ナノテクノロジーの領域と疑問
ここからまた出直しのナノテクノロジー・シリーズです。
ナノテクノロジーとは
ナノ材料とその応用分野はかなり拡がってきた。それを簡単にまとめた下図は公的な機関がまとめたものだが、研究領域が広すぎてとらえどころがないナノ材料の全体像を把握するのに役に立つ。
図 1 ナノテクノロジーの俯瞰図
つまり、ナノテクノロジーは横軸に応用分野、たとえば、ナノテクノロジーが利用されるのが電子関係か、光、エネルギーか、生命かなどで考えることができ、また縦軸は、材料や設計などの点から分類することができることを意味している。
でも、実はこの図から分かるのは、ナノテクノロジーは科学というより技術、学問と言うより産業からスタートしていることが分かる。もっともこれまでの学問も最初は技術や産業から始まり、それを学問的体系や理論構築を行ってきたのであるから、ナノテクノロジーでもそれは同じである。しかし、大学の収益性などが論じられるなかで学問的研究が遅れがちであることも示している。
普通の人は、学問は理論から出発してだんだん実験結果が集まり、最後に技術として成熟していくとのイメージを抱いているが、本当は逆で、最初に事実があり、それに刺激されて理論を考えるのが普通である。著者は常に「真実は現場に聞け」と言っているが、それは科学そのものである。
でも現在のナノテクノロジーはそうではない。最初は星間物質を観測していた天文学者や化学者、そして分析学者がフラーレンを発見したのに始まるが、現在では実用化が進んでいて学問が後退している。
図2 La原子を2つ包含したフラーレン
そのような背景をざっと認識した上で、図 2に示すフラーレンを見てみよう。炭素60ヶのカゴの中にLa原子が二つ閉じ込められている。このような分子はこれまでにはあまり無かったものであり、さらにこのような小さな分子の特定の場所に原子を閉じこめる技術などはあまり考えられていない。その点で、ナノテクノロジーは新しい領域である。
ナノテクノロジーの技術は「ボトムダウン型」と「トップダウン型」がある。著者はこのような表現は大嫌いだが、ナノテクノロジーの技術の流れを的確に表現していることを認めざるを得ない。つまり、これまでの科学は、分子と物体だった。分子は1nm以下のサイズである。もちろん、タンパクやそのほかの巨大分子もあったが、それもあくまで1つの分子は1つの固まり、という概念で進んでいた。
また物体の方は鉄やプラスチック、また自動車のように人間のサイズと同じような大きさで、その全体を問題にする。だから、こちらはいわば「平均値」の世界だった。
図 3 ナノテクノロジーの2つの研究方向
この二つの方面から、ナノテクノロジーと呼ばれる中間的なサイズへの接近だから、小さな方からの接近としてのボトムアップと、大きな方面から少しずつ小さくしていくことを意味するトップダウンという訳である。学問や技術の流れを理解するという意味ではよい整理である。
次の図は高分子のフィルムで凝固するときに流れの方向が限定されていて、それによって特定の構造物が生成する例である。この図だけを見るとナノテクノロジーとしての特徴が感じられないが、多くの研究例があり、それを勉強するとナノ領域でのさまざまな高分子の動きが感じられて、とても興味深い。
図 4 高分子フィルムの自己組織化
また生体によく見られる自己組織化によるナノテクノロジーも盛んに研究されており、どちらかと言えばダウンサイジングであるが、独自の技術領域とも見られる。このようなことをまとめると、まず「ナノテクノロジーとはなにか?」との問いに対して、次のように回答されている。この記事が書いてある本はたしか「ナノテクノロジーのすべて」というベストセラーの本だった。
まずは適切な回答だろう。そして、この回答に続いて、「ナノテクノロジーをブームに終わらせないために」ということで、次のように書かれている。
これも良くまとめられており、このところとかく概念や目的が明確ではない研究が多くなってきたことの反省も含まれている。このシリーズでは、ナノテクノロジーを特に材料のサイズという点でまとめてみた。まず第一の視点は、材料の種類とサイズの問題がある。材料の種類によってナノといっても同一の効果を発現するサイズが違い、これは主として拡散係数など材料を構成する物質の運動性によっている。
図 5 材料の種類とサイズの効果
図 5に示すように、拡散係数の大きいポリマーでは10nm以下では高分子鎖が激しく運動し、100nm以上では空間的に固定されていることが多い。従って性能の遷移領域は10-100nmと考えられる。
