コンピュータ・シミュレーションと真実性


1. はじめに

 コンピュータの高性能化に伴って,コンピュータ・シミュレーションの重要性が増加してきた.シミュレーションは「擬態」「模倣」などと訳され,自然の存在物をそのまま示すのではなく,何らかの理由で必要とされる擬態を作ることを指す1)2)3).ある場合には「明日の雲の状態の予測」のように自然法則に則り,未来を予測する目的で行われ,ある場合には絶滅した動物や想像上の生物を描く目的にも使用される.そしてコンピュータや関連する技術のレベルが高まるに連れてシミュレーションも高度になり,将来は目前に示された風景や状況がコンピュータ・シミュレーションに基づくものであるか,それとも自然現象であるかを,それを見るものが判断しにくくなると予想されている.

 一方,多くの科学の創生期がそうであったように,初期の段階では技術が未熟であるが故に社会的に与える影響は軽く考えられ,感性の鋭い一部の人たちが警告を発するにすぎない4)5).しかしやがてその技術が発展し,社会に大きな影響を与えるようになった後には,社会はその技術成果に対する依存度が大きいために,たとえ不適切であると結論されても,それを排除したり忌避したりすることが極めて困難になる.特に工学の成果については社会全体に大きな損害を与えることも我々は経験してきた6)7).

 本論では上記のような2つの視点を踏まえて,コンピュータ・シミュレーションも持つ真実性を軸に,コンピュータ・シミュレーションと人間及び社会との関わりについて研究した結果を整理した.すでにコンピュータ・シミュレーションの内容とその学問や社会への影響については多くの研究や著作があり,例えば「昨今のスーパーコンピュータの出現によるシミュレーションの研究は,科学者の思考作用を量的にも質的にも各段と高めるとともに,理論,実験のカテゴリーを超えた新しい創造の領域を生み,科学の真理追求の思考過程に大きな変革をもたらしている.8)」とされる.

 本論はこれらの成果を踏まえて単なる数式を取り扱うコンピュータ・シミュレーションではなく,新しい領域を意識してコンピュータ・シミュレーションの真実性について論じるものとした.


2. シミュレーションの内容と特徴

 コンピュータ・シミュレーションについての整理する領域を限定し,それによって論理をより厳密にするために,自然の原理に則らない創造物に関するコンピュータ・シミュレーションを本論の検討対象から除くことにする.例えば,魔女が箒に跨って空を飛ぶシミュレーションを例に取ると,それらは昔からたびたび「絵本」などに描かれる.

 魔女がまだ地上に居て箒に跨っている絵,髪をなびかせて空中を飛んでいる絵,そして魔女の館の窓に飛び込んだときの絵,の3枚が有れば,その絵を見た想像力豊かな少女の頭の中には3枚の絵の間の風景は詳細に,かつ動画で描き出される.時には魔女の笑い声や風を切る髪の毛の音までを少女は聞き取るかも知れない.

 この例で判るように創造物のシミュレーションについてコンピュータ・シミュレーションがなし得る最大の貢献は,絵を描く手間を省いたり,少女の頭脳により迫真的なシミュレーションを想起させるための工夫である.このように,人間の創造物をシミュレーションで表していることをそれを見る人が明確に認識できる場合においては,多くの場合自然法則が忠実に守られているかという意味でのコンピュータ・シミュレーションの真実性は問題とならない.

 魔女の箒の推力や箒の操縦の原理,空中での髪の毛のたなびき方が物理法則から不適当であるからといって,そのシミュレーション自体の価値が落ちるものでもないし,またそれを示すことが少なくとも学問的な意味で不適切であることにはならない.
 本論で取り扱うコンピュータ・シミュレーションは次の制約を持っているとする.

1) 自然の原理に基づいていること.
2) 実際に実施しにくい事柄や未来のことを対象としていること.

 第二番目の制約は現実的な要請であって,本質的な制約ではない.たとえば,目の前にある質量の小さい椅子を横に1メートル動かしたらどうなるか,というコンピュータ・シミュレーションをすることはできる.しかし,そのような場合には椅子を実際に動かす方がプログラミングをして計算を行うより遙かに簡単な訳である.従ってコンピュータ・シミュレーションの価値が低いので本論の研究の対象から外した方が良いと考えた.

