種の壁・・・狂犬病

 このシリーズも3回目になった。このシリーズはやがて本にしたいと思う。でも本ではページ数に制限があるし、第一、禁止語やなにやらと制限が多いので、より自由なインターネットで書きたいと思う。今回は狂牛病の第三回で、さらに少し視野を広げてみたいと思う。

 狂牛病はややこしい名前がついている。クロイツフェルド・ヤコブ病、新型クロイツフェルト・ヤコブ病、BSE、さらにCJDと呼ぶ。ここではいつも狂牛病と呼んでいる。

 でも、「狂牛病」というよび名は露骨すぎて適当ではない、差別につながるという理由から、最近ではあまり使われなくなった。でもここで狂牛病としているのは、それなりの理由がある。

 まず、「狂犬病」という類似の病気がある。この病気は昔から知られているもので、狂犬病のイヌにかまれるとただちに人間に感染し、発病すると治療の方法もなく、症状はとても悲惨で、神経がやられてほぼ100%死亡する。この病原菌は鉄砲の弾の形をした小さめのウィルスで病名のままに「狂犬病ウィルス」と呼ばれる。

 狂犬病も、潜伏期間は長く、発症するとすぐ重い症状になる。まず、物事にひどく過敏になり、さらに進むと狂騒状態となってところかまわず噛みつくようになり、最後は全身麻痺で死亡する。

 狂犬病という名前は、この病気にかかったイヌは落ちつかず、ところかまわず噛むことでついた。また、狂犬病にかかったイヌは水を怖がるので「狂水病」とも呼ばれる。

 「狂犬病」の病原体はウィルスで、「狂牛病」のばあいはタンパク質だから病原菌は違うが、
1) 種の壁を超えて感染する
2) 潜伏期間が長い
3) 最後は中枢神経をおかされる
4) 名前が似ている(症状に類似点があることを示している)
5) 何となく恐ろしい
ことなど、とても良く似ている。

 また「種の壁をこえる」ということはこのシリーズの第二回に整理したが、病気としては狂牛病より、狂犬病のウィルスの方が豪快である。狂牛病では、ヒツジとウシ、ウシと人間のように近い動物のあいだで感染するが、狂犬病では全ての哺乳動物に感染する。

 北米ではアライグマ、スカンク、キツネ、コウモリで、ヨーロッパはアカギツネからヒトにうつり、そして発展途上国ではイヌやコウモリがおもな感染源である。狂犬病の数も中途半端なものではなく、全世界で一年に20万匹の哺乳動物狂犬病になり、5万人のヒトが感染して死んでいる。そのうち、6割にあたる3万人がインドで感染して死亡すると言われている。

 ウシを食べて狂牛病になった人の数が、これまでぜんぶ合計しても130人に過ぎないのに、動物から感染した狂犬病が、一年で5万人だから、桁違いであり、数のうえでは狂犬病が圧倒的に多いことがわかる。

 日本では、ちょうど狂牛病の最初の患者が発見された80年前には一年に3500人の人が狂牛病の犠牲になっていた。現在では、狂牛病の患者が一人でるかでないかということで日本中が恐れおののいているのと比較すると、おかしな気がするが、それが事実である。

 それだけ社会は安全に敏感になっているといえるだろう。80年前というと日本人の平均寿命はまだ40歳を少し超えた程度で、子どもは時々、チフスにかかって死に、若者は結核の犠牲になっていた。

 そのような状態の中では狂犬病で一年に3500人の人が死んでもそれほど恐ろしさは無かったのだが、寿命が80歳を超えるようになると一人の犠牲者もでなくても恐怖におびえるのである。

 このような社会現象は戦争中と戦争が終わった直後の人間の心理状態が比較される。戦争中はあれほど爆弾が炸裂し、それに慣れているのに、戦争が終わった直後、不発弾が一つ発見されると、恐れおののく。それが人間心理というものである。

 それはともかくとして、日本では、イヌにワクチンの接種が義務づけられたので、それを機に狂犬病は急に減って、今から50年ほど前に、狂犬病にかかった最後の6頭が死に、それを最後に日本では狂犬病のイヌはいなくなった。

 さすが日本。潔癖症で、行動をおこせば万全である。3500人の人が犠牲になっていたこの病気も30年ほどで根絶した。また、「狂犬と戦うジェンナー」という銅像があるように医学的には、狂犬病予防のワクチンをつくったジェンナーがこの病気で神様のような存在である。

 このように「狂牛病」と名前も症状も似ている「狂犬病」のほうが、狂牛病よりずっと怖いけれど、古くから「なじんでいる」ので、それほど騒がれることもない。今でも全世界で5万人も死んでいるのだから、大騒ぎしてもおかしくはないが、社会はほとんど関心を示さない。

 実際に「危険だ」ということと、社会が危険とすることは違う。

 そして、かつて猛威を振るい、今でも危険な病気なのに、「狂犬病」という名前はとくに問題にはならなかった。「狂犬病」という名前も直接的な表現で、恐ろしいが、正面から戦い、そして退治しなければならないものは判りやすい名前をつけておいた方がよい。みんなも判りやすい。

 現代は言葉の使い方が繊細である。刺激的な言葉はできるだけ避けたいという気分が感じられる。たしかにそのほうがよいことも多い。そして「狂牛病」という名前も誤解を招きやすいし、医学的にも厳密とは言えない。

 でも、大切なことはこの病気を根絶することであり、わかりにくい言葉をつかうより簡単で判りやすく、そして名前を変えない方が良いと私は思っている。もしこの病気に狂牛病という名がついているからと言って、それで社会が不幸にも病気になった人を差別するようなことがあるなら病名を変えるのではなく、社会を変えた方がよい。

 差別する社会は名前を変えても差別するからである。差別はさらに陰湿になる場合すらある。

 また、狂犬病の経験によって、「種の壁」というのがそれほど高くはなく、なんなくその壁を乗り越える病原体は多いということをすでに知っている。

 実は、動物から人間に移る病気は知られているだけで200種類ぐらいあり、その中でも最近、有名なものとしてはエボラ出血熱、エイズなどがある。

(その3の終わり)