回収されたものはリサイクルされているのか?

 

 一度、使ったものをもう一度、使えればそれに越したことはない。それも「循環型」、つまり「グルグル回せる」のならもっと良い。リサイクルが計画されている頃、よく「クルクル・リサイクル」という言葉が使われたし、また今でもペットボトルのリサイクルにはぐるりと回っているマークが用いられる。

 

リサイクルマーク.jpg

 

 リサイクルも議論が白熱してくると、いろいろは「言い回し」が誕生する。「言い回し」でかなり凝ったものが「サーマル・リサイクル」だろう。

 

「焼却すると有害物質がでる。だからリサイクルをしよう」と呼びかけた人が「燃やしてもリサイクル」と言う。気持ちがわからないではないが、あまりにもひん曲がった表現なので、ここでは、もう少し素直に事実を整理してみたい。

 

 まず、リサイクル・マークをそのまま理解したいと思う。現代の社会は、かつて誇大広告のモデルのように言われた不動産取引でも「駅から5分」と言えばそのまま信じて良いとされている。もし「駅から5分」というのを信じて家を買ったら、「オリンピックの陸上選手が全力で走れば」とか「途中に小川があるが、それを裸足でわたれば」などという条件が付いていたら、現在の日本では厳しく咎められる。

 

 だから、もう一度、「誇大広告は許さない」という気持ちを持って、ペットボトルのリサイクルのマークを思い出してもらいたい。

 

 どう見ても、「一度、使ったペットボトルをもう一度、ペットボトルとして使う」というマークに見える。デザインだから違うように見える人もいるだろうが、私には最初からそう見えるし、そのように計画しているように思っていた。先ほどの不動産の例ではないが、「100人のうち20人が騙される」という広告は禁止される。特別な人を除けば、おおよその人が正しく受け取れるような表示をしなければならない。

 

 特に、公的機関の表示だ。

 

 そこで、まず第一に「ペットボトルのリサイクル・マーク通りにリサイクルされているか?」という質問をしてみたい。

 

 答えは「まったくリサイクルされていない」ということで、数字で示せば、リサイクル率=0 である。やしきたかじんのスタジオで私が「ペットボトルは1本もペットボトルにリサイクルされていません」と答えると、観客席から「えーっ!」という声が上がった。

 

 無理もないだろう。普通の人ならあのマークを見れば、量は少なくてもリサイクルに出したペットボトル、またペットボトルとして使われていると思っていただろう。むしろそれが普通の感覚のように私には思える。

 

 そう言えばペットボトルのリサイクルが始まる頃、盛んに「ペットボトルから背広ができる」という映像がメディアから流された。あの当時のテレビ局がなにを考えて放映したのかはわからないし、ねつ造でもないので「あるあるテレビ」事件とは少しは違う。

 

 でも倫理的には報道は不合格で、倫理を考慮しなくてもスレスレの報道だろう。「背広」と「ペットボトル」を比較すると、背広を作る方が難しい。そうすると「背広ができるのだから、安いプラスチック製品ができるのは当たり前」と思うのはごく自然なことだ。

 

 当時、すでにペットボトルをペットボトルに再生するのは難しいと考えられていた。だから「ペットボトルのリサイクルをしても、ペットボトルはできません」と明確に言った方がよかった。正しいことを正直に言うのが日本人だ。

 

 ところが面倒なことに「ペットボトルをペットボトルにする方法」がある。だから、「ペットボトルをペットボトルにするつもりだった」ということはできる。それが(これも英語だが)「ケミカル・リサイクル」という。ケミカル・リサイクルとは「いったん、原料まで戻すリサイクル」という方法である。

 

 リサイクルを整理してみると、簡単で効率的なリサイクルは、ペットボトルのまま使うということで、これも英語で「リユース(再利用)」と言っている。次は、そのままは使わなくても汚れを取り、粉砕すればまた成形できるということで、これを「マテリアル・リサイクル(そのもののまま使う)」と言っている。

 

 ところが、ペットボトルのようなプラスチックは劣化する。少し専門的になるが、劣化は「分子量の低下、側鎖の反応」などであり、それを元に戻すことは現在の学問では不可能である(ちなみに、私はプラスチックの劣化についての論文はおそらく日本で1,2番目と思うので、その専門性については信用してもらっても差し支えない)。

 

 だから、「ペットボトルを洗浄し、粉砕して、もう一度、ペットボトルにリサイクルする」ということはできない。不可能である。ただ、ペットボトルの原料は「ポリエチレンテレフタレート」だが、そのまた原料は「テレフタル酸」と「エチレングリコール」である。そのまた原料は「精製された石油成分」である。

 

 だから、どこまでも戻ればまた作り直すことができるので、2番目の原料である「テレフタル酸とエチレングリコール、もしくはその複合体」からもう一度、ペットボトルを作る試みが行われた。これが有名な山口県の工場である。

