し成型が可能になる。このときの自由体積(高分子材料の全体積から高分子自体の排除体積を除いたもの)は約2.5%程度になり、一つの高分子鎖が立体的に他の高分子鎖の場所を交代することが可能になる。
向材料の成形体がある方向に引っ張られて高分子鎖が配向配列し、同時に主鎖の切断が起こってボイドが出来る段階になると、高倍率の顕微鏡でクレーズが観測される。この状態は高分子鎖が伸びきりエネルギーの高い状態にあるので、αピーク以上の温度で数分から30分程度加熱すると主鎖の再配列がおこり傷は見かけ上消滅する。図 13はクレーズの回復写真を示したものであるが、Tg+10℃の温度で数分間保持することでほぼ完全にクレーズが消失していることが判る。
図 13 クレーズの修復
これはアニーリング処理として工業的に広く用いられている方法である。この方法に自己修復反応を組み合わせなければならない。図 3(右)に示したようにクレーズの生成過程で高分子鎖が切断されているので、空間的にクレーズを消滅させると共に、そこで絡み合った高分子鎖同士を自己修復反応によって再結合することで、やっと元の状態に戻るのであり単にキズが表面的に直っても強度は十分には戻らない。このような微細な亀裂は複合界面にもみられる。高分子材料は力学的性能向上のために金属やセラミックスなどの異種材料と複合化して使用される。たとえば、有機複合材料として積層板と有機材料で構成されているガラス繊維強化プラスチック(GFRP)が挙げられるが、直径10-20μm程度のガラス繊維を混入した構造材料は異種海面付近からの亀裂が破壊の原因となる。
図 14 PC/GF複合材料の引張破断面
図 14はPC/GF複合材料の引張破断面のSIM画像であるが、マトリックスとGFの界面部分にクラックが確認できる。これら界面からのクラックが複合材料の破断の原因である。そのため、複合材料では界面の接着強度を上げる目的で繊維/マトリックス間に化学的結合を持たせるカップリング処理が行われている。例として図 15にマレイン化PPEとガラス繊維のシランカップリングされた界面結合構造を示す。また、図 16にカップリング化処理した試料(左)と未処理試料(右)の破断面写真を示す。異種材料間に化学結合がある場合にはガラス繊維と樹脂が一体になっているが、カップリング処理をしていない材料(右)は異種材料界面間に亀裂がみられる。
図 15 マレイン化PPEとガラス繊維のシランカップリングされた界面結合構造
図 16 カップリング処理済(左)、未処理(右)マレイン化PPE/GF複合材料の破断面写真(×800)
このような異種材料間の亀裂を自己修復するときには、高分子内部の亀裂と同様に主鎖の運動範囲を超えない内に修復を行う必要があることを示している。多くの生物の補修系がそうであるように、修復は連続的に行われている。たとえば紫外線による皮膚近傍のチミンダイマーは1日に数千個以上発生すると言われ、その修復は毎分行われているとされる。かなり損傷してからの修復はより事態を複雑にして回復が不能になることが考えられる。高分子材料の場合には主鎖の運動性の範囲内、より具体的にはβピークの運動の範囲を超えない内に修復を行う必要があることが判る。この現象は材料の自己修復を考える上で重要な視点を提供する。すなわち、修復が継続的に進み可逆的な修復が行われるための条件として「常に修復する」ことが必要であると考えられる。特に高分子材料においては、1 )主鎖の運動範囲が限定されていること 2 )溶液あるいは攪拌下の溶液に比較して拡散係数が小さく反応に時間がかかる ということから常時修復はキーポイントの1つであるといえる。
5. 高分子材料の修復の反応場
前節までの研究で自己修復反応は高分子の構造と密接に関係し、基礎的には高分子分解と高分子反応場の基礎的知見なしには実施できないことが明らかになった。そこで、高分子の運動性を、1)多孔質高分子の孔の構造記憶性 2)多孔質の壁面の認識 という2つから整理をしてみる。まず、高分子の絡み合いによるネットワークを化学的な結合で作り出し、架橋した多孔性高分子(styrene-8%m-divinylbenzen copolymer)を合成して、孔の形状記憶性を観測した。100nm程度にピークをもつ孔を試料(図 17の左上)とその材料と等しい比重を持つが孔が小さく観測できない(5nm以下)のもの(同図、右上)の2つ用意した。この2つの材料を良溶媒(DCE:dichloro ethane)に浸して膨潤させて、孔が観測されない状態(同図、中央)とした。この状態で一度真空乾燥した材料を再び、貧溶媒に浸して高分子の凝集を行うと、多孔質の材料は同図の左下に示すように元の孔の状態に戻り、比重は同一でも孔が観測されなかった試料は同じく初期の状態に近くなった(同図:右下)。
