日本は憲法で軍隊を持つことも戦争をすることも禁止されているので、当然、徴兵制がないが、世界のほとんどの国には徴兵制がある。徴兵は男子で年齢はほぼ18歳から26歳程度が多い。期間は約1年半程度である。

 だから徴兵制のある多くの国では、若者はほぼ2年間を兵隊としての訓練を受け、大学生は勉学を中断する。徴兵制のある国では大学の卒業年齢がバラバラになるのも特徴的である。

 女子は一般的に徴兵制の外にいる。これは女子が力が弱かったり、もともと敵の殺害に向いていないということもあるが、基本的には「妊娠」との関係である。

 男子が徴兵で18ヶ月、国家に奉仕し、戦争の時には戦場に赴いて死ぬ。それに対して女子は2人の子供を産むとして、一回あたり10月10日だからその2倍の20ヶ月程度を、妊娠状態で過ごす。これがだいたいバランスがとれているということである。女子の方が少し長いが、妊娠初期は普通と同じように生活できるからおおよそ同じとしている。

 男女の役割分担として徴兵制と妊娠を少し抽象化してみたいと思う。

 国民はその特性に合わせて国家に貢献しなければならない。日本では新憲法で、保護する子女に普通教育を受けさせる義務(第26条第1項)、勤労の義務(第28条第1項)、納税の義務(第30条)を定めている。

 この3つの義務の内、子供の教育や納税は当然と思うが、「勤労」というのは国民全体が義務として等しく追わなければならないかという疑問もある。すでに生活費が十分にあって働かなくても良い人や体の弱い人などはどうするのだろうか?

 この疑問はともかくとして、明治維新以来、もう一つの義務があった。それは兵役の義務(大日本帝国憲法第20条)だ。つまり国民の内、男子は兵役につく。それは敵が攻めてきた時に出征して「現在の国家を守る」という意味があった。

 それに対して女子は「将来の国家を守る」という役目を負う。それが「子供を産み、育てる」ということだった。子供が出来なければ兵士は自分の代わりが居ないので、安心して戦場で死ぬことができない。国家の将来も築けない。だから女性の出産は国家を守るためにどうしても必要な手段であった。

 かつて男子が戦争に行けば死ぬのは覚悟の上であった。軍人がこんなことを言っている。
「戦争で死ぬかどうかという問いはない。いつ、死ぬかである。」
つまり、戦争が始まって軍隊にいる限り、何回も出撃する。一回の出撃で5%の兵が犠牲になるとすると、その出撃で死ぬ可能性は20分の1であるが、20回出撃すればどこかで死ぬ。だから兵士にとって戦争とは死ぬかどうかというより死ぬ時はいつかということである。

 女子も大変だった。昔の出産は危険が伴い、子供を産むことは男子の出兵と同様の意味を持っていた。もし女子だけに危険があり、男子に戦争がなければ著しく公平さを欠いていることになっただろう。つまり国家に対する貢献ということを男女共同参画として抽象化すれば、
1) 男子は戦争に行き、現在の国家を守る。
2) 女子は出産をして、将来の国家を守る。
ということである。

 このように出征と出産はバランスがとれていたが、現在の日本では軍隊が無くなったので、男子の出征が無くなり、男女の国家に対する義務のバランスが崩れてしまった。もっとも日本国憲法も男子の出征が必要なくなったので、「兵役の義務」は削除したが、女子の出産の義務を設定するまでには頭が回らなかったらしい。

 社会の情勢も変わった。戦後、男女共同参画などと言う暇も無かった。男性は畑を耕し、工場で油まみれになった。当時は農業も工業も力仕事であり、女性にはできなかったし、やりたくもなかった。

 女性は出産、子育て、家事で追いまくられていた。冷蔵庫、洗濯機、掃除機などがない家事はとても大変で、一日中、家事で追いまくられていたのである。

 その当時の考え方のままで現在の男女共同参画が論じられる。私は、この際「歴史的認識」を統一した上で、前へ進められるしっかりした議論をした方が良いと思う。つまり、
1) 男性の力仕事が無くなった。現代の仕事は女性の方が適性がある
2) 日本の男性は兵役もない
3) 女性は家事労働が極端に楽になった
4) 女性だけしか子供を産むことができないが、戦争がないので補充はいらない
5) 子供にとってみれば、家に帰ればお母さんが必要である
と言う前提を起きたい。

 今から150年ほど前、人間の活動の内、13%が人力に頼っていた。だから男の筋肉を必要とした。というより、なぜ男性に筋肉がついているかというと力仕事が必要だったからだが、今では科学の力がその代わりになっている。

 そして男性は積極的で改善が好きなので、新幹線は速くしたい、良い車は作りたいとどんどんやるので、物質を消費し、環境問題を起こし、資源が枯渇する。その点、女性は保守的だからあまり新しい機械を作らないだろう。力仕事が不要で前進は危険だから仕事は女性に譲った方がよい。

 日本の男性は兵役がない。だから現在はその分だけ得をしている。それが女性の不満になるのも納得できる。でも男性を出征させるために戦争を始めるのも感心しない。

 結局、男性が出征しないのだから、死なない。だから代わりも要らない。女性も出産する意欲がなくなるはずである。住みやすさとか環境を考えれば、日本の人口を減らし、日本国土をまずはフィンランド並の人口密度にするのが良い。フィンランドは日本と同じ大きさで人口は550万人だから、そこまで減らす計画を作る。現在の22分の1にするのだから、女性の出産はほぼ無くしても大丈夫である。

 また、女性は男性が家庭電化製品を作ったことによって、家事労働が極端に少なくなった。だから暇になった。人間は暇が一番良くない。従って、女性が職場に出るのは良い方法である。暇になって外食ばかりになると体重が増える傾向になるが、職場では食事の時間が決まっている。その方が生産的で健康にも良い。

 問題は子供である。いくら少子化を進めても少しは子供ができる。子供にとってみれば男女共同参画など関係がない。「自分はどうしてくれる」と言うだろう。子供が学校から家庭に帰ってきた時に、家庭には誰かが居た方がよい。本当はお母さんが良いと私は思うが、女性がイヤだと言えば否定的倫理でそれを認める必要がある。

 男女共同参画を貫き、女性が職場に進出して男性はそのまま職場に居ると、両方とも疲労し、子供は被害を受け、産業が発達して資源の枯渇の時期を早めるから、この際、男性が仕事を辞めて女性に働いてもらい、男性は育児をする。それが良いのではないか?

 戦場に行って死ぬより家庭で子育てをした方が人生としてはまともだろう。

おわり