― 人工材料の自己修復 ポリエーテルケトンに取り組む ―
ポリフェニレンエーテルの次にポリエーテルケトンに取り組んだ。ポリフェニレンエーテルはGPC(ゲル・パーミエーション・クロマトグラフィー)という分析機器を使用すれば、比較的簡単に分子量や分子量分布を観測することができる。
もっとも、高分子の分子量というのは一次分布が数平均、二次分布が重量平均、そして三次分布が粘度平均と異なる分子量評価があり、ややこしい。また分子量の絶対値を決めるのはなかなか難しく、本来は粘度法で厳密に測定するのが正しいとされている。
しかし、研究というのはいつも厳密だけでは駄目で、その研究のステージをよく考え、厳密でなければならない時には厳密に、相対的な比較でも研究が進められる時には相対的にというように柔軟に考えた方が良い。初学者や学生の中には「厳密でなければ学問ではない」などと頑張る人もいるが、それはニュートン以来の科学の発展を知らないからである。
さらに私たちが担当している工学というのは「自然の原理を応用して人類の福利に役立てる学問」であり、ある意味では「できてなんぼ」という世界でもある。もちろん厳密で科学的な手法は重視されるべきであるが、それだけをやっていてなんの進歩ももたらさないというのも考えものである。工学の多くは最終生成物が物質、部品、または製品なので、そこで最終的には検証される。
ポリエーテルケトンの場合は、GPCで測定する良い溶媒がなかったので、粘度法で測定することにした。粘度法を学生のような経験の無い者がやると、粘度計のガラスが汚れていて高分子溶液が流れ落ちる時間に誤差が生じることがある。
そこでまず学生に練習をさせなければならない。かなり習熟した学生が測定して基準としたポリエーテルケトンの粘度測定データを下の図に示す。3点測定し直線上に乗れば、それを外挿して濃度がゼロの時の粘度を得ることができる。その意味で、下のグラフは「合格」である。
濃度がゼロの時の粘度は[ ]を付けて表示してこれを極限濃度と言う。ある高分子の極限濃度はその高分子の分子量と関係があるので、極限濃度を測定することによって分子量を推定することができる。ただし、上の図でわかるように3点が綺麗に直線に乗る時は良いのだが、少しでも外れると外挿なので誤差が大きくなる。これも泣き所の一つである。
ポリエーテルケトンの極限濃度から分子量を計算する式はすでにわかっていて、次式で示される。この時、測定溶媒は濃硫酸である。
分子量の測定方法ができたので、次に予備実験と練習を兼ねて単量体から高分子を合成し、おおよそこれまでの文献などと矛盾がないかを調べることから始めた。研究目的は「自己修復」ということで一貫していても、対象材料が変化していく時にはポリフェニレンエーテルでも採用したように、じっくり、基礎から初めて対象材料に対する感覚を養う必要がある。
たとえば重合したものを手に入れてそれから再重合を始めると思わぬ錯覚をする可能性があるからである。研究のほとんどは「常識的」に進むが、時に思いがけない結果を得る。それこそが実験というものの価値であるが、逆にそれを発見するには段階を踏んだ研究が必要である。
上図はそのような予備実験の結果であるが、横軸に単量体に対するアルカリの量、縦軸に分子量に比例する還元粘度を示したが、アルカリの量が増えるにつれて分子量が増大し、おおよそ3,000から40,000程度の分子量のものはアルカリの量を調整することによって得られることがわかった。
次に重合時間を変化させてポリエーテルケトンの重合を調べた。その結果、下の図に示したように時間と共に重合が進み高分子化していることがわかるが、アルカリと単量体の比率によってはほとんど重合が進まない場合もあることも知った。
この原因としては、下の図に示したようにポリエーテルケトンを重合で合成する時に、温度も高いのでエーテル結合に対してオルトの位置が酸化されて水酸基ができると、それが基点となって架橋反応が起こり、ゲル化すると考えられる。事実、40minのサンプルについてはゲル化物が見られたが定量的なことはわからなかった。
また少なくとも見かけ上はアルカリの量に依存するようにも見えるが、アルカリとして使用している炭酸カリウムは固体であって単量体にも高分子にも溶解しない。だからある程度は粉状で分散しているはずであり、濃度という概念は当てはまらないだろう。
この研究で使った炭酸カリウムの粒子というのは、平均粒径は約200μmで1粒子の体積は4.2×10^-3mm3、1粒子の重さは体積に比重(2.43)を掛けて1.02×10^-5gで、1粒子には炭酸カリウムが、(1molの個数)/(1molの重さ)×(1粒子の重さ)だから4.4×10^16個ある。
でも実際には粒子の表面だけしか利用されないので、下の図のように表面でしか反応しないと考えられる。それでもなお分子量が上がっていくのは驚くべき事である。普通の化学反応が固体表面で起こることは頻繁にあり、また高分子の合成でも固体触媒は多い。だから「そんなの当然じゃないか。高分子の合成を知らないのか!」とまたお叱りを受けそうだが、不思議なことは不思議だ。
高分子が生成してくると粘度が上昇してくる。同時に高分子の末端は、分子量の低い分子よりかなり運動性が落ちるだろう。それが触媒の表面で単量体と反応するのだから不思議である。事実だから不思議ではないということはない。事実でも不思議は不思議である。
科学はなぜを問い、教条的な答えを要求するものではない。ニュートンが生まれる前、「ものが落ちるのは地中にいる悪魔が引っ張っているから」と考えた。ニュートンが万有引力を発見してからは「ものが落ちるのは万有引力があるからだ」と答える。どちらも「なぜ」には答えていない。悪魔が万有引力という一見、科学的なものに言い換えられただけである。
ともかく単量体からポリエーテルケトンを合成するという当たり前のことはできるようになった。
おわり