大和撫子 そのに     女性上位


1.  日本海軍発症の地

皇紀2602年(昭和17年)9月10日、内閣総理大臣海軍大将米内光政閣下の揮毫により刻記された碑面が輝く美々津の海岸で、日本海軍発祥の地を定める儀式が行われた。

その場所は日向の国、美々津の海岸。なぜその美しい海岸が「日本海軍発祥の地」かというと、神武天皇、つまりイワレヒコノミコトが軍を率いて美々津の浜辺からご東征されたからである。

神様が高天原にご降臨になってから、九州に鎮座ましましておられたので神軍は海に出なかった。だから、陸軍はいても海軍はいない。それが大和の国に攻め入ろうということになり、海軍を編成して海岸から真東に進まれた。それが「日本海軍」の発祥となっている由縁なのである。

(イワレヒコノミコトが東征にでられる直前にお座りになった岩)

 

 美々津の海岸にはイワレヒコノミコトがお座りになった岩も残されている。「そんなのウソだろう」と思うが岩のそばにしばらく佇んでいると2000年の昔、そんなことがあっても不思議ではないところである。

美々津の海岸から少しの沖合には小さな岩が二つ並んでいる。東方に出征されるミコトの軍船はこの岩の間を通って進軍していったと言い伝えられている。そして、現代になっても、漁船は「岩の間を通ってはならない」という掟を守っている。

 漁師には漁師の掟がある。その一つに「行って還らぬ」ことは不吉だということがある。漁師の世界は「潮来一枚地獄」なので、漁に出て一番大切なことは還ってくるということだ。

ところが、神武天皇の軍勢は沖合の小さな二つの岩の間を抜けて東に向かい、そのままかえって来なかった。だから航海は成功していても、二度と再び美々津の海岸には還ってこなかったのだから、漁師の掟に背いているのである。

 ところで、男女共同参画という意味では、美々津の海岸は「女性支配者が勢力を広げる旅立ち」でもあった。

天照大神の妹神の稚日女尊(ワカヒルメノミコト)は「ミズカネの女神」、つまり水銀の神様だった。この一族は、邪馬台国の伊都国で八代や佐賀の嬉野の水銀を抑えていて、かなりの勢力を持っていた。

日本では丹生(にゅう:神社の朱)はあちこちで見ることができるが、これは硫化水銀で、伊都国で官を爾支(にき)と呼んでいたが、これも丹砂という水銀の砂の意味である。硫化水銀の鉱石を煮詰めれば純粋な水銀が得られるので貴重な資源だった。

神武天皇のご東征に前後して、稚日女尊の娘、丹生都比売(ニブツヒメ)が大分から軍勢を引き連れて東へと出航している。時代は女性が政治を司っていた時代であった。

 

(平安時代の丹生都姫)

 

2.  丹生都姫のその後

丹生都比売が率いる氏族は四国を進み、四国斎場八十八カ所巡りの礎を作って、さらに淡路から和歌山へと進む。彼女たちの一行は水銀が力である。中央構造線にそって和歌山にわたり紀ノ川流域に住みついた。

かくして、丹生一族は紀州、吉野・宇陀、伊勢に広がり、地元の豪族をも取り込んで一大勢力になったとされている。

丹生都姫の別動隊は、広島から石見・出雲、播磨、そして丹後へと東進して福井に至ったと思われる。そして水銀鉱脈が尽きては東に移り、三重、岐阜、長野、静岡、千葉、群馬まで移動していっただろう。

 

(中央構造線と丹生神社。民俗学者井戸理恵子氏よりご提供)

 

 古来、日本は海の国であった。丹生都比売命は海の文化の化身であり、彼女らと山の氏族が合体して日本の文化の基礎を作り上げた。神社の鳥居を朱色の丹生で塗り、船をやはり朱で固める。いずれも海の信仰、海の神の怒りを静める為だった。

高千穂、出雲、紀伊、吉野、伊勢、諏訪、そして鹿島に至る日本の神社は丹生氏の移動の後を物語っている。

 ところで、続日本記には「献伊勢国朱砂雄黄」という名で丹生水銀が載っていて、奈良の大仏の建立の時に長登銅山の銅と大量の金の水銀アマルガムを使っている。

 日本の水銀鉱脈は小さい。水銀鉱山は地表から斜め下に掘り、地下水との戦いも強いられた。掘る長さはせいぜい50メートル、危険な採掘で」すぐ枯れた。だから、一族は放浪の旅を続けるので、丹生都比売を祀った神社は、現在でも熊本から秋田まで合計実に220を数える。

3.  日本とヨーロッパ

 イザナミ、卑弥呼、丹生都比売と日本の歴史は女神ではじまり、女性中心で政が行われた。ところが、人類の文明の始まり、チグリス・ユーフラテス河畔での女性の取り扱いは全く違う。

旧約聖書には「人間」は「男」であり、女のイブは男のアダムのあばら骨から生まれた。女は男の従属物で所有物である。男女の関係は日本とヨーロッパとは全く違う。

 ヨーロッパの男尊女卑と、日本の共同参画の関係は中世まで続く。

ヨーロッパでは、「シーザーとクレオパトラ」「ロミオとジュリエット」というように文学でも男性の名前が先に来る。

日本では、「お染・久松」「お軽・寛平」「お夏・清十郎」と常に女性が先になっている。ヨーロッパは男が先、ニッポンは女性が先である。

 気の早い人は「日本は女尊男卑だ」というが間違えてはいけない。そもそもヨーロッパは「男」対「女」というように対立的に性をとらえる。だから、男が先か女が先かとか、「男女」と書くのではなく「女男」と書けということになる。

日本は「双系社会」である。男女も女男も関係ない。陰がオナゴ、陽が男の子。陰とは幻想,心,精神、全て架空はオナゴの分担であり、天照大神,卑弥呼,丹生都比売もオナゴであるが故に心の世界を担当する。お染、お軽、お夏も文学だからは当然、恋人の先に来るが、それは「どちらが偉い」ということではなく、それが役割なのだ。

 日本列島を作ったイザナギ・イザナミも双系である。そして女性のイザナミが先に死んで冥界に入り、そこからまた還ってきた。天照大神も女神で、男では須佐之男命であり、男は暴れるだけで何の役にも立たない。

 神代は精神社会だったから女性が支配し、大和朝廷になっても最初は女帝が活躍していた。しかし、時代が進むと現実の世界になる。そうなると女帝が退位して男性の天皇に変る。日本の最後の女帝は孝謙天皇であるが、道鏡にたぶらかされて危うく天皇を奪われるところだった。

女帝の終わりを「女性の権利の侵害」と捕らえることもあるが、それは全く日本文化というものとはかけ離れている。むしろ、日本が精神社会から現実社会に変ったことを意味し、進歩ではなくむしろ「堕落」である。女の天皇がいなくなったのは社会の「堕落」を示している。

 ヨーロッパは常に弱者と強者に分けて、弱者を痛めつける文化である。弱い者は苦しんでも良いというのがヨーロッパである。これに対して日本の文化は元々「階級」というのがなく、「差別」という概念がない。その代わり役割分担がある。

最近、役割分担を悪いように言うが、日本の役割分担は奥が深い。外が男、内が女という空間的なものではなく、精神界が女、物質界が男という分担だったのである。

 「分担」には上下関係がない。そこにヨーロッパ文化を持ち込んで日本の男女関係に上下関係を持ち込むのは、常勝ニッポンの運を弱めるだろう。

第二回終わり