少しぐらい良いことは無いのか! 

 前回、古生代からの地球の気温をグラフに示した。それによると地球が長い間、寒くなった時期は三回あった。

 第一回がカンブリア紀の前で、今から6億年ほど前、これを第0氷河時代と呼ぶことにしよう。第二回が今から3億年前である。普通には第一氷河時代と呼んでいる。そして現在は第三回目の地球寒冷時代(第二氷河時代)である。

 「えっ!氷河時代っ!地球は温暖化しているんじゃないの?」と言いたくなるだろう。それは「地球」のことを言っているのではなく「自分の生きている間としては暑くなってきた」ということである。現在の地球が生物にとってとても寒い時期であるだろうということは容易に想像がつく。

 ある時、東京から名古屋にとても偉い先生がお越しになり、名古屋の立派なホテルで大きな講演会が行われた。そこで、その偉い先生が「地球温暖化がどのぐらい恐ろしいことか」という講演をされた。1時間ほどの講演が終わって私は次のような質問をした。

わたし 「現在の北半球の気温は平均15.5℃と言われていますが、先生は何℃ぐらいが適当と思われますか?」
先生  「???」

 温暖化が危機であるということは、気温が問題なのだから、もともと我々は何℃ぐらいの地球が良いかをまずは考えておかなければならない。でもこの偉い先生はそこまでは考えていなかったらしい。単に政府が「温暖化は悪い」というからそれを繰り返しているだけである。そこで私がもう一つ質問をした。

わたし 「今まで、地球の気温は短期的には10℃ぐらい変化し、長期的には20℃ぐらい変動していますが、もしこの先、地球の気温が自然に変化したら、一定の気温に保つようにする方が良いと思われますか?それとも人為的な原因の場合だけが問題と思われるのですか?」
先生  「???」

 人為的に気温を左右するのはあまり感心したものではないが、太陽の活動や地軸の向きなどで気温が上下するのは構わないという理屈があるらしい。確かにそのような感じもするが、あまり論理的ではない。

 つまり、地球が温暖化すること自体は問題が無いが、それが「人為的」だから悪いのだという事になると、温暖化自体で被害があるのかないのかという問題をまず考えなければならない。もし気温が高くなると被害が拡大するというなら、それが自然の動きであろうと、人為的であろうと同じである。対策が必要だ。

 もし、被害が無くても人為的に自然を変えるのが良くないということになると、話は別になる。現在の人間の文明は、海岸や川に岸壁を作り、都市はコンクリートで覆われている。近代文化が誕生する前から見ると全く違う自然になっている。下の写真は江戸末期の神奈川県戸塚付近の情景と、平成の始めに新宿から秩父を見た渡部さんが撮影した写真である。

 

 写真を見比べれば一目瞭然だが、自然を改変するのが悪いのなら、気温などを持ち出さなくてもすでに人間は十分に自然を変えている。動物や植物たちにしてみれば「温暖化ぐらいで何を騒いでいるのだろう?」と思うだろう。あまりに自分勝手で恥ずかしい。

 また、温暖化自体による被害があるのかというとそれは「地球の場所によって違う」ということになるだろう。まず地球のどの当たりの気候が一番、住みやすいかで決めなければならない。現在のところ、赤道直下が一番、人口密度が高いのだから、人口密度の高い地域を大陸へ移動させるには、温度が少し高くなって中生代ぐらいになった方が良いかも知れない。そうすると温暖化は「善」である。

 一般的には、人間や生物にとって暖かくなるということは良いことである。作物は多く採れるようになるし、北海道などの寒冷地では栽培できる作物が増えて嬉しい。

 それに、冬は体の弱い人にとっては強敵である。どんなに暑くても暑い方はなんとかなるが、寒いと病気がちな人は辛い。事実、下のグラフは平均の気温に対して、虚血性心疾患、つまり狭心症や心筋梗塞などだが、気温が高い方がずっと死亡率が低い。

 なぜ、温暖化は「悪」なのか?

 良いことが多い地球温暖化だが、誰が「温暖化が悪だ」と言ったのだろう。

 私の経験では、第一に女子高校生である。

 それは「ツバル」があるからだ。気温が上がり、海水面が高くなってツバルという国が沈むという。「可愛そうだ」と女子高校生が集まって「ツバルを救え!」という運動が行われている。

 悪くはないが、気温が上がって喜んでいるところはどうなるのだろうか?「君たちは好きでそんなに寒いところに住んでいるのだから、寒いままで良いでしょう」と言うのだろうか?それならツバルも「君たちは好きでそんなにすぐ沈むところに住んでいるのだから、沈んでも良いでしょう」という事になる。

 「私の親戚が困る。だから困るんだ」「私のたまたまの知り合いが苦しんでいる。だから地球全体が困っても、私の知り合いが大切だ」と言うのと似ている。私はそんな運動にはあまり熱が入らない。