 さらに本論では追加した制約をおくこととする.コンピュータ・シミュレーションで得られた結果が,研究や産業活動,あるいは個人生活にとってその結果が最終的な目的物である場合と,結果を次に行う何かの行為や思考に資する場合とがある.例えば,天気予報において明日の「雲の状態」の擬態を作り出す目的は,雲の状態そのものについて知りたいのではなく,その結果としてもたらされる明日の天気,即ち気象状態が見る人の関心の的であり,それによって傘を携帯するか,あるいは非常態勢をとるかなどの選択を行いうるようになる.本論ではコンピュータ・シミュレーションが与えた結果を行為や思考に資する場合に重点を置くことにする.

 この様に整理することによって,本論で取り扱うコンピュータ・シミュレーションをより明確にすることができる.即ち,①自然の原理に基づき,②現実に実施が困難である対象物をコンピュータを使用して「擬態」を形成し,③その結果を利用する内容をもつコンピュータ・シミュレーションを対象とするとできる.

 また本稿は学術論文であるということから,工学の分野で実施されるコンピュータ・シミュレーションを対象とすることも妥当であろう.その中にはすでに多くの成功例を生んでいる流体力学分野9)10)11)12),材料組織学分野13)14)15),気象分野16)などが含まれるし,ある程度経済学的,社会学的なコンピュータ・シミュレーションも範囲の中である.したがって,ここで課した制約はその制約によって対象範囲を限定しすぎて十分な有用性を持たないことにならないと考えられる.


3. 実験との対比に於けるコンピュータ・シミュレーションの真実性

 自然科学では長い間「実験」という手法がとられてきた.特に近代科学の発祥以来,自然をありのままに見るという概念の確立を見たこともあり,自然科学は飛躍的な発展を遂げることができた.現在では当たり前であると考えられているこの概念も中世ヨーロッパではむしろ例外的であった17).特にキリスト教圏では聖書とアリストテレスの著書に書かれていることが真実であり,それと反する「実験事実」や「観測事実」は実験したり,観測したりした人の錯覚か間違いであると判定されたのである.

 この概念は近代科学の誕生直後にはかなり強く社会を支配しており,自然をありのままに観測することに対する躊躇がむしろ一般的であった.従って,土星の観測によって聖書に書かれていることとは別の結論を得たガリレオは「自然は第二の聖書である.従って自然を観測することは神に逆らうことにはならない」と言わざるを得なかったのである18).

 近代科学の初期における自然の観察とその真実性に対する概念はその後徐々に変化し,現代においては自然を観測する手段としての「実験」は極めて有効な手段として認知されている.この歴史的事実と人間が真実であると認識するものの実体の問題はコンピュータ・シミュレーションの真実性を考える上で重要な要素である.

 現代に於ける多くの実験は次のような手順で行われる.第一に実施目的に添って実験が計画され,計画に基づいて実験装置が用意される.続いてその装置を用いて実験がなされ,得られた結果は既知の学問を参照しながら整理され解析される.得られた実験結果から当初に想定した認識の中に誤りがあればそれを修正して再度実験が計画される.一般的には一回の実験で目的を達成することは希であり,多くの試行錯誤を経て目的を達成する.

 この過程でもっとも重要な段階はもちろん実験そのものである.その理由は実験をすることによって,計画段階では認識し想定していないこと,あるいは想定していたことが間違っていることが発見されるからである.すなわち実験によって人間は対象としている事柄について「真実を自然に聞く」という手段を得るのである.逆説的であるが,対象となる事象について計画段階で想定される結果が実験において肯定されたならば,その実験の価値はむしろ低かったと考えられる.

 仮に100年前に築かれた学問体系が詳細にわたって正しかったとするならば,その後100年間の実験で得られる結果は実験の計画段階の結果をそのまま裏付けることになるだろう.それはとりもなおさず100年前の知見と現在の知見が変わらないことを示し,その間の実験は結果的に無意味であり,学問は実験によって進歩しなかったことになるからである.

 即ち,学問が進歩を求めるものであるとの前提に立ち,「実験」の目的をより直裁的に表現すれば「実験とはその結果が当初想定された結果を否定するために行われる」と言える19).

 次にコンピュータ・シミュレーションの標準的手順について実験との対比を考慮しつつ考察を加える.コンピュータ・シミュレーションの場合は対象を何らかの数学的表現で処理することが多い.典型的には対象を正確に表現しうる微分方程式を用い,続いてそれをコンピュータで計算するテクニックを検討する.初期条件,境界条件,近似,離散化などが一般的に用いられるテクニックである.計算できるだけの準備ができたらできるだけ高性能のコンピュータを使用して計算し,結果を出す.

