スタンフォード大学
ヴェルサイユ宮殿には広大な庭園と贅を尽くした部屋が連なっている。そこに立つとフランス王朝の長い歴史とフランス革命に想いを寄せ、調度品や壁に描かれた絵がフランス貴族文化の香りをまき散らす。ヴェルサイユでなくても良い。フォンテンブローの石畳の庭に行き、やや崩れかけた階段を下りながら、ナボレオンが近衛兵と別れた場所に立つとある種の戦慄を感じざるを得ない。さらに下がって、パリ市内のシャンゼリゼ通りから少し入った所にあるジョルジュサンクですらそうである。大理石でできた美術品のようなこのホテルで、ゆっくりと朝食をとると贅沢な文化の香りが普段のいきり立った行動を戒めてくれる。
文化と効率は相容れない。民主主義や平等主義とも肌が合わない。多くの農民や市民を収奪し、特定の人間が巨万の富を積み重ね、その多くを遊興に使おうとも、一部が文化に投じられれば、それは花を開き人類の宝になる。学問もまた文化だとすると大学は民主主義や平等主義を嫌うはずである。
1884年に最愛の一人息子を亡くしたスタンフォードはサンフランシスコ郊外の広大な自分の農地に1891年に大学を建てた。スタンフォードとその夫人は息子を亡くした悲しみを紛らすために、大学を作って同じ年代の若者を育てることで癒そうとしたのだ。大富豪でもあり、上院議員でもあったスタンフォードはその政治力と資金力でスタンフォード大学の基礎を作ると間もなく1893年には死去する。夫と息子を無くしたスタンフォード夫人はその後も大学経営を続け、夫と息子のメモリアルに学内に素晴らしい教会を建設、夫の死後15年後の1905年にこの世を去る。
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今や、スタンフォード大学はある意味ではアメリカ合衆国ばかりでなく世界でも最も優れた大学だ。現在教授として残っているノーベル賞学者だけでも14人を数える。広大なキャンパス、潤沢な運営資金、エキゾチックで芸術品のようなキャンパス、そして受験競争に勝ち抜いた選りすぐった学生、まさに大学の理想がこのスタンフォードに見られるような錯覚に陥る。
大学の理想とはなにか、大学は何を良しとしているのか、日本における文化人の甘い議論にスタンフォード大学とゴールデンゲート大学は鋭く問いかけている。
スタンフォード大学のアウトライン
学生数学部学生数7000人、大学院生7000人、教授陣1400名、教授1人あたりの学生数は10名である。大学によっては学部学生数だけを計算するところも多いので、その基準では学生5人に対して教授1人という計算になる。授業料は私立大学でも高い方で、年間250万円程度である。それでも、大学の運営費にしめる授業料の割合は僅か16%、大学運営は政府の補助金(運営費全体の37%)、卒業生などからの寄付金(同16%)、資金運用益(同13%)等からの資金の組み合わせである。年間250万円の授業料は隣接するカルフォルニア大学の実に6倍になるのに、それでも全経費にしめる学納金の割合が20%も行かないのだからまったく特別な大学としか言いようがない。そう運営費は学生14000人に対して飛び抜けて大きい。
大学敷地はスタンフォードの農地全体を使用しており、8000エーカーになり、ほとんど比較の対象の無いほどに大きいし、もちろんその全ては使い切れず、ほとんどは空き地のまま放置されている。キャンパスが充実していることは言うまでもなく、キャンパスを散歩すると快適で美しい風景が連続的に現れる。芝生も綺麗であれば、建物の多くは芸術品であり、そのためかキャンパスを歩いている学生さえ小綺麗に見え、すれ違う教授はノーベル賞学者かもしれないのである。
4年生の学部は1992年に学長、副学長が交代し、大幅な教育プログラムの改革に入った。新しい教育プログラムは1994年から実施され、その柱は、①1-2年の全学生に外国語を履修させ、ある基準まで到達させる、②同じ1-2年生に作文の訓練をさせる ③3-4年生に専門分野の作文の訓練、副専攻の学習、 そして④学生が卒業研究を申告する の4つである。外国語はドイツ語の教授が指揮を執り、そのシステムを作り上げたが、語学はアジア関係、スペイン語に人気がある。作文は工学部の教授陣の要求で始まった物で、ハードな訓練が施される。特に3-4年次には専門の論文を書けるまでの作文力を付けさせるのが目的である。個性教育が重視される中で完全に時代の方向とは異なる教育方針である。作文や語学が嫌いで数学が得意な学生も過酷な課題を貸して、それをやらせるというのである。その目的は「どんな点でも秀才な学生を作る」ということに尽きる。ノーベル賞学者は良い研究環境、高い給料で招聘すればよい。スタンフォードの学生はあくまでも実社会で活躍できる優秀な人材を養成すれば良いのだ。そうすると、社会で成功することが唯一の価値であるアメリカで高い評価を得、かつ成功した卒業生からは多額の寄付が期待できる。スタンフォードの戦略もまたはっきりしている。
