― 人工材料の自己修復 ポリエーテルケトン修復条件 ―
ポリエーテルケトンというのは現在ではやや特殊な高分子である。スーパーエンプラと呼ばれる一群の高分子はポリスルホンにしても液晶高分子(LCP)にしてもその性能だけを見ればとても魅力的な材料であるけれども欠点もある。
その欠点の一つは成形が難しい事で溶媒も少ないし、熱をかけてもあまり柔らかくならない。また工業的には値段が高い。いわゆる汎用プラスチックは1キログラムあたり100円から150円、エンジニアリング・プラスチックは300円から400円というところなのに、スーパーエンプラは数千円もする。
しかし値段というのは学問的にはあまり大きな意味はない。この研究が2040年に完成したら、その頃には石油が枯渇して耐久性の高いスーパーエンプラだけが使用されているかも知れないからである。また「自然に学ぶ」という点では、自然は、1)そこにある材料を使う、という場合と、2)目的に応じて材料の構造を変える、という場合がある。
人間が使用する工業材料もそれは同じであるが、「お金」という制約があるため、人間ではもっとも安い汎用プラスチックに対して、エンジニアリング・プラスチックの生産量は10分の1,スーパーエンプラに至っては100分の1にしか過ぎない。今の社会の文化は徹底的に使い捨てなのである。
それはともかく、ポリエーテルケトンの修復実験の条件検討に入った。基礎的な段階でより良い条件を捜す必要はあまりないが、条件検討の実験をするとその過程で、何らかの間違いを見出すこともある。
有名な話に立体的な規則性を持つジエンゴムのゴム弾性は、シス構造が多い方が優れているとずっと言われてきた。そしてその理屈まで考えられていた。ところがある人がシスとトランスの割合を細かく振って実験を行った。シスが多い方がゴム弾性的には良いことがわかっている時によく実験したものである。
その結果、いままでやっていなかった条件の間、たしか35%程度の割合のところと記憶しているが、そこに鋭い性能のピークがあったのだった。それをローシスのジエンゴムと言いその後、タイヤなどの用途に大量に使用された。
最初に時間を変えて再重合の様子を調べた。再重合開始後、30分、60分、そして120分の3点を実験したところ、下の図にあるように順調に分子量が増大した。これは、溶媒なしの固体の実験である。
さらに今度は温度を変化させてみた。温度が高い方が反応が進むのは普通であるが、固体中の反応は分散の問題や相分離など物理的状態が支配するので、必ずしも温度が高い方が反応が進むかどうかはわからない。というより、その状態を見て反応がどのように進んだのかを考えるよすがを得ると言えるだろう。
温度を変化させて分子量の変化を見ると、上のグラフに示すように200℃から320℃の範囲で還元粘度は上昇している。普通に考えれば温度が高くなると反応が速くなるという当然の結果を得ただけであるが、自己修復の研究と言う点では少し考えなければならないことがある。
温度が高くなると反応が進むという現象を少し中身に入って考えると、1)反応(そのもの)の速度が上がる 2)反応する物質の衝突の回数が増える という二つにまとめることができる。温度が上がるとなぜ反応(そのもの)の速度が上がるのかというと、温度は振動エネルギーと比例しているので、温度が高いほど反応する分子は激しく振動する。そのために反応の活性化エネルギーの障壁を越えることができるからである。
しかし、この場合は固体内の反応なので反応する物質同士が衝突する回数の方が問題とも考えられる。つまり固体の中を高分子がふらふらと動き、たまたま高分子末端が衝突したらそこで反応が起こる。このような場合を「拡散律速」と言い、反応そのものの速度が問題の時は「反応律速」という。
もし温度を変えたデータから活性化エネルギーを求め、それが150kJ/molより大きければ反応律速の可能性が高く、12kJ/mol程度なら拡散律速とまずは考えられる。というのは、拡散律速はEyringによってその理論的な研究が行われてきたが、要は「分子を乗り越える障壁」であり、分子の大きさはそれほど変化がないので、高分子物質の拡散では12kJ/mol程度になる。
一方、もともと「なぜ、自己修復の実験をしなければならないのか?」というと、まずは生物の材料の多くが自己的に修復をしているのに、なぜ人工的な材料は修復せずに使っているのか?という逆の疑問があり、次に人工的な材料も自己的な修復ができればどういうことになるのか?というのが第二の興味である。
そしてもし、人工的な材料が一般的な化学反応のように自由に反応条件や反応場を選択できるなら、自己的な修復というのは逆反応だから「実験しなくてもできるのはわかる」とも言える。でも概念として新しく、固体中の反応を伴うので、普通ならできるがプラスチック中では無理である、などという結論が得られるかも知れない。だから研究が必要である。
ということは、人工的な材料の自己修復とは「普通には反応が進む逆反応を見出すことができるのか?」と、「拡散律速になるはずである」という二つが前提にもなる。
そこで上の図から活性化エネルギーを計算すると16kJ/molになった。なるほど!と納得できる。自己修復という研究はおそらく拡散との戦いである。ある人は「生物に学ぶと言っても生物の細胞は液状だから、固体ではない。君は固体の中で反応をしようとしているのだから、ダメだよ。そんな反応は」と私に言う。そう、その通りで私が一番、心配しているのはあの固いプラスチックの中で長い分子の末端が反応するなんてあるのだろうか?しかも、触媒もそこにいなければならないのだから。
実は、高分子が劣化し、それを自己的に修復すると言い、生物に学ぶと言っても、生物が高分子を修復するのは末端ではない。多くは高分子の途中の欠陥を直すのである。しかし、現在の環境問題を解決するには、高分子末端をつなぎ、劣化したプラスチックの強度を元に戻すことがまずは必要である。
やりやすい普通の「高分子反応」を利用する事の方が良いかも知れないが、私は末端の接続、つまり再重合と言ってもよいが、それを選択した。これは研究者の選択の問題であるが、私が工学をやっている事とも関係する。
すぐ社会に役立つことは期待しなくても良いが、少なくとも工学は何らかの形で社会に役立つようなイメージがないといけないと考えている。そこでこのような研究方向を選択したのだった。
ところで200℃から320℃の範囲での固体内高分子末端接続反応の活性化エネルギーが16kJ/molであるというのは予想通りであり、驚きでもあった。もう少し高いと思っていた。それは拡散律速でも高分子末端だけの拡散であるし、また触媒が固体であることもあったからである。
ともかく、ようやく固体内高分子末端接続反応がある程度、数値的にもわかってきた。原理的に可能であることがわかった時は研究者にとって嬉しい。
おわり