― 人工材料の自己修復 粘る! ―

 ポリエーテルケトンの逆反応は温度が高くないと起こらない。「起こらない」というのは傲慢で正しく表現すると「自分が知っている方法に限定すれば、温度が低いと逆反応が起こらない」と言うことである。もちろん、将来、素晴らしい触媒が発見されるかも知れないし、もともと我々の研究室のレベル自体が低いのかも知れない。

 逆反応の実験をする時に、謙虚に考えて溶液の実験から始めた。これはポリフェニレンエーテルの時と同じで、まずはこれまでの実験条件で逆反応を行い、それを固体に展開しようとした。実に着実で謙虚な実験方法である。そして溶液で実験を行い、失敗した。

 普通なら、溶液でもダメなのだから実験を諦めるか、それとも別の触媒を捜すかの方向に行くだろう。このポリエーテルケトンの実験では私はもともと「温度が低くても逆反応が進行するのか・・・将来、自己修復の可能性があるのか」という研究には批判的だった。

 私は「研究は一人ではできないし、一度にもできない。少しずつ階段を上る」と考えている。私一人、私の研究室だけで生命活動をする人工的材料などの大きなテーマを完成することはできない。でもその最初のいくつかの事実を明らかにすることはできる・・・私はそういう研究思想をもった人間である。だから「これが何に役に立ちますか?」とか「技術立国のために」などと言われると絶句する。

 ところで、諦めようとしている時に博士課程の学生が固体での実験を始めた。私には小さな実験に思えたが本人がやりたければやるのが良い。失敗すればそれはそれで経験になるし、成功すれば嬉しいことである。

 結果は思いがけないものだった。下の図に示したようにつなぎ剤として使用したDFBの濃度を下げて見たら、ほんの少しDFB加えたサンプルの分子量(還元濃度)が大きく上昇したのである。溶液で実験した時にはDFBの濃度はPEK(ポリエーテルケトン)に対して、1, 2, 3, 4と4種類の比率を選んでいた。

 上の図では一番、少量の濃度が④にあたる。この実験では多少分子量が上がっているが、それでもこの実験の時に比率を1, 2, 3, 4に決めていたら、「やはり溶液でも固体でもダメだ。溶液でダメなのに固体の実験するなんて、お前はバカか」と言われるのが関の山である。

 研究とは難しい。溶液での条件でそのままやれば失敗した。でも溶液での実験で「つなぎ剤があると分子が切れるようだ」ということがわかっていたので、少量を添加した条件も選択したのだろう。今となっては記憶が薄い。ともかく良かった。微量添加の条件をやり、成功した。

 この成功は次のことを教えてくれる。
1) 溶液とは別の反応が起こることがある。だから溶液で反応が進まないからといって固体で進まないとは限らない。
2) だから固体の高分子における自己修復反応が拡散律速とは限らない。
3) 当たり前のことだが、実験前にわかっている事実から推定した結果が実験の結果となるわけではない。
4) 研究は得られた結果に敏感になる方が良い。形式的な考えは成功しない。

 意外な実験結果が得られることがある。このような時に再現性を当たればよいということも言われるし、確かにそうかも知れないが、その一方で結果がある意味では「説明が可能か」ということも考えなければならない。学問がいくら新しい新事実を発見するものであっても、結果はそれほど「おかしくはない」ということをチェックすることも必要である。

 キュリー夫人がラジウムの崩壊を発見した時には297回の同じ実験を繰り返したという。私の実験室でもある難燃性の実験で何回も何回も同じ事を繰り返したことがある。どうしても納得できない結果の時には確信が持てるまで実験の繰り返しが必要であるが、納得できる時には1, 2回で終わることもある。

 この意外な結果について研究室で議論した結果は下の図の通りだった。PEK(ポリエーテルケトン,図ではⅠ)とつなぎ剤Ⅱ、さらに触媒Ⅲを加えると、複数の反応が進み、それぞれできるものが違うだろうと考えた。


 


 まず、水が発生する系統と塩が出る反応があるだろう。そして水が発生したルートではさらに反応が進み塩が脱離するに相違ないと考えられた。でもやはり分子量は長くなり、短くなるルートを仮定するのは少し無理がある。そこで下のような反応ルートを検討した。

 研究はだいたい5人程度のチームで行われる。多くは博士課程の学生が中心でそれに修士課程2年、1年、そして学部4年の学生が参加する。細かく言うとそれぞれが別のテーマを進めているが、それでも、一人は溶液系、一人は固体、一人は温度の変化などであるから、頻繁に検討会を行う。

 学生はまだ知識や経験が少ないから突拍子も無いことを言うが、それだけに有用な発想も出てくる。この場合はポリエーテルケトンというのは比較的安定した高分子だが、それでも高分子同士が反応して「エーテル交換」を行うことがある。

 低分子、つまり普通の有機合成ではエーテル交換はエステル交換ほどには知られていないが反応としては存在するから高分子がエーテル交換をしてもそれほど不思議ではない。そこで次のような反応を考えてみた。高分子のエーテルが、例えば二量体のオリゴマーと反応してエーテル交換を行うと、分子量が減少した二つの高分子になる。

 この反応が炭酸カリウムを加えたものでは進みやすいのではないか。もし仮にエーテル交換が高分子の中心近くで進んだら分子量は確実に半分になると考えられる。かくしてポリエーテルケトンの逆反応もようやく一段落つき始めてきた。

 
おわり