第二話 決戦
常勝日本の謎を解くシリーズの第三弾は日本海海戦である。第一話は決戦の前夜の状態、第二話は決戦、第三話は戦略考、そして第四話は日本がなぜ勝ったかについての解析である。今回は第二話で日本海海戦の記録である。
1. 決戦
「敵艦見ゆとの警報に接し聯合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす」
日本の歴史上、これほど有名な暗号電報はないであろう。それに主席参謀で抜群の切れ者だった秋山真之中佐が、
「本日天気晴朗なれども波高し」
と続けた。これは暗号ではなく、通常電報だが、その文章力は実に見事である。そして、午後1時55分、連合艦隊の旗艦「三笠」に「Z信号旗」があがった。
(Z旗を見る水兵)
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。」
かくして、日露戦争・日本海海戦のドラマが切って落とされ、出撃した日本艦隊はまもなく沖ノ島北方でバルチック艦隊を発見、その時の敵との距離は12,000㍍であった。
刻々と決戦の火ぶたが切られる時が近づいていた。行き詰まる一瞬である。そして、両艦隊の距離が8,000㍍となり、東郷平八郎は艦隊に左へ旋回するように命令を発する。これがかの有名な「敵前大回頭」、トウゴウターンとも言われるものであるが、この旋回をみて旗艦スワロフの参謀は
「心中、しめたっ、と思った。こんなところで急に変針するとは、おかしな東郷だな、と仲間とささやきあった」
と述懐している。
ともかく、ロシア艦隊は好機到来とばかり、先頭の三笠に集中砲撃を加え、当然、三笠に雨あられと砲弾が降り注ぎ、そのうちの数弾が艦に命中した。
(三笠艦上の東郷平八郎)
距離6,000㍍になり日本の艦隊が砲撃を開始、その直後、バルチック艦隊の先頭艦オスラビアが火を噴き、ロジェストウェンスキー座乗の旗艦クニージャ・スヴォーロフも航行の自由を失って戦列を離脱した。
この大海戦の勝敗はわずか30分で決着した。その後は見るも無惨、残党狩りのような海戦が第10合戦まで続き、鬱陵島付近でロシア艦隊は全滅した。
(日本海海戦合戦図)
日本海海戦図を見ると、北上するバルチック艦隊とそれを待ち受ける日本連合艦隊の位置取りがよく分かる。決戦は対馬、下関、壱岐に囲まれた海域だった。この海域は蒙古襲来でも、それ以前でも、大陸との接触の最前線であった。バルチック艦隊は大打撃を受けてちりぢりになる。それを日本海軍の水雷邸が追っていったのである。
(旗艦 三笠)
このような写真を見ると、当時の軍艦が大きくがっしりしたもののように感じるが、実はそうでもない。当時としては一所懸命に作った立派な軍艦だが、現在の技術では「威容」とは言いにくい。戦艦三笠はその後、佐世保で大爆発を起こして沈没したが、その後、引き上げられて今は横須賀に三笠記念館として残っている。
ただ、この海戦の記録を閉じるにあたって、完璧なまでに敗れたロシア軍の名誉のためについかする。一瞬にして海の藻屑と化したロシア艦隊の将校も兵も戦わずして逃げたのではなかった。むしろ日本艦隊を迎え撃たんと意気に燃えていた。そして、艦が炎上しても最後まで艦を離れずロシアの歌を歌ってそのまま艦とともに沈んだ兵も多く、日本軍も大いに感激したと伝えられている。
もともとロシア兵が愛国心が高かったのか、遠く極東まで来たのだ、どうせ降参しても仕方がないと覚悟を決めていたのか、すでに歴史の中に埋没している。第10回 おわり