 実験とコンピュータ・シミュレーションの手順を対比させると,計画→装置手配→実験→整理 という実験の手順と,数式→手段の決定→計算→整理 というコンピュータ・シミュレーションの過程は類似している.いずれも計画し,準備し,実施し,整理する.両方とも計画をする段階では,その時点でもっとも真実に近いと考えられる知見を利用する.それは装置の手配とかコンピュータ・シミュレーションを行う手段の選択や決定という段階でも同じ様な類似性が見られる.しかし,実験に基づく行為では「実験」を行うことによって計画段階では認識されていなかった新しい事実や間違いが発見される.

 実験がしばしば実験を計画するものにとって意外な結果になることがあり,まさにその過程の中にこそ学問的な発見が含まれているといえる.従って,実験はその中に必然的にその目的を達成しうる要素を含んでいる.これに対して,コンピュータ・シミュレーションにおいては,計画段階に於ける数式の選択,計算手段の検討,及び計算自体に全く誤りが無くても,新しい事実が発見されると言う意味で所期の目的が達成されない.むしろ,計算が数学的,物理的に正しければ,得られる結果に新しい事実は含まれていないと言える.

 すなわちコンピュータ・シミュレーションにおいてはすべての過程において現在の認識から正しいと考えられる行為をなしえた場合にはその結果は計画段階で予想した範囲を超えないことが明らかとなる.従ってその結果から新たな知見をうることはできない.

 次に結果の信頼性と検証という要素について解析を行う.本稿で最初に限定したような自然の原理を適用し,簡単には出来ない事象や未来を推定する様なコンピュータ・シミュレーションにおいて,多くの場合かなり複雑な数式を用いる.特に学問の先端領域においては用いる数式がすでに良く知られたものであっても,計算に至るまでの境界条件に設定,近似法の選択,誤差の処理,計算手順の適否などの過程は複雑である.それらの過程はその領域での専門家でないと正否や適否を判断することが難しいし,対象とする物理的事象と数値計算の手法を取り扱う学問分野が異なることも少なくない.このような状況の下で,計算過程のいずれかで数学的,物理的な間違いを犯した場合,得られた結果において正否の判断が可能であるとすることはできない.

 上記の様な本質的な過程ではなく,単純なプログラミングやビジュアリゼーションの段階で間違いは起こりうるし,現実にも頻繁に間違うことを我々は経験として知っている.基礎的に採用する数式からプログラミングに至る総ての過程を第三者がチェックをするのは困難である.コンピュータ・シミュレーションの学術的な報告において「計算結果は満足すべきであった」とされる場合でも実験に於ける「追試」に当たる「追計算」に多くの人が関心を持たないことも事実である.それはコンピュータ・シミュレーションが実験と異なり,「自然に真実を聞く」という内在的な目的を持っていないことに起因すると考えられる.

 実験結果の信頼性はその結果が自然から与えられることから,常に答えが同一である.従って,仮にある実験が誤りを含んでいる場合,比較的早期にその間違いが発見されることが多い.実験の場合「第三者が追試が出来るように実験項を記載する」という学術論文の記載方針を現実に守った場合,実験項の分量は通常1ページにも満たない記述になる.
これに対してコンピュータ・シミュレーションの場合には,第三者が同じ計算をしようとする場合,学術論文から基礎的な数式と近似方法に関する方針を理解することが出来るに止まり,プログラミングはもとよりコンピュータ・シミュレーションの詳細を検証することはできない.しかし,この問題はコンピュータ・シミュレーションに内在する基本的な欠陥ではなく,コンピュータ・シミュレーションの学術論文を,その持つ特徴を十分に吟味せずに伝統的な学術論文の形式の中に含ませているという便宜的な手法の中に存在する.コンピュータ・シミュレーションの持つ学問としての特徴を吟味し,それに適合した検証手段を考案する必要もある.

  以上のようにコンピュータ・シミュレーションには,本質的に「開始する時点において既に認識していることを否定する結果が出にくい」ことと,「得られた結果が正しいことを検証することが難しい」という特徴を持つ新しい工学分野であり,その解釈や応用において格別の配慮を要すること,現在ではコンピュータ・シミュレーションの特徴自身の議論が進んでいないことが原因となってその配慮が十分ではないことが判った.


