マン島レース

第四話 -マン島制覇-

ホンダはなぜ、マン島のレースを完全制覇したのだろうか?OHVも DOHCもホンダの発明ではない.バルブもショートストロークの採用も、 機械加工精度のいずれもホンダが世界一ではなかった。エンジンに対する熱情やサスペンションの技術はヨーロッパ勢も高い。

性能はヨーロッパ勢のオートバイの方が出力が高かったし,経験も深かった。それでは、宗一郎のチームがしたのはせいぜい、ヨーロッパのマシンを分解してそれを勉強しただけだったのか?

しかし、我々の目の前には、日本海海戦、マレー沖のプリンス・オブ・ウェールズ撃沈、そしてマン島TTレースと、常にヨーロッパに大勝利を納めている。それにはそれの理由があるはずである。

 ホンダには悪いけれど,マン島で優勝したホンダのエンジンもサスペンションも特にこれといった特徴があるわけではない。ヨーロッパ勢に対して特別な能力や経験があったわけでもない。それは「血のにじむような努力」もあったし、「深夜まで我も忘れた夜」の連続だった。

そして「叱咤激励」をし「資金の調達に奔走」したことも、そして秋山選手の突然の死・・・世界を舞台に活躍するためにはあらゆることが起こった。でも、それだけでは世界を制覇することはできない。自分の国を出て世界を制覇しようとすれば、どの国民もみんな同じような苦労をする。

 そのような多くの人やチームの中でも勝利の女神が微笑み,その頂点に立つにはなにがいるだろうか?

 宗一郎は藤澤と組んでホンダという会社の運営をしていた。彼らがマン島に出ようと決意した昭和29年という年は特別な年で、太平洋戦争が終わった昭和20年から数えて10年目である。その間に朝鮮動乱があり日本もようやく飛躍のための体力ができてきた頃。そのタイミングに「深夜まで我を忘れてエンジンに取り組み、目的を達成するためには血のにじむような努力も厭わない」宗一郎と将来の経営者の藤澤が組んでホンダという小さな会社を運営していた。

 トルストイが彼の「戦争の平和」の中で繰り返し描写していることがある。それは、どんなに大きな人物と見えても、どんなに能力がありそうであっても、彼の行為や業績は所詮、その時代が決めた、「時代の子」であると言う。その証拠がマン島TTにも現れたのだろう。

ホンダに続いたスズキ、ヤマハ、カワサキがどれも世界に冠たるオートバイを作ったのは偶然ではない。もし、ホンダの世界制覇が宗一郎という個性だけがさせたのなら、ホンダの後にスズキが続くことはあり得ない。

ここで考えなければならないのは、まず、なぜ、ホンダの後にスズキ、ヤマハ、カワサキが続いたのか? そして第2が、なぜ、全部日本のメーカーなのか? ということである。日本という国以外からは圧倒的に強いメーカーは現れなかった。

少し1950年代を振り返ってみよう。

 1950年代のホンダはそれほど順風満帆ではなかった。今日のホンダの基礎を作った250ccのドリームも50ccのカブも失敗作が続き、投資計画も頓挫して在庫は蓄積する。藤澤は青息吐息で資金調達に駆け回る日々が続いていた。

それでも、日本のオートバイの需要自体が滞っていたわけではない。1950年から1953年の3年間で販売台数は実に18倍に上った。日本の活力が高まり、それまでのんびりのんびりと歩いていた人たちも、少しでも早く目的地に行きたいと足早に歩くようになったが、まだ四輪車は買えない。タクシーも金持ちだけが利用できる高値の花だったから、結局、庶民は宗一郎のバタバタで移動したのである。

そんな需要がある時代に経営が斜めになるのだから、宗一郎がダメなのか、藤澤が判断を間違ったのか、むしろ高い評価はしにくい。唯一良かったことと言えば、4サイクルを採用し、高圧縮にしたことだろう。そして、バイクの技術レベルは日本の中ではドングリの背較べだったが、その中でもしホンダの偉さを探すとしたら、やはりマン島TTレースを第1目標としたことと思う。

世界という広さは格別だから、そこで勝つためにはそれまでにはないことが起こる。それまで「このくらいで良い」としていたのが「それじゃ、ダメだ」に変わる。それが技術を革新していく。競争なくして進歩は無い。

人間の潜在的能力というのは不思議なもので、極端なことを言えば、やらんと欲すれば何でもできるといっても言い過ぎではない。信念、岩をも貫く。「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。      
    
宗一郎の偉さがあるとすれば「できる」と言ったことと思う。彼が、「ヨーロッパのエンジンはとてつもない!こんな高い出力は出るのか!?」と言っていたらマン島では勝てなかっただろう。人は「できる」ということが判らないから躊躇する。判れば突撃できる。判らなくても突撃できる特殊な能力を持った人が時々いる。宗一郎はそういう人の一人だったのだろう。

