― 肯定的倫理と否定的倫理で考える ―
男女平等ということと、男女機会均等、そして男女共同参画、ジェンダーフリーという4つの語感はそれぞれに違う。男女共同参画というのがまだ目新しい言葉なので、定義ははっきりしていないが、次のように考えるのが適当だろう。
A) 男女平等 男女が役割分担を持つかということではなく、実質的に男女が平等で
あること。
B) 男女機会均等 たとえば就職の時など、男と女を区別しないこと。現在の男女共同参画
とは相容れない概念。女性が損をしても機会は均等。
C) 男女共同参画 男女の特性や能力は別にして、男女が共同で同じ仕事をするべきである
という考え方。就職では、女性の採用枠を決めたりすること。
D) ジェンダーフリー まったく男女の区別をしないこと。たとえばロンドンのトイレのように
男女が同じトイレを使うことなど。
プロゴルフを例に取ると、「男女平等」というのは女子ゴルフと男子ゴルフを分けるやり方、「男女機会均等」というのは男女が一緒に一つのゴルフの試合をすることになり、女子には結果的に不利になるが機会は均等になる。また「男女共同参画」では男子と女子の差を出しておき、予め女子にハンディをあげて勝負をする方法、そして最後の「ジェンダーフリー」はもともと男女という区別をせず、服装も男女同じ服装、トイレも風呂も一緒というやり方である。
私は「権利を問題にする場合、男女の区別をしてはいけない」という否定側の倫理を使っている。「男女は平等であるべきだ」という肯定的な倫理は時としてわかりにくい場合がある。倫理の黄金律にも「相手が望むことをしなさい」という肯定的倫理律と「相手がイヤなことはしない」という否定的倫理律があるが、私は後者を採用している。
アメリカやヨーロッパは「相手が望むことをしなさい」という倫理律が好きだが、この場合、「自分が良いと思うことを相手にする」という結果になり、例えば「イラクの人は民主主義が良いと思っているのだから、イラクを攻めても良い」ということになる。反対に否定的な黄金律なら「イラクの人がイヤだということはしない。何をするかはイラクの人が決める」ということになる。
これを男女共同参画に当てはめると、男性から見る場合、肯定的倫理では「女性は家庭にいることが良いことだから、社会進出は考えなくても良い」ということになり、否定的倫理では「女性がイヤがることはしないようにしよう。その他は女性が自分たちで考えればよい」ということになる。
肯定的倫理では
1) 「女性」という集団を考える
2) その女性という集団がどのようにするべきかを決める
3) それに沿って行動する
ということになる。
これに対して否定的倫理では、
1) 女性にイヤなことを聞く
2) それを一つ一つ消していく
3) それ以外はあまり介入しない
ということである。
肯定的倫理をとった場合、「女性という集団」と「その望ましい状態」を決めることが必要となる。
でもこれは難しい。なぜなら、女性の中でも、体力と能力がある女性、普通の女性、体力か能力が少し不足する女性がいるからである。体力と能力がある女性にとっては男性と同じ状態で競争出来た方がよい。普通の女性では「男性の仕事として定着しているもの」についてはハンディキャップをつけてもらわないと困る。そして体力や能力が少し不足する女性の場合、男性と同様に競争させられるより、むしろ保護の政策を採ってもらった方が良いことになる。
否定的倫理をとった場合、個別対応になる。たとえば、「私は体力が無く、子供を産んで育てるだけで精一杯だから、それを応援して欲しい」となれば、妻の地位を保障し、家庭における子育ての援助をし、酷いことにならないように家庭訪問などの社会的ケアーをすることになる。
また活発な女性の場合でも否定的倫理では、「私は体力能力共にあるので、子供を産んだらすぐ仕事に出たい。競争も男性と負けないので、区別はして欲しくない」となれば、託児所を用意し、女性を保護せず、十分に活躍してもらうということになる。
男女共同参画が整っていなくても幸福な女性は多い。結婚し、家族に恵まれ、買い物や外食を楽しみ、子供の教育に熱を上げ、子供が長じたら第二の人生を旅行や見物に精を出す・・・という女性である。もちろん万全ではないが、男性もほとんどがかなり悩みながら人生を送るのだから、このような女性の人生は男性との比較においても「幸福」と言えるだろう。
社会が発展段階にある場合には、肯定的な倫理が有効である場合が多い。その極端な例が共産主義体制であり、ともかく食べるものも着るものも不足している。精神的自由などより、まず生物として必要なものを国民に供給しなければならないという状態の時には国家的な統制の方が能率的だ。
でも社会が成熟し、食べるものも着るものも十分になると、国民は自由を求める。自由主義、資本主義でも食べていけない人は少ない。貧困層には社会保障で応じるという考えになる。
男女の関係は長い歴史を経て、十分に成熟している。だから男女の関係もそれに関係する社会体制も成熟している。そこで、男女共同参画については「否定的倫理」に基づき、「多様な対応」をする方が良いと私は考えている。
「否定的倫理」「成熟と多様性」に基づく手続きは次のようになる。
1) まず女性自体を尊重することが前提
2) 次に女性の希望を個別によく聞く
3) その女性の希望を叶えるための社会体制を順次、作っていく
4) 男性がマジョリティーな仕事では「女性だから」という基準を設けず、機会均等にする
1)から3)までは賛成な人でも、4)には反対かも知れない。女性は弱いから特別な保護をするべきだという議論だが、私は長い目で見て、男女は平等であるという立場を捨てない方が結果的に女性のためになると思う。
おわり