また、最近のアメリカではは副専門を持たせること、又はダブルの専門家として養成するプログラムはかなり多くの大学で試みられているが、スタンフォードでも詳細なプログラムを用意して学生に副専攻科目を5つに限定して取得させる。このシステムは学生にはもちろん有益であるが、これを作るに当たっては、1つの専攻に対して最も重要なコアーとなる科目を選択することであり、この改革は学生ばかりでなく大学にとってもどの科目が本当に必要であるか、という点が明らかになり大変有益であった。
その他に、卒業研究のテーマを学生が申請する新しい試みは学生にある程度のガイダンスを行い、それに対して学生が研究予算書と研究計画書を提出する。研究予算書には研究に必要な材料費、旅費、雑費などを含み、研究計画書はその研究に対する知見を要する。学生の大半は研究の経験がないので、計画を立案できず、全学生のうち、25-35%がこの計画を申請する。まだ制度が始まったばかりと言うこともあり申請した計画の大部分は採用される。最近はこの制度ができて4年になり、ある程度の実績ができたこと、先輩の試みを参考にできることから、学生の申請数は増加傾向にある。
学部時代のスタンフォードの学生は、このようなしっかりしたプログラムの元に、4年間で180単位を取得することが義務付けられる。もちろん、医科系に所属しているクリントン大統領の一人娘も例外ではない。ちなみに、スタンフォード大学の1単位は1時間の講義と2時間の自習が基本であり、宿題はたっぷり2時間分が出される。かなりハードな大学生活であるが、これも学生の不満は無い。もともと社会に出てアメリカの競争社会で勝利者になるのが人生の目的である。180単位程度でへこたれてはいられない。
1年はセメスタ制ではなく四半期制で3学期と、休暇に分かれる。きめの細かい教育プログラム、優秀な学生、厳しい指導、四半期制と訓練の環境には事欠かない。整ったキャンパスと教育施設、サンフランシスコから一時間程度離れたこの地の学生にはいいわけはできない。
教授にとってもスタンフォード大学は競争社会である。スタンフォード大学を経営する理事会は財政と学長を選ぶ権限を持つ。学長と学長が任命する副学長のもとに各学部長が大学の運営に預かる。学部長の下にはさらに各学部の教授で構成される委員会が形成され、ここで日常的な教育業務が決定される。
専任教授人事はこの教授で構成される委員会で審議され、学術業績と教育能力を判断してきめられる。若手の助教授は採用されてから7年目に教授への昇進の審査を受ける。審査は①学術、②教育の二面からなり、学術審査では対象となる助教授の研究学問分野の学者に手紙を送り、その助教授の評価のレターをもらう。学術業績として論文数を問題にするのは程度の低い大学である。ある程度の学問と大学院生、それに設備があれば一流の国際誌に論文を出すのは比較的簡単である。従って論文数だけでは比較ができない。そこでその分野の専門家の意見を聞くことになる。しかし新しい分野ほど専門が狭く、互いに競争しているのでその中で適正な評価ができるのかは疑問でもある。しかしともかくこのような方法で学術業績評価が行われる。
また教育の評価は学生から対象となる助教授の評価を提出させ、それを評価する。学生による評価はアメリカでは定着していてともかく教授の教育能力評価の基準である。しかし、問題点が無いわけではない。日本では学生が優しい方が良い、との判定もあるのでさらに問題であるが、アメリカでも創造性の育成や人格形成に優れた能力のある教授はまったく評価されず、単純な知識伝達が上手な先生が高い評価を受ける結果となるからである。
少しの問題点はあるにせよ、教授の選考は少なくとも形式的には公平に行われるが、現実はそれほど簡単ではない。なんと言っても天下のスタンフォード大学の教授になるのである。外部からの圧力、社会的な干渉、資金提供先からの要求などが続き、本人も日頃から所属学会のボスや学生に大いに気に入られておかなくてはならない。人事は1人が決めても問題があるが、多数が決めたからと言って公平になるものではないのだ。
教授陣の軋轢はさらに大きいと噂される。新しい教授の推薦、研究費の分配など多くのことを行う委員会では政治が渦を巻き、学問的にも教育的にも優れた教授が力を持つと言うことはなく、政治好きの教授が学部を支配すると言うのだ。ノーベル賞学者はもともと政治的なことには関心がない。というより彼らの内のいくらかは一種の渡り鳥であり、自分の研究が行えて名誉が得られれば良いのであり、それだけが人生の目的なのだ。一方、政治好きの教授は、かつて興味のあった学問にはスタンフォード大学にいながらノーベル賞をとれなかった心の襞が様々な形となってその行動を支配し、それだけに行動原理は陰険になる。
