この世には「希望が叶う魔法の杖」があります。
誰しもが人生に希望を持っています。体が丈夫で何不自由なく生活をしているように見えても、さらにお金が欲しい場合もありますし、恋人がいないと密かに悩む場合もあります。そんな「わがままで贅沢な願い」も悪くはありません。
一方では、病気がちでなんとかそれを治したいと思っているとか、ご家族で苦しんでいる方がおられるとか、愛する人を失った方など、さまざまな人が明日に向かって希望を持っています。
悩みもいろいろなら、希望もさまざまです。そして誰もが希望を叶えられたらと願います。私はある時まで、多くの人は「希望が叶う魔法の杖」のありかを知っていると思っていました。でもそれを使わないのは何か別の理由があると考えていたのです。
でも、その杖のことを学校でも職場でも教えてくれないので、多くの人は知らないまま人生を送るようです。そこで書くことにしました。
願いごとがある場合、第一段階は次のようにします。
1) 願いごとを叶えたいと思うこと。
2) 願いごとは叶うと信じること。
そんなの当たり前じゃないか!願いごとだから、本人が希望している。だから叶えたいと思うるのは当たり前だ!とお叱りを受けますが、普通は違います。多くの人は心配性なので、願いごとが実現しないのではないかと心配し、その結果、叶えたいと思うのが恐ろしいのです。
つまり、願いごとは叶えたいのですが、そう思うと叶えられない時にガックリ来るのが心配で、願いごとを叶えたいと思えなくなってくるのです。つまり上の1)と2)は連動していて、願いごとが叶うと信じられれば、願いごとを叶えたいと思うことができるという面があります。
私はこの話をする時に、こう言います。
「願いごとは叶うと思ってください。叶うかどうかは別にして。」
多くの願いごとは自分一人ではできないことが多いものです。高校野球で優勝したいとか、あの大学に入りたいとか、あの人と結婚したい・・・どれもこれも相手次第で自分では決められないことです。たとえば高校生なら「成績が良くなりたい」というようなことですが、採点は先生がするのですから、自分ではどうにもなりません。
つまり願いごとが叶うかどうかは判らず、「あなた任せ」であり、私の言葉で言えば「向こうから来るもの」なのです。「向こうから来るもの」は自分の自由にはなりません。だからこれでは「魔法の杖」にはならないのです。
では、願いを叶えたいと思い、願いが叶うと信じて数年を経ると、
3) 向こうから来るものは拒まない
という杖が与えられます。
すでに多くの人がその瞬間を体験し、そしてテレビなどで見ています。たとえば、高校野球の選手にアナウンサーがインタビューをします。
アナウンサー 「明日の試合は勝ちたいですか?」
高校の選手 「自分たちの野球をやりたいです!」
インタビューはすれ違っていますが、それはすでに高校生に3)が与えられていることを示しています。高校生は願いを叶えたいと思い、願いが叶うと信じて練習をしてきましたから、向こうから来るものを拒まないという勇気が生まれてきたのです。それは、1)と2)を体験してきた人の特権で、3)の魔法の杖は1)と2)を実行してきた人に与えられます。
私は小さい頃から体が弱く、いろいろなことがありました。高等学校1年生の時には病弱で、4月から7月までの第一学期に一週間しか登校できませんでした。その中でも夜中の咳には苦しんだものです。夜になると苦しみ、そして寝ることが出来ませんでした。
でも私は、自分は健康な体になりたいと願っていました。そして必ずそのうち健康になると信じていました。たとえば「厄年」というのがあるから、その年になったらきっと体質が変わって元気になるのではないかと思ったり、会社に入ってからは、職場が変われば環境が変わって元気になるのではないかと、そんな風に思っていました。
それでも体が弱いというのは本質的なことで、そうそうガラリと体質が変わる訳でもありません。でも、ずっとそう願い、信じていたら、3)が与えられました。「元気になる時には元気になるだろう。それは自分が決めることではないから」ということでした。私はそれから少し元気になりました。
願いを叶えたいと思い、願いが叶うと信じ、そうしているうちに、向こうから来るものと自分が求めるものの差が見えてきます。そうすると最後の魔法の杖が与えられます。
4) 願いとは自分ができること。
5) 願いとは将来ではなく今日のこと。
自分の願いを信じていない人は、願いが相手との関係で決まると錯覚しています。でも願いを最後まで信じていると、願いとは自分のことなのだ、自分ができることが願いなのだということが判ってきます。
そして、さらに「こうなりたい」と思う願いは将来の事ではなく、今日のことだと言うことも判るのです。願いが将来のことではなく、今日のことだと判った時には驚天動地、そうかっ!と私はビックリしました。
願いは自分のことであり、それが実現するのは将来ではなく、今日一日の自分の行動なのですから、その瞬間、私の願いは実現しました。弱かった私の体も丈夫になり、なんとなく調子の悪かった人生も幸福になりました。
でも、すでにこのことは昔の人が簡潔に表現しています。それが「人事を尽くして天命を待つ」という諺ですが、このあまりにも短い言葉では複雑で悩ましい願いを持つ多くの人の助けになりません。
もう一つ、少し堅いものも紹介しておきます。
「事の成る成らぬは天に任し、自分はひとえにその日その日の務めを全うすれば足る。」(新渡戸稲造)
私は5つの杖を順番に貰っていくことが、願いを叶えることができる唯一の方法と信じています。
おわり