地球というもの 滅びまた誕生する

 先回は100年、2000年、8000年、そして16万年という時間で地球の気温を見てみた。今回はさらに少し長く時間をとって、一気に地質時代までさかのぼってみよう。

 そうは言っても、生物が誕生したのは37億年前だから少し遠すぎる。そこで、生物が爆発的に増えたカンブリア紀(古生代)からの推定されている気温を下のグラフに示した。増田先生の著述物のものと記憶している。

 生物が爆発的に増えた6億年前は、大陸氷河が溶け始め、生物が地上で生活ができるようになった時だった。この大陸氷河時代を第ゼロ氷河時代と呼んでも良いだろう。すでに成層圏にはオゾン層ができ、空気中の酸素濃度も高くなっていたので、後は気温が高くなればそれで生物が繁殖する条件は整っていた。

 カンブリア紀に爆発的に生物が増えた時、どのぐらいの気温だったのだろうか?グラフは酸素の同位体を測定しているが、恐竜が活躍した白亜紀が今より15度ほど高かったとされているので、それを単純に比例すると25度ぐらいは高い気温だったのかも知れない。

 今でも夏場の暑い時には細菌や虫が繁殖する。また、現在の地球を見ても人間でも、動物、植物のすべてが赤道直下の方が温帯地方より繁殖している。人口密度もインドネシア、インド、アフリカなどは高いし、動物も圧倒的に熱帯地方の方が多い。ともかく植物が育たないことには動物は生きていけないし、アマゾンを見ても熱帯雨林が多くの植物には良い環境だ。

  カンブリア紀の頃、今の温帯か亜寒帯のところが熱帯か亜熱帯という気候だったのだろう。多くの生物は地上のどこでも凍え死ぬことなく快適に過ごせたと考えられる。それが「古生代」の始まりになった。それから2億5千万年ほど暖かい気候が続き、生物は大いに繁栄したが、ついに第一回の氷河時代が来た。それが古生代の終わりを告げる大絶滅となり、時代は変わる。

 古生代の終わりの大絶滅では生物の95%の種が絶滅したという。すごい気候変動であり、そこですべてはリセットされて新しい生物が誕生して中生代が切りひらかれた。中生代が始まったのは気温の急上昇であることは間違いない。地球上に氷河が覆っているのでは生物は繁殖できないからである。

 そのころの気温は今より15℃も高かったと推定される。そこに恐竜が出現する。恐竜というのはあれほど大きな体をして地球を支配しながら2億年も生きた。生物でも人間でもあまり繁栄すると長くはない。太く短くか、細く長くしか生物は生きることができないようである。恐竜は変温動物だったと言われる。諸説があるが、おそらくそれほど体温を一定に保つ機構は発達していなかったので、気温が低くなると動きが鈍くなったと考えられる。

 それでも恐竜は特別に優れていたのだろう。太く長く生存した。やがて恐竜も滅びることになるのだが、今度はどうも寒くなって滅びたのでは無いらしい。突然、空から巨大隕石が降ってきてそれで滅びた。「巨大」と言っても直径13キロメートルの隕石がメキシコ沖に落ちたと推定されている。

 地球の直径が13000キロメートルだから、ちょうど1300分の1である。巨大というより「普通の隕石」と言った方が良い。だから地球はびくともしないのだが、あの巨大な恐竜は全部、死んでしまう。地球と生物とはそれほど違うのだ。間違っても小さな気候変動を見て、「地球に優しい行動をとろう」等と傲慢なことを言ってはいけない。

 学生がこれを聞いて、
 「先生、そんなこと言ったって、われわれの時代に隕石なんか関係ないですよ」
と言うけれど、それがそうでもないのである。

 今から約100年前の1908年、シベリアのツングースカに隕石が落下した。幸い、大きさがそれほど大きくなかったことと、陸上に落下したこと、さらにシベリアというほとんど人の住んでいないところだったこと、という3つの幸運が重なって大事には至らなかった。

 でも半径20キロメートル以内の木は全滅していたので、「もし、この隕石が東京の新宿に落ちていてたら・・・」と考えると、東は上野から三鷹まで、北は赤羽から川崎までほぼ全滅だ。一説によると爆発力は15ギガトンと言われるが、少し大きめの計算かも知れない。

 もっと最近では1975年にアメリカの上空をかなり大きな隕石が通過したが、これはニアミスで遙か上空をかすめて宇宙へ飛んでいってくれた。私はある時にこの隕石がアメリカ上空を飛んでいるビデオを見せてもらったことがあり、背筋がぞっとした物である。自分は気候温暖な日本に住んでいるので、よもや宇宙から人間にとっては巨大な隕石が落ちてくるなど考えもしないが、自然というものはそれほどダイナミックで無情なものである。

 我々が生きている時間の間に、劇的な衝突があったのは地球ではなく、木星。それは1994年7月のことである。シューメーカー-レヴィ第9と名付けられたこの彗星は木星に向かって突進し、衝突した。かなり大きな隕石だったので、軌道も計算でき、衝突の時間も判っていた。世界の宇宙科学者の見守る中、木星に衝突した。その連続写真が下である。