競争社会とはこの様な物であるから、それもスタンフォードらしくて、それで良い。
新しい分野の教授を採用するのはスタンフォード大学でも困難なことである。教授陣で構成する委員会は自分の研究範囲を重視するし、特に教授の年齢が高ければ高いほど、その決定は保守的になる。地方分権社会と言う原則はあるものの、トップダウンでなければ新しい分野の教授を取るのは現実的には困難である。
確かに、学長などのトップの意向は強く反映する。能力主義、権力主義を基本とした組織で中央集権的でないということはあり得ない。しかし、全体から見ればスタンフォード大学は中央集権制ではない。教授は勝手に研究をし、TAが学生を教えている。それでも超一流の大学としてますます隆盛なのは、それなりの力学が働くからである。
技術ライセンス・オフィス
スタンフォード大学はアメリカ第一の技術ライセンス収入のある大学である。年間の技術収入は60億円に達する。「そりゃ、スタンフォード大学のようにダントツの研究陣がいれば当然だよ」と簡単に言われるが、実際はそうではない。長年の経験と詳細な計画、そして慎重な戦略と優秀なスタッフをライセンス・オフィスにおいて活動している。
まず、大学から企業への技術ライセンスには、第一に運営のフィロソフィーが大切である。大学の教授の関心は「金」にあるわけではなく、自分の業績がどのように学会で認められるか、にある。学会があれば、そこでの発表がその発明が本来内在している大きな可能性、「もう少し発表を待ってください。そうすればこの発明は大きなお金を生みますよ」ということはまったく頭に入らないのだ。世間一般での常識が学者の世界ではまったく通じないこと、技術ライセンスを目的としているリエゾンオフィスと教授とは「原理的に利害が一致していない」ことを十分認識する必要がある。これが全ての前提で、リエゾンオフィスが失敗する多くの場合、この原則を認識していないか、認識しても実施するときに、すぐ学者の特性を忘れることにある。
基本的矛盾を忘れないようにするには、常に原則を表示し、それを現実たらしめるためのガイドラインを作っておくことだ。さらにそのガイドラインが実際にどのように運用されているかを監視すること、最後に資金の導入によって大学の研究の質が低下しないか、企業の下請けになっていないか、に注意する。
第二に具体的な運営の進め方にも注意を払う必要がある。運営の骨格としては、①教授と提携先とを接触させ、提携先の技術顧問などの職に就かせること ②大学の基礎研究に限って受託研究を行うこと ③企業との間に適切な契約を結ぶこと である。教授と企業などとの情報交換はこの業務の基礎的部分として大切であり、また同時にある程度の接触の頻度についての制限も必要である。例えばスタンフォードでは教授と企業との接触を一週間に一度と限定している。企業との間の研究テーマは大学の基礎的研究のみを対象とし、応用研究は対象とはしない。企業は応用研究に興味があるが、そのような研究に大学が巻き込まれると結果としてあまり良い結果を得ない。また企業は応用研究でも十分に利益を得ることができる。
スタンフォード大学では毎年2500件ほどの契約が成立する。この契約件数で、年間の収益が60億円程度になるのだから、一件あたり240万円となる。つまり、収益のあがる契約もあがらない契約もあるが、平均的には一件当たり240万円と見ておけば良いのであろう。
第三の業務は、スタンフォード大学の人が中心となって企業を起こす場合の手助けをすることである。かつてはヒューレッド・パッカード社に見られるように大学の学生の起業家に対して大学が直接的に資金の提供をすることもあったが、今では資金の提供は一切せず、資金提供以外のサービスをしている。この場合でもガイドラインが必要で、スタンフォード大学の人が設立した新しい企業の基礎研究部分は大学が進めても良いが、その企業の応用研究は大学が行わない。それは委託研究や共同研究でも同様であるが、もし大学が応用研究をすると企業から見ればそれは優秀で安い研究員を雇用したことと同様になり、大学院生をそのように使用することは許されないからである。大学の人が企業を設立し大学に在籍したまま大学院生を社員のように使用するのは大変問題があるからである。
いずれにしても、大学における企業との共同研究や企業化は「大学本来の目的や指向と大学の研究を企業化する」ということは原理的に相反するという原理を良く理解し、ガイドライン、倫理規定などをしっかりすることが大切で、慎重にも慎重にことを運ぶことが必要である。
発明は学者の頭の中で行われる。そのためには資金を出した人と大学が権利を分ける必要がある。アメリカでは政府系資金の元での研究で成果が上がり、それが工業所有権に結びついた場合、その帰属は大学であることが1980年の法律で決まっているが、企業との間では「権利は大学、ライセンスは企業。ライセンスの程度はその都度決める」というのを標準的としている。また、資金の提供時期は発明の後になり、発明のための研究は原理的にその前になる、という時期は権利関係で解決する方法を採る。
