吸着によるエネルギーの回生
1 はじめに
酸化還元電位,吸着力,錯形成安定度定数,浸透圧などの示強性変数は加成性が認められる.加成性の本質はこれらの示強性変数が同一の物理的意味を有しているということであり,それ故に複数の反応が共存するときには両者に物質的な関係が無くても相互の示強性変数に基づく影響がその系の化合物に及ぶと言うことである.
本研究では化学的平衡反応のうち,可逆反応であるが反応の通常取り扱う物質では反応の平衡の偏りが大きい酸化還元反応と,同じく可逆反応であって反応の偏りが小さいイオン交換反応を共存させることにより,示強性変数の加成性を観測するものである1,2.
また本研究は上記に示したような基礎化学的な知見を得る目的と共に,電子授受によるプロセスエネルギーをイオン交換反応などの見かけ上異なる反応の共存によって回生する手段の糸口を見出そうとするものである.
資源分離工学分野においては資源の回収,分離,精製などの分野でのエネルギーの回生は極めて重要な問題であり,多くの手法が研究されている.しかし熱的なエネルギー回生方法は蒸留などの分野で盛んに研究されているものの,熱力学的考察が困難な化学的回生手段の研究例は少ない3,4,5.
さらに本研究で取り扱う現象は複雑で適切な実験条件を見出すのが極めて困難であるので,実験に先立ってコンピューター・シミュレーションにより適切な実験条件を見出し,また実験結果に対してもコンピューター・シミュレーションの結果を参照にしてその解析を行った。
2 理論
2.1 平衡関係
示強性変数の加成性を認めるために選択しうる化学反応,力学過程,または電気的プロセスは多くあるが,ここでは2種の化学反応を取り上げる.その1つは電子の授受,すなわち酸化還元反応であり,下式に示される一般式,並びに本研究で取り上げる4つの酸化還元対を示した.
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
式(1)で示される平衡関係に於いて示強性変数の1つである標準還元電位はおのおのの酸化還元対に対して表1で示される値をとる.塩酸水溶液中では本研究で取り扱うイオンは安定して存在しているので標準還元電位は再現性良く測定される.
表1 本研究で検討する酸化還元反応の標準還元電位(1M HCl) ![]()
本研究で酸化還元反応と共存する化学反応はイオン交換反応であり,その一般式を式(6)に示した.
(6)
緒言で述べたように酸化還元反応は平衡反応ではあるが,反応を支配する酸化還元対の標準還元電位は再現性良く測定でき多くの研究では実験をすることなく成書に掲載されているテーブルを参照することができる6.また液電位は電極を用いて正確に測定することが可能である.
平衡反応の内でも「硬い」平衡反応に属する.これに対してイオン交換反応は平衡の偏りも小さく,イオン交換平衡定数は溶液の状態,イオン交換体の合成方法,コンディショニングの方法などで変化する.「柔らかい」平衡反応と言える.従って,本研究でも使用するイオン交換体の構造及び実験条件下でのイオン交換選択性を測定し,それを実験の項で示した.
2.2 平衡収束式
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2.3 コンピューター・シミュレーションの方法
上に示した平衡収束式を用いたコンピューター・シミュレーションは,言語をFORTRAN, CPUをPentium133MHzで実施した.最近では様々な分野で既製の数値計算プログラムが使用されるが,FORTRANなどの言語の整備が進んでおり,研究に適したプログラムを開発することはさほど時間を要することではない.
本研究では2つの化学平衡が多段で行われる実験系を選択したので,平衡収束式を多段で展開する必要を生じる.それ故コンピューター・シミュレーションのための多段平衡モデルを作成した.図1に示す.
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図1 コンピューター・シミュレーションで用いる多段平衡モデル
イオン交換体を充填した塔の中に仮想的な平衡段を仮定する.その段内ではイオン交換反応と酸化還元反応が平衡になり,また上部の仮想段から流入する元素と下部の仮想段に流出する元素,及び当該段の中の元素の存在量の変化は化学量論が成立する.
イオン交換体を充填した塔の下部から仮想的に液が流出するので,上部の仮想段へ1段分の液の供給をする.この様な単純な平衡系が現実の多段平衡系とどのような関係にあるかについての理論的考察はすでになされており7,仮想段の定義を定めれば,両者の間に物理的意味のある関係を求めることができる.
