狂牛病は感染するものか?

 これまでのシリーズでおおよそ、狂牛病について話を進めてきたので、ここでは食の安全として肝心なこと、つまり「狂牛病は本当に恐ろしいのか?」「狂牛病に感染することはできるのか?」という核心に迫ってみたいと思う。

 狂牛病は恐ろしいというけれど、本当に人間に感染するのだろうか?そんなに恐ろしい病気が果たして20世紀の終わりになって突如、でてくることなどあるのだろうか?

 実は、日本に住んでいて、普通に牛肉を食べていても狂牛病にかかることはない。絶対に、感染しない。その理由はいくつかあるので、順序立てて説明していくことにする。

 まず、種の壁を越えてくる病気に、狂犬病、エボラ出血熱、そしてインフルエンザなどがあるが、それらは感染力が強いが、狂牛病はそれほど強い感染力をもっていない。

 イギリスでは確実にわかっているだけでも18万頭のウシが狂牛病になり、一説では数100万頭とも言われる。そのような中で、狂牛病がウシから人間に感染することを知らずに牛肉を食べていた。だから、かなりの人が狂牛病に感染したウシの肉を食べていた野は確実である。でも、患者は最大に見積もって137人だった。

 なぜこのように感染者が少ないのか?その理由はウシからヒトへの感染力が弱いからである。簡単な計算をしてみよう。

 まず、18万頭のウシをどのくらいのイギリス人が食べたのだろう。一頭のウシの肉を500キログラム、加工の時に、捨てるところがあるので、それを半分とし、精肉を一人100グラムを食べたとする。そうすると、感染したウシを食べたイギリス人の数は4000万人ほどと計算される。イギリスの人口が5800万人だから、もし狂牛病のウシを食べればかならず感染して死ぬなら、イギリスは全滅したかもしれない。

 でも幸いなことに狂牛病の感染力は弱かった。右の計算はごく簡単な計算であるが、専門家の計算では、狂牛病のウシを食べてヒトが感染する可能性は500万分の1とされている。500分の1ではない。5、000,000分の1である。

 なぜ、こんなに感染力が弱いかと言うと、まず第一に、ウシとヒトの正常プリオンは、原料のアミノ酸がすこし違うので、人間の体のなかで異物あつかいされる。体のなかの異物はすぐ分解されたり、排泄されたりするので、ウシのプリオンが排斥される。まず、そこで感染の危険性がすくなくなる。

 第二に、「食べることで感染する」ということは、ウシの異常プリオンが、 人間の口から食道、胃、小腸をとおり、そこで吸収されて、血液の中に入り、また、延々とながい旅をして、脳まで到達しなければならない。プリオンが「無事に」この長い旅を終えて、脳に到着するのはとても大変なのである。

 そして第三に、ウシの肉のうち、感染しやすいところは、脳、脊髄、目などに限られる。日本のようにもともと脳などを食べる習慣がなければ、一口に「牛肉を食べたら危ない」といってもほとんど狂牛病に感染するようなところを口にする機会は少ない。

 また、狂牛病は感染力そのものが低いことは動物実験でもわかっている。
狂牛病のウシの脳をとりだし、マウスに注入する実験では、マウスは狂牛病に感染しない。さらに、人間の遺伝子を組み込んだトランスジェニック・マウスと呼ばれる実験用マウスをつくり、それに注入してみる。もし狂牛病がヒトにたいして感染力が強かったらこのマウスは感染するはずだが、なかなか感染しない。

 このようにウシから他の動物への感染力があまりにも弱いので、ヒトの狂牛病はウシから感染したものではない、という奇抜な説もまだ残っている。
日本で牛肉をたべて狂牛病にかかるチャンスは無いということが判ったが、次に、日常生活でおこる他の危険と比べてみる。