4. 学問としてのコンピュータ・シミュレーション

 長い学問の歴史のなかで,事実を帰納的に分析し,演繹的手法に基づいて推論し,未来を明らかにしようと試みた代表的な学問は哲学である.他の主要な学問である法学,神学,理学などは未来を予測する学問ではない.

法学は王や国会が決定した法律をどのように社会に適合するか,あるいは歴史的に社会の法体系はどのようなものであったかを整理する学問であって,法律を創生することを主たる目的にしているわけではない.法学が王によって決められた法律を解釈することにその中心があったように,神学は神が決めた法話や戒律を解釈することにその活動の中心をおいた.そして,理学は自然を観察し,整理し,その原理を解明する学問であって,将来を予測したり,何かを創生する役割を果たす学問ではない.社会が理学の研究成果を利用して将来を予測したりするのは任意であり,あるいはビーグル号の航海によって行った観察に基づいてダーウィンが著した進化論により大きな社会的なインパクトを与えるもともある20).しかし,理学本来の学問的帰納には未来を予測することは含まない.

 しかし,哲学だけは人間と自然を自らの頭脳の推論機構を使ってその本質を明らかにし,それによって人間の究極的な姿をつかもうとした.

人間の究極の姿を明らかにすることは未来を予見することのように思われる.そこで哲学に「我々はいかに生きるべきか?」を問えると考える人も居た.しかし,ギリシャ以来の長い歴史を持つ哲学がその推論の結果として結論したのは,「学は自らが未来を示すのではなく,ほとんどの事柄が終了した後にその整理をし,解析をするものである21)」,または「学は我々は何をなすべきかという問いには答えない22)」ということであった.

 それに対してコンピュータ・シミュレーションは過去の知見を整理するという目的とともに,その本来の目的として未来を予測し,それが短期的であるにせよ「我々は何をなすべきか」という問いに答えることを含むと考えられる.もしそれが可能なら,コンピュータ・シミュレーションがこれまでの長い学問の歴史になかった新しいタイプの学問である,という結論に達する.しかし,この結論はあまりにも大胆である.その理由の第一は,これまでの学問が総て「未来を予測し得ない」のであるに対して,コンピュータ・シミュレーションのみが未来を予測できるとする為にはある程度の研究を要すると考えられるからである.コンピュータシミュレーションだけが他の学問と異なり,演繹的に未来を予測する内容を持っているということをこれまでの多くの学者も達することの出来ないほどの演繹的に証明しなければならないからである.

 第二に,前節で示したようにコンピュータ・シミュレーションは未来を予測できない本質的欠陥を持っていると考えられるからである.ある人がコンピュータ・シミュレーションを始めるとき,その人の「認識内にある知識や経験」を使用するという制限を持っている.その結果,コンピュータ・シミュレーションが現在の事象で説明しうる問題,即ち「過去の問題」を計算し,解明することができるが「未来の問題」は解決し得ないことを示している.これはこれまでの学問が「我々は何をなすべきかという問いには答えない」としている理由と同様であり,未来は過去の延長線上にあるものでもなく,過去の事象の解析から未来を予測できるものではないからである.未来はこれまでに現れなかった事象が出現し,それによって「未来は未知」であるからである.

  ここで言う「未知」というのは学問的厳密さに基づいた「未知」である.社会は様々な理由によってあやふやで不完全なものでも,その進歩や必要性の為に利用することがある.コンピュータ・シミュレーションの結果を社会が学問的な厳密さに不足することを承知の上で利用することとは,コンピュータ・シミュレーションの学問的側面からは無関係の事象である.本論で対象としているコンピュータ・シミュレーションは学問の範囲であることを前提としている.

 最終的な結論に至る前に,2,3の検討しておかなければならない事柄がある.その第一は情報処理の方法の問題である.これまでの学問とコンピュータが基本的に異なる情報処理を行う場合には,哲学とコンピュータ・シミュレーションの比較はその意味が薄くなる.これまで学問は人間の頭脳の情報活動の一環としておこなってきた.従って学問とコンピュータによる情報処理との比較においては,人間の脳の活動とコンピュータの情報処理の同質性を検討する必要がある.この点についてはすでに多くの研究がされている.人間の認識論23)24),観念論,心理学25)などの人間の脳活動という点の研究,ノイマン型コンピュータ26),推論型コンピュータ27),あるいは人間とコンピュータの関係を研究する人工知能28),ロボット29),フレーム問題30)などの研究が参考になる.これらのいずれもが,推論については人間の頭脳活動がかなり優れていることを示している.