コンピューター・シミュレーションは上記の収束平衡式並びに多段平衡モデルを用いて標準的コンピューター・シミュレーション手法を用いて行った.まず,一段平衡に関するシミュレーション・フローを図2に,実験における平衡液の移動,平衡,液の供給,回収などに相当するシミュレーション・フローを図4に示した.
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図2 一段平衡のシミュレーション・フロー
図2に示した一段平衡のコンピューター・シミュレーションは化学的,または化学工学的な問題点は少ないが,いくつかの数学的問題点を含む.収束関数は2種類あり,示強性変数としての標準還元電位に関する収束,及び同じく示強性変数としてのイオン交換選択性に関する収束の関数が異なるので収束状況に違いがあるからである.
前者の関数は増加関数ではあるが,増加率は複雑で多くの変曲点を有する.特に系内に存在する元素の標準還元電位が溶液電位の近傍にある条件に成ったとき,関数の微分符号はプラスであるが,液電位の変化に対して関数の増加率が少なく,実質的に曲線はプラトーといっても良い状態になる.
シミュレーションの条件によっては系内の4種の元素の標準還元電位に対して解がもっとも高い標準還元電位より高い場合には収束計算過程で4回のプラトーを通過することもあり得る.プラトーでは曲線の傾きが極めてゼロに近いので,この近傍の液電位での接線が横軸と交わる点は極めて大きな数になることがあり,収束計算は発散の危険を生じる.
そのため収束方法は収束次数を減少させても一定の収束が成立する方法を選択する必要がある.本研究では一定の刻み値を設定して刻み幅ごとに関数の正負を判定する方法を採用した.この方法は2次の収束次数を有する数学的方法より収束能率は悪くなるが,収束に対してより安全であった.
一方,イオン交換選択性に対する示強量変数についての収束は単純増加関数であり予備的検討に於いては収束範囲に編曲点は見られなかった.そのためイオン交換選択性に関する収束方法は2次収束次数を有する方法を採用することもできるが,コンピューター・シミュレーションプログラミング手法の最適化という点から酸化還元電位に関する収束と同様の方法を用いた.
さらに全体の収束を完了するためにはそれぞれの収束関数の真値からの偏りの2乗の和をとり,最終的な収束とした.2ヶの変数の収束曲面には酸化還元電位の収束式の変曲点に基づく多数の「くぼみ」が観測される.
従ってこの場合も数学的に様々に検討されている高次の収束方法を採用することはできなかった.本研究のように収束計算の個数が膨大で収束結果を検算する適切な方法のない場合には収束結果が常に真値になるような方法を選択する必要がある.またイオン交換体を充填した液の変化をできるだけ緩やかにし,その上で計算する仮想段の上部,下部あるいは時間的に少し前の状態を考慮して計算を行う必要もあった.
以上の収束式の微分による関数の変化の確認,収束方法の適否の検討を経て,安定した収束を得ることができた.収束曲面の一例を図に示す.
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図3 2ヶの示強性変数による収束式の収束曲面の例 (z軸がF, x軸が 、y軸がE,及びλ)
循環プロセスのシミュレーションについては化学的に仮想段の平衡の意味の問題があるが,数学的問題は多くない.それは循環プロセスは一段平衡を立体的に移動させていくという紛れない移動方法を採ることができるからである.
循環プロセスにおける問題はイオン交換体のDonnan Saltsの変化による急激な総交換容量の変化が合った場合,イオン交換体内の総吸着量を計算対象となる一段内に存在する元素との比率が逆転し,元素不足を起こすことにあった.
計算過程で見出されたこの意外な状態は,現実の実験ではどのような現象に対応しているかが問題になろう.おそらく,急激な溶液組成の変動に対して過剰吸着席が起こる場合にはDonnan Saltsの変動に耐光する大きな示強量変数の変化が起こると考えられる.その結果Donnan Saltsは理論計算通りに変化せず,イオン交換選択性によって変化を抑制すると考えれる.
これも本研究の主要な課題である示強性変数の加成性に基づくものと考えられる.コンピューター・シミュレーションではこれを避けるため,及び実際の溶液内のイオンの拡散を計算では考慮していないことを考え,急激な溶液濃度の変化を避け段階的に濃度の変化をさせる手段を講じた.
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図3 循環プロセスのシミュレーション・フロー
3 実験
酸化還元反応を伴うイオン交換反応の実験は図4に示した装置を用いた.中央のイオン交換塔にはベンズイミダゾール基を有する図5の構造のイオン交換体を充填し,予め用意した酸化還元反応にかかわる元素を順次供給することによって行った.