これに対して金属や無機材料は構成している分子の運動性が弱いのでnmもしくはより小さな領域にその変化が現れる可能性がある。またそれとは別に、材料表面という点では100nm以上で内部分子と表面分子の割合がバルク材料とはかなり異なってくるので、その影響が出ると予想される。
例えば、目の前に液体と固体があるとする。なぜ、片方が液体で、片方が固体かという質問をしたら、液体の方は分子が動くことができるが、固体は出来ないと答える。つまり分子間力が強く、物体を作っている分子や原子が動けなければ固体になる。
水が0℃で氷になるのは、温度が下がって水分子同士の水素結合を超えて動くだけの熱エネルギーが与えられなくなったからである。
ところが、高分子材料は高分子が互いに絡み合って材料としての形は性能を保っているが、「液体と固体」の区別を決めるものは分子間力ではなく、立体的な絡み合い・・・エントロピー項・・・である。たとえばデカンとポリエチレンは同じ構造であるが、前者は液体、後者は固体である。
だから、高分子材料は材料中の空間のサイズによって液体から固体へ変化するはずである。その様子を図にしめした。炭素が10個のデカンは、常温でも液体だが、デカンが長くなったポリエチレンは固体である。ポリエチレンは結晶化しているので少し話がややこしいが、基本的には例として間違っていないと思う。
図 6 高分子のディメンジョンと液体/固体の境界
高分子のこの現象を硬度などで直接的に捉える試みをしているが、まだ成功していない。間接的な証拠としては多孔質高分子の孔径と孔量の関係(図 7の左)から、まず高分子鎖の運動性が分かる。つまり、多孔質高分子で孔の大きさが10nm以下になると、孔が観測されなくなったり、表面積の測定が困難になる。
我々が「壁」として認識するためには、壁を構成する分子の運動が壁の大きさより充分に小さいことがポイントとなる。もし、壁の運動が壁の大きさより大きかったら、壁は壁では無くなるからである。その点では10nm程度が高分子の運動領域と考えられる。
それと反対に、100nm以上の孔の三次元高分子の場合、「孔の記憶性」が観測される。この実験結果は高分子論文集に数回にわたって投稿したので、それを参考にして頂くことにして(ホームページの業績のなかにある)、高分子の絡み合いが100nm程度以上の寸法になると、ほどけないことを示している。
図 7 高分子の構造を推定するデータ(左 多孔質高分子の孔の体積 右 孔の記憶性)
このようにナノテクノロジーの世界は、材料によるが、種々の材料性能が分子でもなく、物体でもない中間的な状態で、新しい特性を示す可能性があることを言っている。
また、さらに学問的には、近代科学、つまり18世紀から進歩してきたこれまでの学問が「膨大な数の分子群」「一つの分子」の2つの領域を扱ってきたが、ナノテクノロジーはその中間に位置するので、主要な基礎式が適応できない可能性がある。
たとえば、統計力学では対象とする場に存在する分子の数がある一定以上にならないと近似が困難になる。図 8の左は分子の数と、分子の集団がとりうる値の分布を示している。分子の数が少ないと、その分子集団の性質がバラバラになり、代表値を決めることができない。誤差が大きくなる。つまり現代の科学の式の多くが「分子が膨大にあるので、代表値の誤差が小さい」という原理を使っているからである。
この影響は統計力学のみならず、熱力学やその応用分野である平衡論などに影響を及ぼす。また、分子の数が少なくなると、表面と内部の関係が異なってきて、たとえば「沸点」「融点」などこれまで定数として取り扱ってきたものが取り扱えなくなるという問題点もある。
たとえば、水の沸点は100℃であるが、それは水の分子数が膨大で、界面の力に対して内部の力が桁違いに大きい時に成立する。しかし、水の粒子が小さくなると沸点は下がる。それを水銀で計算した例を右に示した。水銀の粒径が10nm程度になると、蒸気圧は実に1.8倍にもなる。
図 8 ナノテクノロジーに独自の学問的問題(統計の誤差と内部/表面分子の問題)
このような分野も学問的には大変興味があり、今後解析的に取り扱われるのか、もしくは計算機を駆使した学問が発展していくのか興味のあるところである。特に表面と内部の状態に関してナノ材料がバルク材料と決定的に異なることは明らかで、金で10-20nm, シリカで3-8nm程度が表面エネルギーが支配的になる遷移領域がある。
第一回の解説はこれで終わる。ナノテクノロジーが表面的に寸法を小さくしたり、記憶密度の大きな電子回路を作るためだけではなく、学問的にも新しい領域であることがおわかりと思う。