 身の回りにあるさまざまな危険のうち、いちばん危険なのはやはり交通事故で、日本だけで毎年毎年、8000人が犠牲になっている。事故で怪我をする人をいれると120万人という数になる。日本の人口は1億2,000万人だから、一年間に交通事故で怪我をしたり、運が悪ければ犠牲になるのは100人に1人、かなり危ない。

 毎年、100人に1人、ということは、自分も100年で一度は、交通事故にあう。そういえば・・・と思いだす人もいるだろう。

 交通事故の次に危険なのは階段から落ちるような落下事故と火事で、日本ではそれぞれ毎年2000人を超える。そして、火事の件数は6万件以上である。でも、自分の家や事務所が火事になる可能性は、交通事故を基準にすると、10分の1よりすこし小さい。1000年も生きることはできないけれど、子孫も入れると、自分の家系は1000年に一度ぐらいは火事を覚悟しなければならないことになる。

 それでは、「食」の危険はどのぐらいなのだろうか?

 日本で一年間に3万5000人が食中毒になる。火災にあう危険の半分ぐらいである。でも、日本はたいへん衛生的な先進国であり、しかも医療施設は整い、救急隊員も頑張ってくれるので、食中毒にかかって死ぬ人の数はグンと少なく、10人ていどである。

 だから、ほとんど食中毒で死ぬのとはない。交通事故が百年に一度、火事が1,000年に一度、そして食中毒で死ぬのは10万年に一度ということになって、このぐらい数字が大きくなると、感じではわからなくなる。

 このような日常的な生活の中の危険と狂牛病の危険を比較してみる。

 まず、牛肉と関係なくおこる孤立性の狂牛病は100万人に一人だから、人口が1億2,000万人の日本では120人の人が脳症にかかる。そして、自分だけを考えるとい1万年に一度ということになる。

 また、牛肉を食べて狂牛病になる場合は、大きめにみても孤立性のさらに100分の一だから、「自分が、日本でウシを食べて狂牛病になるのは100万年後」という結果になり、天文学的数字で、まったく感じがつかめない。

 限りなくゼロに近い病気であることだけはよくわかる。

 それでも狂牛病が怖い、ということになると、交通事故を心配して毎日、家の中に閉じこもっていなければいけないし、食中毒をこわがって食事もとれないということにもなる。そうすると狂牛病になる前に餓死する。

 数字ではそういうことになるが、本当は次のように考えるべきなのだろう。

 狂牛病にかかったウシの肉、つまり「カルビやロース、鉄板焼き、ステーキ、細切れ・・・」などの肉を食べても「絶対に」狂牛病にならないのである。私はウシの脳や脊髄を食べる趣味はない。だから「絶対に」狂牛病にかからない。

 これほど安全な牛肉をおそれるのはばからしい。だれが何を目的に騒いで牛丼を無くしてしまったのだ!!

 「安全第一」という言葉は正しいが、実はこのことはきわめて難しい。人間は何のために生きているのだろうか?毎日、安全を守るために家の中でじっとしていて一生を終わるのが最善だろうか?もし一生、何もないことを望むなら、生まれたときに死ぬのが一番良い。

 人間は生きて生活を楽しむために生きている。ただ息をし食事をとっているだけではない。できれば文化を楽しみ、友達と旅行をしたい。それも危険と言えば危険である。時には冒険をしてみたい。冒険というのだから多少の危険を承知の上だが、まったく冒険のない人生もまた味気ないものである。

 人生がそのようなものであることは誰もが知っている。それなのに、安全第一というとよくわからなくなって、つまらない人生へと走る。ほとんど感染の可能性がない狂牛病を怖がって、あのおいしい牛肉を食べないなどはその一例だろう。そしてそれをあおる多くの人がいるが、その人たちは人間の錯覚しやすい性質を利用して、なにか有名になろうとかお金を稼ごうとしている可能性もある。私たちの楽しい人生をそのような邪悪な人たちに渡すことはできない!!

(第五回終わり)