本研究では溶液の供給順序,供給する溶液濃度,温度などの条件を多数行った.溶液の供給順序は最初にイオン選択係数が大きく,標準還元電位が高いイオンを供給してイオン交換体に吸着させ,続いてイオン交換選択性が小さく,標準還元電位が低いイオンを供給した.また後者のイオンとして標準還元電位は低いがイオン交換選択性は比較的大きいイオン,あるいは標準還元電位が比較的高いイオンを供給して,示強性変数としての差を議論し得るように計画した.
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図4 酸化還元反応を伴うイオン交換反応実験装置
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図5 用いたイオン交換体の官能基
用いたイオン交換体の官能基はベンズイミダゾール基を基本構造とするもので,競演既製基と弱塩基性基の両方を含んでいるが,本実験の溶液条件は水素イオン濃度が高いためにベンズイミダゾール基のpKaから考えて実質的に総ての交換基が解離状態にあるとできる.
4 結果及び考察
本研究では金属元素を塩素イオン存在下で用いたので,金属イオンは塩素イオンと錯体を形成し複数の価数で存在する.このような系の場合のイオン交換の取り扱い,及びイオン交換体内の平均価数の測定式を下に示す89.
実験結果に基づき測定したν―K線図を図6に示した.吸着量の小さいイオン及び液条件の場合を除き,ν―K曲線は良好な交差性を示している10.
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図6 イオン交換体内の平均価数とイオン交換選択係数を決定するν―K図
図6及び表2に示したイオンのν―Kの内,Feイオン及びTiイオンの塩酸錯体に関してはイミダゾール基のイオン交換選択性が一部知られているが11,今回の実験でも同様の結果をえた.
実験的に得られたイオン交換平衡定数を表2に示す.
表2 平均価数とイオン交換平衡定数
イオン交換体を充填したカラムに標準還元電位の高いFeの酸化還元対の内,低電位側の存在イオンである二価のFeイオンと,標準還元電位の低いVの酸化還元対の内,高電位側のイオンである四価のVイオンを供給した.実験的に得られたイオン交換塔の下部から流出する組成をプロットした溶離曲線を図7に示す.
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図7 Fe/V系における示強量変数差による逆反応実験
酸化還元反応は平衡組成が明瞭であり,二価のFeと四価のVを溶液で混合しても,三価のFeと酸化のVは生じない.これは三価のFeと三価のVは極めて容易に反応するからである.三価のFeと三価のVを反応してできる二価のFe四価のVとの反応が進むとは考えられない.しかし図7に見られるように溶離の開始直後から三価のVが高い濃度で検出された.
この実験条件でのコンピューター・シミュレーションの結果を図8に示す.
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図8 Fe/V系における示強量変数差による逆反応コンピューター・シミュレーション
コンピューター・シミュレーションによる結果は実験で得られた酸化還元反応の逆反応を良く再現した.図8に示したように,溶離が始まった直後からVの三価のイオンの溜出が始まり,逆反応で生成したFeの三価はイオン交換体内に吸着していることがコンピューター・シミュレーションで確認された.示強性変数には加成性が成立すると考えらる。
示強性変数の加成性が成立しているとすると,Vより標準還元電位の低いTiの酸化還元対を用いれば,逆反応の比率は標準還元電位の差が拡大するのに応じて小さくなると考えられる.図9にFeとTiの酸化還元対を使用した実験データーを,図10にコンピューター・シミュレーションの結果を示す.
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図9 Fe/Ti系における示強量変数差による逆反応実験
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図10Fe/Ti系における示強量変数差による逆反応コンピューター・シミュレーション
予想されたようにFeとVの酸化還元対を使用したときより,FeをTiを使用したときの方が逆反応率は低く,イオン交換体を充填した塔から流出した液にはTiの三価が検出されるものの,その濃度は mol/dm3と低い.示強性変数の差で逆反応率が決まっていることを示している.
同様の実験をFeとSnの酸化還元対についても行った.その結果を図11及び図12に示す.
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図11 Fe/Sn系における示強量変数差による逆反応実験
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図12 Fe/Sn系における示強量変数差による逆反応コンピューター・シミュレーション
FeとSnの酸化還元対の場合には,FeとV,及びFeとTiに対してSnがイオン交換体に吸着するという点で異なる.すなわち三価のFeに対して逆反応の対象となる低い標準還元電位を持つ酸化還元対(低電位酸化還元対)の高い電位側のイオン(高電位還元イオン)がイオン交換体に対して吸着力を持たない場合には逆反応の比率は三価のFeの吸着力と酸化還元対の標準電位の差に支配されるが,Fe以外のイオンも吸着力を有する場合には電位差と吸着力差を考慮する必要がある.
