ペットボトルのリサイクルは何を教えているか?

 

 ペットボトルのリサイクルは何を私たちに教えているでしょうか?このシリーズの最終回に当たって、少し違った視点から考えてみたいと思います。

 

 私たちは石油からペットボトルを作り出し、それがとても便利なものであることを知りました。特に油とかお醤油の容器としては抜群でしょう。落としても割れないし、軽く衛生的です。

 

それに「使い捨て」はあまり好ましくはありませんが、そうはいっても重たいお醤油や油の瓶をわざわざ買い物のたびに持って帰ったり、持って行ったりするのは大変です。

 

あまり便利なのでお茶、そして水までペットボトルになりました。もし、ペットボトルを油とかお醤油のように本当に便利でそれほど毎日、使い捨てしなくても良いものだけにしていたら、今頃、ペットボトルのリサイクル騒動も無かったでしょう。

 

「過ぎたるは及ばざるが如し」の典型的な例です。お茶や水までペットボトルで飲もうとするからリサイクルということになったのです。もちろんリサイクルは新しく石油から作る場合より3倍以上の石油を使いますし、これほど国民が一体となってリサイクルしても、公的発表ですら25%しかリサイクルできません。

 

もし、お茶や水などだけでも我慢したら、もし、お茶や水をペットボトルのものを使ってもそれを10回繰り返し使えば、リサイクルよりずっとずっと資源の節約になります。

 

でも、こんなことを言わなくてもならないのでしょうか?誰もが気がついていることと思います。ご飯を食べるごとにお茶碗を割ってリサイクルに回すことができるでしょうか?自分で洗って繰り返し使う方がどんなに良いことか、それはみんなが知っていることと思います。

 

私は「愛用品の五原則」という文章を書いていますが、愛用品を使うということは資源を節約し、ゴミを減らすこともできますが、それ以上に人の心を人間らしくすることにも役に立ちます。

 

身の回りのものをすべて使い捨てにするより、使えるだけは使って、いよいよ使えなくなったら「すまない」と言ってすれることだけでもすれば、ゴミ問題、資源問題の多くは解決します。

 

私が「ペットボトルのリサイクルは良くない」と言いますと、「リサイクル率はどうなのだ」「貧乏な中国人が使うから良いじゃないか」というお叱りを受けます。でもその方と真正面から向き合い、膝をつき合わせて現状を整理し、物を大切にする日本の文化を守るためには繰り返し使った方が良いか、使い捨てしてリサイクルした方が良いかとお聞きすれば、私は10人が10人、繰り返し使うことが良いと言われると思うのです。

 

ペットボトルは優れた製品ですから、10回ぐらいは余裕を持って使うことができます。そうすれば単純な計算では今の50万トンが5万トンになります。リサイクルよりずっとずっと良い方法であることは言うまでもありません。

 

私は男性で歳もとっていますから必ずしも女性の方のようにマメではありませんが、それでも出張に行く朝にはお茶を少しよけいに作ってペットボトルに詰めて行きます。買わなくて良いだけ面倒ではないとも感じます。

 

また名古屋は水道の水がおいしく飲めます。木曽川があるからと言われる人もみえますが、ともかくおいしいのです。だから水が良いときには水道水を詰めます。ヨーロッパから運ばれてくる変な水より日本の水の方が私の体質に合っている気もします。

 

ペットボトルのリサイクルでもう一つイヤなことがあります。それはリサイクルは資源をよけいに使うのだから「悪いこと」なのに、人に強制することです。本当に社会のためになること、可哀想な人を助けることができることなら、多少、自分主義主張に反してもやりたいと思います。でもペットボトルのリサイクルのように社会に害毒を流すことを知りながら強制的にさせられるほど苦痛なことはありません。

 

資源の浪費、ゴミの増大、特定の人の儲け、そして天下り・・・そんなことになぜみんなが協力しなければならないのか?私は疑問です。

 

それは紙のリサイクルですらそうです。紙のリサイクルと資源やゴミのことは私の本に書いてありますが、生活者でもわかる紙のリサイクルの奇妙さを一つ指摘したいと思います。

 

公的機関が関与する前、紙のリサイクルは「ちり紙交換」の人が担当していました。その頃は市民が紙を持って行くのではなく、ちり紙交換のトラックが家まで来てくれました。そして古紙とちり紙を交換してくれました。

 

リサイクルが法律で定められボランティアや自治体が手を出すようになると、古紙は決まった日に決まった場所に持って行かなければならなくなり、ちり紙はくれなくなり、おまけに税金も増えているのです。

 

我々が労力やお金を払うということは誰かがそれを手にしているのです。簡単なことですから、今の紙のリサイクルを止め、昔のようにちり紙交換屋さんを応援したいと思います。

 

でも、リサイクルの問題はもっと根が深いと感じています。

 

私たちは20世紀の科学の発展に乗って大量に物を消費しながら生活をするようになりました。少しでも便利にということの象徴がペットボトルのお茶だと思います。「いつでもどこでもお茶が飲めないと気が済まない」という気持ちは私たちから我慢の心を奪い、わがままになり、そして人生や友人を失っていきます。

 

私たちはあの狂乱の高度成長、バブルから立ち直り、やっと周囲が見えてきたような気がします。これだけ物を使い、我が儘を言えば地球の気候がおかしくなっても、資源が無くなっても不思議ではありません。

 

これまでペットボトルのリサイクルをしていた方は今更、変えるのも辛いとは思いますが、「物は大切に使おう、使い捨ての生活にさらば」と切り替えることができればそれですむことです。

 

そして産業界の方も、みんながペットボトルを大切に使うようになると、「50万トンの生産量が5万トンになる」と怯えるのではなく、自分たちが作った物が大切に使われることを誇りに思ってもらいたいのです。

 

この特設スタジオでは次に地球温暖化を話したいと思いますが、私たちが贅沢しすぎているのは間違いありません。そんな生活を切り替えるためにもみんなでペットボトルのリサイクルを止められれば、日本の将来も少しは明るくなると思います。

 

ペットボトルはいったん終わります。