図 17 高分子の立体構造の記憶性
この現象の解釈はさまざまと考えられるが、単にポリマーを貧溶媒に浸した時に相分離し、良溶媒では溶解したり膨潤したりすることとは基本的に異なり、高分子のネットワークが形成される重合時の相分離によって、いったん形成された高分子鎖の立体構造は溶媒や侵入するイオンに対して膨潤や収縮を行い、あるいはその時点でもとの構造を失っても、再び類似の条件になると、基本的な立体構造は保持されていること、つまり高分子鎖の構造がエネルギー的に安定な状態に帰ることを示していると考えられる。さらに、段階的に孔の直径を変化させた高分子ネットワークを作り、孔の系と表面積の関係を調べると、同一容量の孔に対して本来、孔が小さくなるほど表面積が大きくなるが、孔の系が100nmより小さくなると孔の表面積の低下がみられ、孔が5nm以下になると孔の体積は同一でも表面積は極めて小さくなる。主鎖の運動領域が5nm以上とすると孔の寸法が5nm以下になるとその空間は「孔」としては認識できなくなることを示している。
このような孔の性質と粘弾性から得られる高分子鎖の運動性との関係で考えると、ガラス転移温度以下に於ける高分子鎖の運動の領域は4-5nm程度であることが推定できる。高分子は一つの分子が大きく、普通の意味での「モル」という単位を使いにくい。それでも多くの高分子の「化学構造上の単位(単量体)」の分子量は約100であり、その意味では1cc中に含まれる単量体単位の個数は6×1021ヶ程度であることが判る。一方、1nm3は10-21ccに相当するので、1nm3の空間の中には平均6ヶの単量体単位が存在することになる。従って、4-5nmの空間に含まれる標準高分子単位は400-800ヶと計算される。
高分子の反応がこのような特定の領域に限定されるということはまだ確定的ではないが、自己修復反応を無理なく説明するためには有効である。たとえば高分子材料内部に発生するキズは高分子の運動制限を受けて4-5nmが移動する限界とすると、それ以上のサイズの修復剤は極端にactivityが低下して濃度が高くても反応をしないと考えられ、実際にも分散性の悪い銅を使った場合は自己修復が見られなかった。
自己修復反応と反応場の関係を考察するために修復系に於ける作用臨界径(修復材が完全に溶解しているとして反応をカバーする球の粒形)を計算すると、PPEの場合一分子あたりの作用臨界径は5.1nm、PCとNa2CO3では13.6nmになる。おおよそ5-10nmであることが判る。また、自己修復反応を擬一次反応として速度定数を計算すると高分子内自己拡散係数の推定値に対して速いようである。これらのことから高分子鎖の運動領域と高分子が固体であることについての総合的な説明は図 18のモデルで可能ではないかと考えられる。
図 18 各スケールに於ける高分子鎖の運動性
高分子鎖同士の結合力はそれ自体では固体を形成するほどにはならず、局所的には液体と同等の運動性を有するが、高分子鎖の絡み合いという立体障害によって運動が制限され(ガラス転移温度以下の温度では空間的な場所を入れ替えることが不可能であり)、固体として振る舞うと考えられる。このことを直接的に実証する試みを行っているが、測定器の精度の関係で成功していない。しかし、自己修復反応を無理なく説明するためには図 18のモデルが有効と考えられる。
おわりに1960年代に新規な高分子の研究が一段落したこともあって、高分子反応の研究が盛んに行われた。その結果、多くの優れた機能性高分子が誕生したが、高分子反応を用いて自己的に修復する材料の研究はそれほど盛んではなかった。このことは高分子材料が補助材料としての歴史を辿ってきたことと無縁ではない。しかし、新しい目的で高分子反応の研究に取り組むことは、これまでの研究成果を活かし、また新しい展開を生むものと期待される。
新しい研究領域は常に不安定であるが、生物が多くの自己修復系を用いて生活をしており、そのような生物が進化の過程で生き残ってきたことを考えると、自己修復材料こそが今後の材料の中心的存在になることは間違いないように感じる。研究者は常に自分の研究こそがもっとも有望と思うものではあるが・・・。
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参考文献
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