大学として定常的に収益をあげるためには、ライセンスする技術が有効に使用され、企業で収益をあげる必要がある。そのため、審査を慎重に行うこと、ライセンスの対価として ①初回金 ②ライセンスフィー ③年金 の三種類を取ることが必要である。ライセンスの対価として年金が必要なのはライセンスした技術を企業が塩漬けにしないためである。またアメリカでは発明や発明の発表から一カ年経過しても特許をとれる特例があり、これがあるからこそ、アメリカでこのようなシステムを動かすことができる。日本ではそれが半年、ヨーロッパでは特例がないので、ヨーロッパの特許を取るのはとても困難であり、実際的にはアメリカ特許だけで運用せざるを得ない。
ライセンスのからの収益金はその15%をオーバーヘッドとして大学が取る。これはリエゾンオフィスを運営する経費である。その次に特許の出願費用、維持費用などの必要経費を差し引き、その残りを、教授、学部、企業に三等分する。教授は基本的にはあまり金には興味を示さないが、この場合は違う。多くの場合は個人に支払われた資金も研究に使用されるが、それは教授に取って学部、研究室に貢献することになるから、大変なインセンティブになる。
有名大学を作る簡単な経営原理をスタンフォード大学は具現している。それは、溢れるほどの資金を使い、素晴らしいキャンパスと一流の教授陣を呼ぶ、そして少しずつ少しずつ良い学生を入れていくことである。授業料も最初から高い方が良い。「あそこは新しいけれど、良い学校のようだ」という評判が必要である。そのためには、政府とのコンタクトも必要で多くの資金や便宜の提供も受けなければならない。学生のレベルが上昇し、大学院進学率が高くなり、教授の研究実績が上がってくれば、後はノーベル賞の受賞者を待つばかりである。そして誰かがノーベル賞を受賞すれば、それで大学は一気に有名大学への道へと進んでいくのである。政府からの援助は私立大学にも関わらず全体の経費の30%を越し、成功した卒業生からの寄付も多くなる。設立時の資金の運用は一段と楽になるのである。
こうなると大学の進学率が上昇して、一八才人口が減少しても大学には無関係である。少し極端な表現にはなるが、一八才人口のうち、常に成績上位者から学生をとれればレベルは変わらないからである。そして、高等学校以来、学力競争に終始してきた若者はより難しい大学に入ることは、その若者の人生目標とも一致するからである。
教育とはその大学の真意が見えないものだろうか。もしくは事務方を中心とした「有名校一本槍」という方向は日常的には隠蔽されるのだろうか。それとも競争社会のアメリカにおいては「有名校」で「かんずめ教育」を受けること自体が社会での成功を約束するものとして合意されるのであろうか。
文化というものはその文化を生みだした「金」の出所が、どのような収奪の過程を踏んだかは原則的に問題にはならない。高度な文化は常に王室や貴族、そして大資本家などの収奪組織の豊富な資金に基づいているからである。収奪された金に基づく素晴らしい芸術品の前に立ったとき、我々はその芸術性の高さに感動して、背景にあるドブのような臭いを感じることはできない。
19世紀の半ば、ゴールデンラッシュに沸くサンフランシスコに、一人の男が出現した。スタンフォードは次々と有望鉱区を取得し、安い労働力を駆使してたちまちのうちに巨万の富を生む。金鉱の労働者は荒くれ者で、金を渡しても翌日には酒と女に使い込んでしまう様な連中だ。炭鉱夫から金を巻き上げるのはそれほど難しくない。かくしてスタンフォードの富は富を生み、サンフランシスコからユタまでの鉄道も成功する。鉄道を敷設するには彼の上院議員としての地位が大いに活用された。 この両方の事業に成功して「金鉱王」「鉄道王」としてのスタンフォードの地位は万全となる。一人の人間がその体力で巨万の富を稼げるはずはない。頭脳が抜群であるとしてもそれは比較の問題である。しかし、社会全体、特に資本主義社会の仕組みから自らの体力とは無関係に集金することはできる。そして、集めた金がどれどれほどの収奪であっても、その金を非業の死を遂げた息子の追悼に使用するのは不適切ではないだろう。
もともと、スタンフォードがいったん金採掘の収益金を荒くれ男に渡し、それから「大学を作りたいから金を出してくれ」といっても集金はできなかったであろう。そうであれば、どんなに非難されようともまず金を懐に入れ、それから社会的に有効に使用する方が良いかもしれないのだ。
ゴールデンラッシュのサンフランシスコに生まれ、競争社会一本に経営してきた大学、その大学が現代のゴールドラッシュの地、シリコンバレーの横でなおゴールドラッシュ当時と同じ思想で、100年同じ感覚で活動を続けているのは偶然ではないだろう。