-エリコとコタン-
「死海」、ここに流れ込むヨルダン川のほとり、河口から15キロメートル内陸に入ったところにエリコという町がある。有名な黒人霊歌「ジェリコの戦い」は旧約聖書によるエリコの攻防戦を歌ったものだ。
この町は紀元前1万年ほど前に作られたとされている。四大文明が花開く少し前、10万年も続いた氷期が終わり、ようやく地球上に暖かさが戻ってきた頃のことである。エリコは現代人の文明ができて最初の町とも言われる。
美しいヨルダン川のほとり、肥沃な土地にあったエリコは少しずつ発展して旧約聖書が書かれる少し前には立派な集落となっていた。
紀元前2000年、今から4000年前、ヨシュアに率いられたユダヤの民がこのエリコを襲う。エリコの町の城壁を囲んだヨシュアの軍はエリコの城兵の疲労を待って一気に突入した。エリコは陥落し、ヨシュアの軍は当時のしきたり・・・正しい行為・・・に従ってエリコの男を皆殺しにして、女や子供を奴隷にした。
ヨーロッパの血なまぐさい歴史は旧約聖書に記録されたヨシュアの攻撃に始まり、エリコは紀元前1500年にはヒクソスの攻撃に晒されて再び全滅する。
血なまぐさい歴史はその後も続き、かつて繁栄したエリコの町を発掘すると頭蓋骨を割られ、肋骨に鏃の刺さった骨が無数に発見される。文明とは、かくのごとく凄惨なものである。
メソポタミア以後、お隣のエジプト文明と合体してヨーロッパ文化が花開くが、ミケーネ、ギリシャ、マケドニアのアレキサンダー大王、ローマのシーザーと歴史を重ねても虐殺の記録はますますその度を深めるばかりだった。そしてやがて2000年の歴史を経て、第一次世界大戦、第二次世界大戦と進み、日本に原子爆弾を落とすまでになる。
第二次世界大戦の犠牲者6000万人。
人間とはそういうものである。人間以外の動物なら、自分とは違う動物を殺すことがあっても、同じ種を殺すことはない。食糧が尽き、餓死する寸前になってもオオカミはオオカミを食べず、ライオンがライオンを襲うことはない。
でも人間は違う。オオカミやライオンよりどう猛でどうしようもない。食糧が十分有っても自分の言うとおりにしないからと言って攻め、降伏しないからといって皆殺しにする。それだけでは止まらない。将来、大きくなって仕返しをされるのではないかと心配して乳飲み子を殺すことまでする。
実に残虐であるが、それが人間だから仕方がない、と私はつい最近まで信じていた。でも、それは違うのだ。
(戦いを美化する文化と戦いを忌避する文化)
北海道常呂・・・それは網走の少し北に位置する集落で、ロマンにあふれたサロマ湖のほとりにある。寒冷な気候の常呂には2000年来、アイヌが住んでいてその遺跡が多い。東大常呂研究所が長い間、この地域の遺跡を発掘し、気の遠くなるような作業をしながら、アイヌの文化を解明している。
常呂は北海道内であるが、同時に海岸はオホーツクに向いている。だから千島列島、樺太などと文化を共有してきた。オホーツク・アイヌという呼び方はないが、北海道とオホーツクの文化を併せ持ったアイヌが住んでいた。
不思議なことがある。気候は厳しい、収穫には波がある。いつでも平和で豊かであるばかりではなく、時によっては食糧が尽き、ある時には強大な指導者が出現する。そしてシャチと呼ばれる砦もある。だから、ここでも絶えず戦争があり、殺し合い、より強い集落が弱い集落を攻め滅ぼしたに相違ない・・・そう思った。
負けた集落の男は皆殺しにあい、女や子供は奴隷になっただろう。
しかし、東大常呂の研究所の発掘記録を見ると、奇妙なことに気がつく。シャチは日本語で「砦(とりで)」と訳されているが、頑健な石垣もなく堀もない。北海道に和人が作った松前城のような本格的な城ではない。単に柵のようなものだ。
それよりおかしいことがある。それは発掘されるアイヌの遺骨に刀傷や槍傷などがほとんどないことである。北海道全土では、今まで3体ほど槍傷を認める骨が発掘されていると言う。でも、その数や出土の様子はエリコの比ではない。
城も無く、傷の付いた骨もない。武器としては刀を和人から手に入れても儀礼に使った記録しかない。狩猟民族として動物を仕留めるナタや弓矢は発達していたが、それを人間に使ったことはないと思われる。
驚くべきことだ!アイヌには2000年間、戦争が無かった。もちろん和人が攻めてきてアイヌを騙した時には戦争になっている。コシャマインやシャクシャインの戦いがそうであるが、これは自分の家に強盗が入ってきたようなものだから戦争とは言えない。
北海道には少なくとも20万人程度のアイヌが住んでいたと推定される。しかも寒冷な地ゆえ、食糧はそれほど豊かではない。当然、力のある集落と小さい集落もある。チセと呼ばれるササ葺きの家がいくつか集まってコタンを作っていた。人間の常だから争いはあったはずである。
・・・でも、そう思うのは私が「生物としての心を失った歪んだ人間」になったかららしい。考えてみると意見が違ったからと言って力ずくで相手を殺すというのは尋常ではない。まして、自分が得したいから相手を殺すなど狂気の沙汰である。
相手が自分の思う通りにならないからと言って殺すと言う人は「凶悪犯人」である。最近のニュースでブッシュ大統領が中東のアルジャジーラという放送局が自分の思うとおりの放送をしないからという理由で爆撃をする計画だったという。まさにヨーロッパの狂気の倫理である。
ところでアイヌはどうして2000年も戦争をしなかったのだろうか?それには3つの理由があるようだ。
第一の理由は「人格が高かったから」に他ならない。人間が「悪いことをしようか、それとも自分が損しても正しく行動しようか?」と迷う時、最後の決断は自分の人格が決断する。人を殺すのは悪いのに決まっているのだから、アイヌは殺さない。アイヌ民族は我々より人格が高い。
第二の理由は「交易の民」だったからである。交易とは「力ずくで他人のものを自分のものにする」という方法ではない。「他人のものが欲しければ自分のものと交換する」というのが交易である。だから戦争にならない。
第三に、アイヌは言葉を尊重し、話し合いを大切にした。アイヌは文字を持たなかった。文字を持つだけの頭脳と文化は持っていたし、むしろ和人より頭は良かった。でも言葉を文字にすると心が失われることを知っていたらしい。音を文字にすると心は失われる。
かくしてアイヌはその高潔な人格、交易の思想、そして話し合いの心をもって歴史を歩んできた。だから戦いは無かった。
血なまぐさい人殺しの歴史を持つヨーロッパと私たち和人、それに対して2000年間、戦争をしなかったアイヌ。人間としての彼我の優劣は歴然としている。アイヌほど優れた民族はいない。
今、平和を望み、その運動に身を捧げている人たちがいる。その人達は是非、アイヌの文化を学んでみて欲しい。
彼らは今、「他人のものは自分のもの」という思想をもつ和人に土地を取り上げられ、辛い生活をしている。だから北海道の調査ではアイヌの人たちは和人の人より生活程度は低い。
でも彼らこそが人類でまれに見る立派な民族なのである。
おわり