 

 私はこの工場を作った会社の人を多く知っているし、実直でよい技術者が多い。でも、失敗して今はこのビジネスは廃業している。その会社はもともと「テレフタル酸」や「ポリエチレンテレフタレート」のようなペットボトルの原料を作っていて、日本でももっとも優れた技術を持っている会社である。

 

 私は、この伝統ある立派な会社が「販売量を上げるより、自分たちの技術を使って社会に貢献したい」と思ったら、ケミカル・リサイクルの工場を作らなかっただろう。なぜなら専門家だから「ペットボトルを回収し、山口県に運搬し、分解し、精製する時に使う石油の量(これをAと呼ぶとする)」は、「石油から新たにペットボトルを作るために使う石油の量(これをBと呼ぶ)」より遙かに多いことをよく知っているからだ。

 

 AははるかにBより多い。

 

 私も石油化学や高分子化学の専門家だが、専門家というものは原料の問題、純度の問題、副生成物の処理の問題、そして運搬、販売の問題をよく知っている。知っているから専門家である。ましてその会社はペットボトルの原料を作っている。だからもともと「原価の構成、エネルギー原単位、物質原単位」など知り尽くしているのである。

 

 昔なら別だが、現在の日本でポリエチレンテレフタレートの製造工場を年産10万トン以下で計画する人はいないだろう。そんなことをすればコストが合わない、つまり資源をよけいに使うからである。仮に20万トンのペットボトル・リサイクル工場を作ったとすると、日本全土から回収しなければならず、トラックで運ぶだけで運ばれるペットボトルより多くの石油を使う。

 

 そこで、年産6万トン程度の工場を建てた。私なら建てない。なぜかというと、この程度の規模の工場では特別な条件が付かないと営業ができないからだ。たとえば「ペットボトルを有償で引き取る」とか「ペットボトルをほぼタダで工場に持ち込んでもらう」という条件である。

 

 もし、これが「環境改善のための行為」ではなく、「大量消費のための行為」ならあり得る。つまり「儲け」を主体として考えるなら、「他人が集めてくれたものでも入手できれば良い」ということになるし、「環境」を目的とするなら「その行為が日本の環境を改善しうるか?」ということを専門的立場で判断しなければならないからである。

 

 リサイクルが始まる前にペットボトルのリサイクルの負荷を計算された佐伯さんや私は、ペットボトルをリサイクルしてペットボトルにすると、石油から作るものに比べて3倍以上の石油を使うという結果になった。

 

 おそらくその会社も計算しただろう。補助金をもらって工場を建設し、リサイクル費用で輸送をしても、日本全体として資源を使う量は同じである。つまり、20世紀型の「大量生産OK」の場合と違って、21世紀型のビジネスは「環境を悪化させないか」という尺度が必要と私は考えている。

 

つまり生産会社の社会的責任である。

 

 かつて戦争が世界の危機であったとき、「もうければ武器を輸出しても良い」という行為を戒めた。それと同じで環境の破壊の危険があるのだから、「補助金をもらえば良い」とか「タダで誰かが集めてくれたら、その分の石油は知らない」ということではすまない。ペットボトルをリサイクルするのにどの程度の石油を使うかを真摯に計算し、正直に発表する必要がある。

 

 私は、ペットボトルの「ケミカル・リサイクル」、つまり「ペットボトルをまたペットボトルにする」ということを山口県の工場で行えば、新しく作るのに対して10倍は石油をよけいにかかると思う。綿密な計算はしていないが、私の経験と分離工学からそう思うが、このような数字は実施者が出すべきものであり、第三者は質問すれば良いと私は考えている。

 

 この検討の最後の方で書きたいのだが、リサイクルを実施している人たちは、自分たちが数値を公表せず、他人が公表している数字を利用したり、批判したりする。面白いものだ。

 

 ペットボトルのリサイクルについても、自治体が収集に使用した経費と資源、リサイクル工場が使用した経費と資源、そしてまた商品化するときに使用した経費と資源を公表してくれれば私などは簡単にそれを集計することができる。

 

 でもペットボトルのリサイクルをしている人たち自身が、他人のLCAとかを利用している。すでにペットボトルはリサイクルしているのだからLCAなどやらなくても経費と原単位を示してもらえば、社会はそれを評価することができる。

 

 実績ほど大切なデータはない。

 

 ともかく、ここでまずはっきりと整理して起きたいのは、

「政府やリサイクル協会が示しているリサイクル・マークを信用すれば、ペットボトルのリサイクルはこれまでされたこともないし、今後もない」

という事である。つまり、ペットボトルのリサイクル率は過去も将来も「ゼロ」である。

 

 でも、これだけでは物足りない人もいるだろう。そこで「マークとは違っても、ペットボトルのリサイクルが環境を改善するなら良い」と一歩、譲った時のリサイクル率を次回に示したいと思う。

 

つづく