日本人で朝ご飯を食べたら、そのたびごとに使ったお茶碗を洗うこともなく割って粉々にして「リサイクル」に出す人がいるだろうか?

 

 そんな日本人はいないと思う。時々、お茶碗を落として割ることがあっても「使い捨て」などはしない。それが長い日本の文化だった。

 

 かつて、お茶碗を作る人は零細企業でそれほど豊かではなかった。お茶碗を売る人も小さなお店で売っていた。そして、決して高くはないお茶碗を丁寧に新聞紙にくるんで客に渡し、「大事に使ってください」と言ったものだ。

 

 現代。ペットボトルの原料を作っている会社、ペットボトルを成形している会社は大きな会社で社長以下重役陣は教育程度も高くお金持ちである。それなのになんとかペットボトルを使い捨てさせて販売量を上げようと思っている。

 

 彼らは口では「ものつくり」が大切と言っている。でも、「ものつくり」とはまだまだ使えるペットボトルを使い捨てすることなのだろうか?

 

 「ペットボトルはリサイクルできる」と言う。でも、事実はリサイクルすると、新しく石油を使ってペットボトルを作るよりよけいに資源を使う。そしてペットボトルをリサイクルして1本のペットボトルも作られていない。

 

 ペットボトルの原料製造メーカー、ペットボトル成形メーカー、そしてペットボトルのリサイクル関係者の方々、日本の文化を守るためにも「使い捨て・・リサイクル」を奨励することをやめて欲しい。このままでは「ものを大切にし、食料を無駄にしない」という日本の文化を根こそぎ壊してしまう。

 

 それは決して、あなた達の人生、あなた達の子供たちにも良い影響はない。

 

 せめてリサイクルを止めればみんなは「使い捨て」するのに気が引けるから消費量は減るだろう。それは会社にとって苦しいかも知れない。でも、食べるものも着るものもそれほど不自由はしないのだから、重役はお茶碗職人の魂に帰れると思う。

 

 一刻も早く「ものつくり」の基本に立ち返ってもらいたい。

 

おわり