実験的に酸化還元対の電位を任意に変化させ,かつイオン交換体に対する系内のイオンのイオン交換選択性を任意に定めることは極めて困難であるが,コンピューター・シミュレーションでは仮想的な条件を選定することができる.
示強性変数の加成性は熱力学ですでに基本的には証明されているものであるが,具体的な化学反応について加成性を証明してはいない.すなわち,錯形成反応と酸化還元反応のように類似の溶液内反応などはその加成性について論議されているが,圧力,温度などの示強性変数を含めた加成性の議論は不十分である.
イオン交換反応,酸化還元反応,錯形成反応,及び酸塩基反応などの類似の化学平衡反応においても,イオン交換選択性,標準還元電位,錯形成安定度定数,及びpKaなど反応の種類によって異なる示強性変数を使用し,単位もそれぞれ異なっている.従って理論的にも実験的にも示強性変数の加成性についての検討が困難な状況にある.
本研究を更に発展させて少なくとも類似の化学平衡反応について示強性変数についての表記,及び単位の検討を進める予定である12.
5 結言
以上の実験結果,コンピューター・シミュレーションの結果,および理論解析により,次のことが判った.
1. イオン交換反応と酸化還元反応が共存する系での酸化還元反応の逆反応を観測した.
2. 実験と並行して仮想段を想定し,平衡反応と仮想段間の溶液移動のモデルを作り,コンピューター・シミュレーションを行った.
3. 酸化還元反応の逆反応率はは標準還元電位差と相関があり,イオン交換選択性にも依存した.
4. 実験結果はコンピューター・シミュレーションによりより定量的に解析を行うことが可能であった.
5. 示強性変数の加成性についての研究の糸口が得られた.
引用文献
1 “Stability Constants of Metal-Ion Complexes, with Solubility Products of Inorganic Substances”, by J. Bjerrum, G. Schwarzenbach, and L. G. Silen, the International Union of Pure and Applied Chemistry (1957). The second edition was compiled by the Chemical Society (1964)
2 武田邦彦、「分離のしくみ」 (1988) 共立出版
3 三宅哲也、小花和平一郎、武田邦彦、Separation Science and Tecnology、Vol.22, No.2, p.963-971 (1987)Energy Consumption of Chemical Uranium Enrichment
4 三宅哲也、鬼塚初喜、小花和平一郎、Reactive Polymers、Vol.87, No.5, p.63-72 (1987)Recovery of Separation Energy by Inverse Redox Reaction
5 西垣好和、鬼塚初喜、武田邦彦、Journal of Nuclear Science and Technology、Vol.89, No., p.372-380 (1990)Energy Consumption for Product Assay of in a Chemical Enrichment Process
6 “Stability Constants of Metal-Ion Complexes, with Solubility Products of Inorganic Substances”, by J. Bjerrum, G. Schwarzenbach, and L. G. Silen, the International Union of Pure and Applied Chemistry (1957). The second edition was compiled by the Chemical Society (1964)
7 武田邦彦,市原 格,渡辺利典,小花和平一郎,化学工学論文集, Vol.15, No.3, pp.567-573 (1989)
8 武田邦彦ら:日本化学会誌 No.7, p.1138-1145 (1984)
9 武田邦彦ら:日本イオン交換学会誌 5,No.1, p.10-15 (1994)
10 武田邦彦,新井 剛,韋 悦周,熊谷幹郎,高島洋,イオン交換学会誌,Vol. 6, No.3, p.2-19 (1995)
11 ①小花和平一郎、武田邦彦、世古眞臣、電気化学および工業物理化学、Vol.59, No.8, p.691-695 (1991)ウラン同位体分離におけるイオン交換体内の電子交換反応-酸化還元とイオン交換系の複合反応(3)- ②世古眞臣、武田邦彦、、Separation Science and Tecnology、Vol.28, No.1, p.487-505 (1993)Separation of Uranium Isotopes by the Chemical Exchange Method
12 武田邦彦、盛田啓一郎、、イオン交換学会誌、Vol.7, No.2, p.106-116 (1996)反応を伴うイオン交換分離に於ける濃縮係数と分離ユニットの高さ、及び分離効率