 また機械的回路の設計,信号処理方法,命令の実行過程などの形式的,機械的,電気的に知覚しうる範囲での比較においても,脳情報とコンピュータ情報は類似しているか,あるいは脳情報の一部の機能をコンピュータが有していると出来よう.もとより人間の頭脳の出力は数十ワットであり,これに対してコンピュータは出力を高くできることから,同質の推論であれば速度はコンピュータが優れている.しかし,現在のコンピュータの論理方式では,「ある計算をするときに,すでにコンピュータの中に入っている情報以外の情報は使用しない」という原則があり,その原則が適用される限り,コンピュータによる未来の推論が脳による推論より高度な推論が可能であると証明することは難しい.

 第二に検討しなければならないことはコンピュータ・シミュレーションには学問的ではないより程度の低い内容を含むかという問題である.それは我々は学問の領域の中で,新しい事実を発見したり,これまでの錯誤を発見するという質的な進歩の他に,現在の認識の範囲内でそれをより正確な表現で示したり,社会に役立つ形で提供するという行為を含ませて良いかという問題でもある.

 現代社会及び現代工学という点を強く意識するならば学問の中には質的な進歩と解説的な部分を含むことは許されると考えられるし,あるいは解説的な部分を強調して学問の社会的意義を認めることも許されると考えられる.即ちコンピュータ・シミュレーションという学問領域はすでに知られている学問的事象に基づき社会に対して特定のサービスを担当する,と捉えることが出来るからである.この問題は本稿の主題と少し離れるので厳密な議論を避けるが,もしコンピュータ・シミュレーションの結果を受け取る社会の方がコンピュータ・シミュレーションが学問の1種であると捉えているなら,提供させるものはすでに学問的な厳密性において信頼できるものであり,その学問的な信頼性に基づいてコンピュータ・シミュレーションの結果を利用してよいとするだろう.それは結果的には社会の錯誤をもたらす.表面的に学問的体裁を採り,その内実は学問的ではないものを社会に提供することは本来の目的と学問の倫理に反するからである.この意味ではコンピュータ・シミュレーションが厳密に学問と言えるかどうかの研究を厳しく行う必要があることが判る.


5. おわりに

 これまで展開してきたコンピュータ・シミュレーションの結果の真実性とその学問的位置づけについて整理をおこなう.

 現在のコンピュータ・シミュレーションは次の2つの点から学問領域として成立するか疑わしい.その第一はコンピュータ・シミュレーションの実施手順の中に自らの錯誤を発見することが出来ないと言うことである.このことによって結果の真実性が失われ,また現在の認識を覆す新しい発見が困難であり,進歩を持って学の本質とする学問それ自体の定義に反するからである.

第二にコンピュータ・シミュレーションの結果を第三者が容易に検証できないという理由からである.また,このコンピュータ・シミュレーションの社会的意義としては,学問的な衣を着ていながら実際には学問的な厳密性を保っていないにも関わらず,社会が学問的厳密性をもって結果を提供していると考えていることから,その意義は低いと結論される.

 特にコンピュータ・シミュレーションを含めた情報処理学のカバーする領域は対象物として自然界から人工物,さらには創造的作品に至るし,またその応用範囲は国家的,工業的領域から個人の生活,趣味の世界まで多岐にわたる.従って,情報処理学の進展に当たっては人間に認識の問題,認識の錯誤の必然性についてさらに厳しい態度で望む必要があろう.

 現在ではコンピュータ・シミュレーションが本来期待される役割を果たす方法を具体的に考える必要があると考えらえる.またこの問題はいずれもがコンピュータ・シミュレーションばかりでなく,「情報処理学」という新しい学問分野において共通して見られる欠陥でもある.20世紀において工学は社会に対して大きなインパクトを与えてきた.それは工学自らが予定し意図したものではないが,それを理由に工学が社会に対してその提供したものに対して責任を逃れられるかどうかは難しい.特に情報処理学及びここで論を展開したコンピュータ・シミュレーションはこれまでの工学に増して社会に対して積極的な展開をしようとしているように見える.そのためには単に技術的な意味での情報処理,コンピュータ・シミュレーション,通信などの発展を記するのではなく,その学問としての意味づけ,社会的な意義とその制限を十分に議論し,工学としての発展が健全に進むことが期待される.


参考文献

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