 大将がそうだから、彼の部隊はできると信じてやった。ヨーロッパ人が高出力のエンジンを作っているのだから、できる。それは間違いない。もちろんホンダに続く、スズキもヤマハも日本人だ。宗一郎と違うところと言えば名前が売れていないということだけ。同じ日本人が同じ信念を持てば、同じ結果となる。かくして、GPレースでも日本勢同士の激しい戦いとなる。

 さて、もう1つの論理はどうだろうか?なぜ、日本だけか、ヨーロッパ勢はどうしたのかということである。

 話は飛ぶが、鍵は2つあると思う。

1つは歴史の流れ、つまり太平洋戦争で外地に散った勇士の血だろう。太平洋の藻くずと消えた山元五十六連合艦隊司令長官やジャングルに消えた一兵卒の魂はその後、どこに行ったのだろう。もちろん、物理的科学的には太平洋のどこかにいる。でも精神的には日本人の魂の中に残った。

トルストイが言っている「人は歴史を背負う」というのはそのことで、歴史の勢いが背中を押す。衝撃が大きいほど押す力も大きい。ギリシャ北方の小さなマケドニアのアレキサンダー大王が爆発したのも、中国の北方のモンゴルのチンギスハーンが大帝国を築いたのも、大王やハーンの力ではない。彼らの背に哀しい過去があり、それが彼らを押した。

宗一郎は、生来、熱血漢で探求心の強い、型式にこだわらない人で、成功もした。かれはガダルカナルで玉砕した20693の勇士の魂は感じなかっただろう。でもガダルカナルの20693の英霊、レイテ、アッツ、サイパン、そしてオキナワの英霊が彼を押した。

でも、その中でもガダルカナルは特別だと思う。日本の戦線はガダルカナルまで膨張し、そこが天王山だった。天王山はそこで折り返す。そこは日本の命運が将兵の肩にかかり、撤退はできなかった。ガダルカナルの海岸で突撃して全滅した一木支隊の無惨な記録をみて「馬鹿な突撃だ」と解説するものもいるけれど、一木支隊は撤退できなかったのである。それは撤退の為の艦船が来なかったのではない、かれらは自分たちが撤退できないことを知っていたと思う。

 一木支隊の将兵の血にはなにがたぎっていたのだろうか?

一木清直。明治25年生.昭和17年8月21日没。日本陸軍軍人、陸軍士官学校(28期)卒。昭和17年5月28連隊を基幹兵力とする一木支隊が編成され、支隊長となる。8月ガダルカナル島奪回の使命を持って上陸、21日第1回攻撃一木支隊916人中戦死777名。聯隊旗を奉焼して戦死。玉砕。

 ここで後退したら祖国はそれで終わり。それが一木支隊長とその兵卒の髪の毛、1本1本に染み渡っていた。そうでなければあれほどの突撃はできない。宗一郎が歴史の子なら、彼らもまた歴史の子であった。後ろから故郷の顔が微笑んでいて、彼らは歴史に押されて突撃した。


一木支隊玉砕

 もう1つの理由は、実はヨーロッパ人種と日本人の質的な差に求めた方が良いだろう。

彼らは青い目をし、茶髪であって、それだけで黒い目、黒い髪の日本人とは違うが、心も違う。彼らにとってマン島はなんだったのだろうか?

レースは勝敗をかけるものである。だから勝つためにレースをやっている。確かにそうではあるが、その「勝つ」という内容が日本人と違う。宗一郎は「ビジネスを成功させるため」、もしくは「我が技術を世界に示すため」「何もやらぬ通産や外貨の規制ばかりをしているノロマな外務省の鼻をあかすため」であった。

 負けたヨーロッパ勢は違う。彼らもエンジンが好き。好きで好きで、屋根裏部屋で、ガレージで、油まみれになってヤスリで鋼を削る。彼らは何のためにヤスリで鋼を削っているのか? 勝つためである。何のために勝つのか? それは「勝つため」だ。

何を言っているのか判らないが、この違いは大きい。

宗一郎は儲けるために勝ち、彼らは勝つために勝つ。勝つ目的以外の目的はない。彼らの目は丸く、宗一郎の目は三角だったかも知れない。

 確かにニッポンはマン島TTレースに勝った。でも、あるいは勝つのは決まっていたのかも知れない。彼我は目的が違う。彼らは勝つつもり、我は儲けるつもり。金をつぎ込み、チームを組み、敵のメカを分解し、作っては捨て、そして仕上げれば勝つ。それは決まっている。

マラソンをランニングと裸足で走るアべべの横を最新鋭ナナハンで抜き去っていい気になっているようなものかも知れない。彼らと舞台は同じだったか? 資金は平等だったか? 目的は一緒だったのだろうか??

 マン島TTホームページにはデーターベースコーナーがある。そこに歴代ライダーのプロフィールが掲げられている。そして日本人初のシルバー・レプリカを獲得した谷口尚巳もまたその1人である。彼の燦然たる成績はそこに掲載されているものの、写真はない。寂しく「写真を提供してください。お願いします!」との掲示が、もちろん英語で、そこに掲げられている。

嗚呼、万骨枯れて一将功なる。

(おわり)