種の壁・・・動物の病気と人間への感染

 前回は、人間から動物に移る病気として狂犬病を勉強したが、今回はその他の有名な動物起源の病気について少し広く見てみることにする。

 まず、エボラ出血熱という病気がある。「エボラ・ウィルス」が病原体で、今から30年ほど前から急にアフリカではやりだして、スーダンでは53%、ザイールでは88%と死亡率が高く、これも危険な病気である。

 感染のルートはよくわかっていないが、感染源は哺乳動物か、あるいは昆虫からではないかとも言われ、いずれにしても他の動物から人間に感染することは確かである。

 人間は哺乳動物なので、節足動物である昆虫とはずいぶん遠い関係だ。だから、もしエボラ出血熱が昆虫からヒトに感染したとすると、高い種の壁を克服できるウィルスということになる。でも、このエボラ出血熱は、感染症としてはそれほど恐ろしくないというのが専門家の一致した意見のようである。

 そもそも「種の壁」というのは、ウィルスの形が決まっていて、ヒトならヒトの中にある特徴的なものと反応し、すこしでも違うと反応しないという性質を持つから「壁」になる。種の間に差がないところに感染したり、ウィルス自身が曖昧な形や性質をもっていて、融通がきく場合には壁を乗り越える。

 ところが、このことと全く正反対に、ウィルスのDNAはひんぱんにその形を変えるので、人間の体のなかに入ってからその姿を変えることすらある。一応の形が決まっていて宿主とする動物の種類が違えば、ウィルスも居心地が悪いが、ウィルスはある程度変幻自在なところがあり、形が変われば新しい宿主のところで居心地よく増殖する。

 抗生物質を使いすぎると耐性菌ができて抗生物質が効かなくなることはよく知られている。抗生物質は細菌の細胞膜を作るのを阻害するのだから、ウィルスとは違うが、それでもこのような小さな生物はかなり容易に形を変えることができることは判る。

 ウィルスは細菌よりさらに構造が簡単で、生物と無生物の間に分類されることもあるぐらいで、居心地が良いところが見つかるとそれに応じて体を変化することできる。それは怖いことである。

 「スペイン風邪」と呼ばれる世界的なインフルエンザもウィルスが形を変えて人間を襲ってきた一つだった。

 スペイン風邪の病原体はH1M1型とよばれるウィルスで、流行するまでには知られていない新型のウィスルだったが、ある時に種の壁を突破して人間に感染し、全世界で実に3000万人が死亡するという大流行になった。

 それは、狂牛病の第一号の女性患者がでた頃と同じころ、つまり今から80年前のことである。

 でも止めどもなく流行して、人間が全滅するまでになるかというとそんなことはない。新しいウィルスが流行すると、動物やヒトの体の中にある免疫系が発動して必死に防ぐ。新種のウィルスが一つや二つ出現したからということが原因で生物の種が絶滅していたら、一つの生物の寿命はかなり短いだろう。

 しかし生物が進化してきたのは、このような攻撃の時に、免疫系を持っている生物が優位に立つので、全体としては複雑な免疫系を持っている生物が生き残ることになる。

 免疫こそが頼りである。

 あまりにも人工的な生活環境や、バイ菌がいない世界で生活するのは危ないといわれるのは、この免疫系が生物を防御しているし、汚いものに触れていないと免疫系が発達しない。

 この問題は実に難しい問題である。清潔なところで生活する方が病気にかかる可能性は低い。しかし免疫系が発達しないので同じ数の菌に攻撃されると衛生的なところで住んでいる人の方がやられる。

 日本人が外国に行くと免疫力が弱いからすぐお腹を壊したりするが、それでも平均寿命は日本人の方が長い。一言で言えば脆いけれど一生涯、清潔なところにいれば長生きができるということになる。

 少し話がずれるが、栄えるものは必ず衰えるという栄枯盛衰は厳然たる歴史的事実であるが、清潔で長寿の民族は免疫系が発達していないので、そのうち種の壁を破ってやってきた強力なウィルスに一網打尽にやられる可能性がある。そんな時にはそれまで虐げられていた民族が復活する。

 今回、動物から人間に感染する種主の病気を少し勉強した。このことで一部を理解することができるが、我々の頭の中の情報は世界的にはかなり制限されていて、まず、1)先進国の情報がほとんどである。だから私たちには「世界」は見えない 2)力があり、お金がある人の情報がほとんどである。従って私たちは先進国の中でも富裕層の情報しか見えない 3)私たちは「現在」を中心として世界を見る。しかし世界は昔からの関係の上に立っている。特に私たちの体の免疫系などは歴史的な環境を度外視して論じることはできない。

 狂牛病が騒がれたのはイギリス人だからである。マダカスカル人から私たちはあまり注目しない。マダカスカルの人の価値はイギリス人の数分の1と思っているのかも知れない。私たちの頭は使い分けが上手なので、時には「人類はみな平等」と言ってみたり、ある時には「多くの黒人が殺されたのに、ほとんどニュースにならず、数人のアメリカ人が死ぬと大騒ぎ」ということに乗ってしまったりする。

 私はそういうのがあまり好きではない。使い分けをして巧みに生きてもあまり意味がないように感じられる。

 今回のテーマのもう一つが「免疫系」である。人間はワクチンを発明し、さまざまな医療を生み出してきたからこそ、現在の長寿がある。だからワクチンや医療を避難することはできない。

 でもそれは大きな人類の危機に向かっている一つの作業かも知れないのである。人間や生物には自己を守る免疫系や防御系が備わっている。それが発動する限りにおいて生きるというのが生物の原則である。

 従って、人間がワクチンを発明し医療を行うこと自体が人間という種の滅亡を早めている可能性があると考えられる。しかし人間は長期的な視野にたって現在を考えることはできない。スペイン風邪についての優れたワクチンを発明した人には大変な名誉が与えられるだろう。

 その名誉とは「ここ数100年の人類を救い、人類の生存を1万年縮める」という物かも知れないが、人間にはそれが判らない。人間が判るのは一つの尺度であり、一つの因果関係だけだからである。

 私は動物から人間に感染する病気を防ぐ第一の手段は、ある程度の犠牲者を出しても仕方がないから、あまり敵を撲滅しようとしなことで、狂牛病の発生を抑えることはしても、あまり狂牛病を全滅させようとしないことだと思う。

 そのような多少、不潔な環境の中で人間という種が長く楽しく生きることの方が大切なのだろう。

(第四回おわり)