 第二に環境省である。

 環境省は地球温暖化に対して疑問が多いのに手を焼いて、ついに次のようなコメントを出した。

 「温暖化を疑問視する主張は誤解に基づくものが多く、見過ごせない」(2006年8月26日読売新聞)
という見解を出した。その上で、
 「CO2削減が待ったなしで求められる中、温暖化への疑問に丁寧に答えていきたい」(環境省研究調査室)
と温暖化が悪いということを前提で国民の説得にかかろうとしている。

 実は、地球温暖化に異論を唱えている人を私も知っているが、みんな真面目でしっかりした人だ。むしろ環境を大切にと考えているからこそ、政府の発表だけを参考にせず、自分で考えている人たちである。

 環境省が「CO2削減が待ったなしで求められる」と言っているのは、1990年に日本が排出していた二酸化炭素の量を2010年までに6%削減することを京都会議で約束した、そのことを言っている。このまま行くと2010年には1990年に対して20%ほど二酸化炭素の排出量が多くなる。だから「待ったなし」と言うのである。

 しかし一方、政府は「景気を良くしよう」「技術立国日本」と言っている。そうなると企業の活動の源泉になるエネルギーが減るはずも無い。国民も少しずつ贅沢になってエアコンを付けるようになった。

 国土交通省が管理していると思われる鉄道でも、駅にはエレベーターやエスカレーターが完備し、電車はここ数年で、ほとんどエアコン付きになった。これで二酸化炭素が減るはずもない。第一、政府は自分たちで自己矛盾した行動を取り、それに異議を挟む国民を攻撃しようとしているのである。

 第三は環境学者や関係の国立研究所である。

 先日、あるマスコミから「なんで意味もないリサイクルに対して、法律を作る時に専門家が反対しなかったのですか?」と質問された。私は次のように答えた。

 「それは、こんな順序だったのですよ。
1) ゴミが増えて減らさなければならないということになった。
2) ゴミを減らすにはリサイクルすればよいのではないかという事になった。
3) リサイクルの研究費が膨大に出た。
4) それを貰って研究した専門家は、研究費を貰っているのにリサイクルができないと言うと研究が失敗したことになるので、あたかもリサイクルは効果があるとか、特殊な場合に限定すれば効果があるだけなのに、それを全体的に効果があるように報告した。
5) リサイクルの可否を議論する時に集まったのはリサイクルを研究する専門家だった。
6) 必然的に誰も反対が出来なかった。」

 社会が複雑になると、やることなすことややこしくなる。新しいことをするのだから研究はしなければならない。それで出来ないと判っても「それなら、そんなところになぜお金を使ったのか!血税だ」と文句を言われる。かといって研究をしなければ判らない。こんな単純なことも上手くいかないのが近代国家というものである。

 これと同じように地球温暖化でも膨大なお金が出た。「地球温暖化対策研究費」をいただいた専門家はまさか「地球温暖化は問題ありません」と言えるはずもない。かくして一度、錯覚して決めた道はそのまま破綻するまで歩いて行かなければならないのだ。

 そして第四はヨーロッパの諸国である。

 ヨーロッパは地球温暖化問題を通じて世界の政治の指導権(ヘゲモニー)を握り、それをテコにしてユーロという通過をドルに代わって基軸通貨にしようと考えていると推定される。ある時、ロシアのプーチン大統領が京都議定書に署名(批准)した。これについての報道は日本とアメリカで180度違ったのである。

 日本は「プーチン大統領は環境を大切にする良心的な大統領だ」と評価した。アメリカのワシントンポストは同日、「プーチンは日本から排出権取引でロシアにお金を持ってこようと判断した」と書いた。私は後者が正確だと思う。ロシアの大統領が自らの国に損になることなどするはずもないし、環境に目覚めて行動することも考えられない。

 京都議定書については機会を見て詳しく説明したいが、京都議定書が締結された1990年という時期は、ソビエトが崩壊し、ベルリンの壁が壊され、そしてイギリスが石炭から天然ガスへエネルギーの転換を行う寸前だった。ヨーロッパ諸国はそれぞれのお国の事情で「今の時期に二酸化炭素削減を持ち指すのがもっとも有利」と判断して京都会議を開いたのである。

 当時、すでに日本はギリギリまでエネルギー源単位を下げていたから、これ以上下げることはできなかった。そこにヨーロッパ勢が15%削減を持ち出した。日本は押し切られて6%削減案を飲み、まったくj実施できない状態に追い込まれている。

 2007年の4月、IPCC(地球温暖化に関する国際間の検討組織)は第四次報告を出した。日本の新聞はまた、正確に事実を国民に伝えず「危機」だけをあおっているが、たとえば海水面の上昇の予想は、第三次報告が90センチぐらいだったのに対して、第四次では60センチぐらいに低下している。

 国際舞台の議論は政治が主力になるから科学的にはそれほど正確ではない。だから日本国民の環境のためには日本国がしっかりしなければならないが、日本では専門家が「北極の氷が溶けたら海水面があがる」などと言っているのだから、まったく困った物である。

つづく