 衝撃は、あの巨大な木星のかなりの部分におよび、それが地球からも見えたのである。木星の直径が14万キロ、それに対して地球が1万キロちょっとだから10倍以上だ。地球から見える木星の衝突の衝撃の大きさはちょうど、地球全体ぐらいだったのだからすごい。この彗星が木星に衝突してくれて、地球に来なかったのが幸いだった。

 話が少し脱線してしまったが、ともかく隕石はときどき降ってくる。地球の周りを回っている月は空気が無いから隕石が小さくならずに直接、月に衝突する。だから月の表面には隕石の衝突の後がクレーターになって無数にある。月の表面の写真を見ると隕石というものがいかに多いかがよくわかる。最近の研究では比較的大きな隕石が2600万年ごとに落ちてくるらしく、それもあって生物の絶滅が周期的に起こるということも言われる。

 3億年ごとにやってくる地球寒冷化、そして2600万年ごとに落ちてくる巨大隕石、それは古い生物にとっての最後の時を意味し、それまで抑圧されていた新しい生物には夜明けを与える。

 ・・・かくして恐竜は滅びた。そしてその後に我々の祖先である哺乳動物が出現するのだが、私は隕石が降ってこなくても早晩、恐竜は滅びただろうと思っている。
 
 「生物はもともと絶滅する」という原理原則がある。

 恐竜は動物の中では2億年近くも生き続けたという点では大変に長寿の種で、その点からなかなか優れた体と習慣を持っていたのだろうと思う。そんな恐竜でも生存競争に勝つためには何かを「改善」していかなければならない。手っ取り早い改善は「体を大きくすること」だ。


 この絵は中生代の最初に登場した小さな恐竜から、絶滅寸前の巨大恐竜までの体の大きさを忠実に再現している。時代と共に体は少しずつ大きくなっていっているのがよくわかる。体が大きくなれば、他の動物と戦う時に断然、有利である。だから恐竜が生き延びるためには、体は徐々に大きくならざるを得ない。

 でも、体が大きくなるのは良いことだけではない。それだけ食べるものが多くなる。四六時中、食べていなければならないし、大きな体の隅々にまで栄養を行き渡らせようとすると強力な心臓から高い圧力で血液を送らなければならず、そうするとその高い圧力に耐えられるような強固な血管壁がいる。コレステロールなどがたまって動脈が硬化してしまえばひとたまりもない。

 かといって、血の流れを緩くすると体の隅の防御システムが崩れてたちまち細菌が繁殖し、組織は壊死する。体の大きい恐竜はそれなりに辛い思いをしていたのである。

 この世に「よかれ」と思うことで本当に「良い」というものは無いように思える。1時間だけ良いことは1年後には悪くなるし、1年だけ良いものは一生を考えると害になる。また一人の人の人生にとって良いことはその民族を滅ぼすことになり、そしてそれが最終的には種を絶滅させる。

 人も動物も、また自然すらも「今を良くすること」「持続性をもたせること」の二つを同時に満足させることは不可能である。だから、自分の人生観に沿ってどちらかを選択する。「今が良ければよい」と考えれば持続性を放棄せざるを得ないのである。「持続的発展」は今までの地上にはなかった。それは願望であって、事実ではない。

 恐竜は戦いに勝つために体を大きくする。それによって地上を支配した。でもそれは恐竜という種の寿命を短くし、ちょっとした気象の変化にも耐えられなくなっていくのである。

 もう一つはさらに深遠な内容を含んでいる。

 この世で「同じ事が続く」ということは無い。宇宙は150億年前に誕生して、150億年後に消滅する。太陽系は50億年前に誕生して80億年後に大爆発して終わる。川は小さなせせらぎから始まり、やがて壮年期には大河になるが、川が流れるということは砂を運ぶということであり、砂を運べば川はなだらかになり、やがて老年期を経て死ぬ。生命を持たないと思われる川ですら誕生し、成長し、繁栄し、老化し、そして死ぬのである。

 砂を運ばない川が無いように、すべてのことはその活動の中に死を含んでいる。「同じ事」は続かず、永遠の繁栄、永遠の幸福はない。繁栄も幸福も瞬間的にしか与えられない。

 それが、種が絶滅する本当の理由である。そして今、人間が地球温暖化をおそれる理由もそこにある。我々の文明はあの絶滅寸前の恐竜のように巨大になり、愛知県では一人あたりに使うエネルギーは、愛知県の自然から得られるエネルギーの実に2200倍にもなっている。これを「巨大人間」といわずしてなんと表現すれば良いのだろうか?

 私は「北極の氷が溶けて海水面があがるから地球温暖化は怖い」というような子供じみたウソを言わなくても、地球温暖化の怖さは十分にわかる。自分の背丈がもう他の自然とは調和できないほど大きくなっていることを感じるからである。

つづく